博物館外観
関西大学最古の建築物。登録有形文化財(建造物)。
関西大学簡文館(登録文化財)
「関西大学簡文館」が平成18年度の「登録文化財」の1つとして登録されることが、平成19年3月16日(金)、文化庁から発表されました。関西大学の建築物では、初めての登録文化財(正式には「登録有形文化財(建造物)」)です。
「建築後50年を経過し、広く親しまれ、そこでしか見られない珍しい形を有している」ことなどが登録文化財に指定される条件です。「関西大学簡文館」は昭和3(1928)年に建築され、昭和30(1955)年に大幅な増築を受けています。その増築部分が昭和42(1967)年に文化勲章を受章した建築家・村野藤吾の作品であること、大学の図書館施設として代表的なものの1つであり、大学がそのような建物を保存しようとしたことなどから選定されました。
平成30(2018)年3月には、簡文館が大阪府指定有形文化財(建造物)に指定されました。
関西大学簡文館の歴史
「関西大学簡文館」の一番古い部分は昭和3(1928)年に図書館として建築されました。
その後、数度にわたって増改築を受けましたが、最も大きな工事は昭和30(1955)年、関西大学創立70周年記念事業の一環として実施されました。このとき建築家・村野藤吾が設計を行っています。現在、関西大学博物館の展示室となっている円形建物がこのときに増築されました。
昭和60(1985)年、図書館機能が新たに完成した総合図書館へ移転したあとへ研究所(東西学術研究所・考古学等資料室・人権問題研究室)が入りました。「簡文館」という名称も、このときに付けられました。その後、平成6(1994)年に関西大学博物館が開設され、「関西大学簡文館」の新たな活用が始まりました。平成18(2006)年4月、東西学術研究所が児島惟謙館へ移転し、その跡地に大学の歴史資料を展示する年史資料展示室が設置され(10月)、現在は博物館と相まって関西大学の文化ゾーンを形成しています。
範囲 | 簡文館建物旧図書館部分及び円形建物部分 1棟 | ||
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所在の場所 | 大阪府吹田市山手町3丁目3番35号 関西大学 | ||
構造、形式 および大きさ |
昭和 3年、鉄筋コンクリート造陸屋根建物 3階建 |
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建築面積 | 445.51平方m | 総床面積 | 1,577.06平方m |
建築面積 | 1,377.17平方m | 延面積 | 4,058.73平方m |
建築年代 | 昭和3(1928)年 |
関西大学図書館として竣工 |
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昭和30(1955)年 | 円形建物・書庫を増築 (村野藤吾設計、竹中工務店施工) |
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昭和42(1967)年 | 書庫を増築 | ||
昭和53(1978)年 | 1階ピロティ部分に事務室を増築 コンクリート打放部分塗装 |
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昭和60(1985)年 | 1階の事務室を「考古学等資料室」に用途変更 | ||
平成6(1994)年 | 正面開口部の一部封鎖、照明を新設 「関西大学博物館」を開館 |
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平成17(2005)年 | 旧書庫部分を撤去 | ||
平成18(2006)年 | 旧書庫部分に増築棟を建築、「なにわ・大阪文化遺産学研究センター」を始動 |
簡文館のみどころ
- 外観:円形建物のフォルム
- 外壁:赤や青、緑のタイルのレリーフ、昭和3年建築部分の外壁
- 内部:螺旋階段、葡萄のオーナメント、博物館特別展示室の白壁、博物館常設展示室の天窓
簡文館という名称
「簡文館」の名称考案者は、図書館長を務めたこともある故大庭脩文学部教授です。 中国の古典「中庸」の中に「君子之道、淡而不厭、簡而文、温而理」(君子の道は淡薄であるが、いつまでも厭かない。簡単であるが、かえってそのかざりに見るべきものがある)とあり、ここからとられました。
建築家 村野藤吾
村野藤吾は明治24(1891)年、佐賀県の唐津に生まれました。早稲田大学理工学部卒業後、大阪の渡辺建築事務所に就職し、一貫して大阪を本拠として活躍しました。昭和42(1967)年には文化勲章を受章しています。
代表作には「旧そごう百貨店大阪本店」「心斎橋プランタン」「志摩観光ホテル」「世界平和記念聖堂(重要文化財)」「新歌舞伎座」「日本生命日比谷ビル(日生劇場)」などがあります。 関西大学の千里山キャンパスでは、昭和26(1951)年から約30年間に40近くの建物を設計しています。