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博物館情報庫

2019.05.17

世界文化遺産候補「百舌鳥・古市古墳群」と関西大学

百舌鳥古墳群(堺市提供)
古市古墳群盾塚古墳の発掘調査(1955(昭和30)年)
末永雅雄名誉教授による津堂城山古墳の航空写真

世界文化遺産候補「百舌鳥・古市古墳群」と関西大学

百舌鳥・古市古墳群研究前史
日本の古墳時代(およそ3世紀半から6世紀末)には、土を盛って作られた墓、いわゆる古墳が多く造営されました。そのなかでも近畿地方の中心部にある大阪府の「百舌鳥」と「古市」地域には、5世紀を中心に巨大な前方後円墳が多く築かれました。
この巨大な古墳群は江戸時代終わり頃から陵墓の探索に伴い、当時の学者にも注目され、古墳の大きさやその数から、ヤマト政権の中枢にいた大王(天皇)の墓と考えられてきました。明治維新後には、多くの古墳が天皇や皇族の陵墓や陵墓参考地に治定され宮内省(現在の宮内庁)の管理下となり、他の古墳も民間地であったため、昭和のはじめ頃まで本格的な学術調査は行われていませんでした。なによりも、立ち入りが規制されていた古墳の多くはあまりにも大きすぎて、その全容を知ることができませんでした。

末永雅雄教授と百舌鳥古市古墳群
1950(昭和25)年に関西大学講師、1952(同27)年に教授となった末永雅雄先生は、空から古墳を眺めて全体像を知る必要があること、そのためには航空写真による観察・研究が必要なことを発想しました。そこで、戦後民間の航空機利用が解禁されると、百舌鳥・古市古墳群に所在する古墳の航空写真撮影という手法で観察・調査をおこない、正確な測量地図との対比研究をはじめました。その結果、地上からはわかりにくい古墳の選地や相互の関係、さらに巨大古墳には周濠の外側に周庭帯があることを発見しました。すなわち、巨大な前方後円墳には墳丘部分だけでなく、その外側にも様々な施設が伴っていることが判明しました。

関西大学文学部考古学研究室の調査研究
このように、戦後の考古学研究が盛んになる中、一方で大阪の人口増加を受けて、「百舌鳥」や「古市」地域にも住宅地開発が及ぶようになり、それによって多くの古墳が消滅していくこととなります。そのとき壊される古墳の緊急発掘を引き受け、近畿地方の考古学者が組織した古代学研究会や関西大学、同志社大学、大阪大学などの考古学担当教員や学生が東奔西走して活躍します。関西大学では、末永雅雄名誉教授の指導のもと学生が多くの古墳の調査に参加し、1955(昭和30)年には、本学文学部考古学研究室により古市古墳群にあった盾塚古墳・鞍塚古墳・珠金塚古墳の発掘調査が実施されました。
古墳が壊される前に学術的な調査が実施され、それまで調査の手の及ばなかった古墳の埋葬施設にも科学的調査のメスが入るようになりました。その結果、内部施設の構造や多くの副葬品を知ることができるようになり、現在、「百舌鳥・古市古墳群」にある古墳の築造年代やその変遷について解明が進んだのも、この時の調査による成果があったからです。

保存の取り組みと関西大学
1960年頃、開発による古墳破壊が続き、そのニュースが盛んに報じられたことから、古墳を守り保存しようと文化財保護の意識が高まります。さらに、古墳群全体も保存していこうとする市民と研究者の取り組みが始まって、しだいに「百舌鳥・古市古墳群」の価値が周知されていきました。
1970年以降になると、大阪府や堺市等の地方自治体に「百舌鳥・古市古墳群」の発掘調査や保護を行うために、文化財保護課や博物館、埋蔵文化財調査センターなどの部署が設置されていきました。このような部署において、文化財調査・保護の担当者、あるいは博物館の学芸員として活躍したのが、関西大学文学部考古学研究室で末永雅雄名誉教授、網干善教名誉教授の指導を受けた学生や校友たちでした。さらにそのなかから、「百舌鳥・古市古墳群」の研究で成果を挙げている大学の教員や、現在行政機関の第一線で活躍している担当者が多数輩出されています。

世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」登録へ
今回のユネスコの勧告による「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録の進捗には、陵墓となっている資産を管理する宮内庁書陵部担当者や、大阪府、堺市、羽曳野市、藤井寺市の世界遺産登録と関連する部署に所属する本学考古学研究室出身者が、一つの目的に向けて様々に協力し努力を重ねた結果であるともいえます。さらには学術面だけではなく、この登録に向けた事務部門でも多くの校友が活躍しています。このように、「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録に向けての取り組みは、まさに関西大学の学縁を土台としており、この大阪に初めての世界文化遺産をもたらす結果が期待されます。
今回のシンポジウムでは、この「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録の意義、さらにはこの遺産を将来にわたって維持管理していくために、関西大学が果たしていくべきことは何か、地域と連携を図りながら進めていくべき課題について考えていく第1歩となるものです。