博物館情報庫

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工芸
2010.04.24

三彩刻花芍薬文双耳壺(中国 遼)

三彩刻花芍薬文双耳壺(中国 遼)

さんさいこっかしゃくやくもんそうじつぼ(ちゅうごく りょう)
 

 線彫りして芍薬(しゃくやく)文をあらわした三彩(さんさい)の双耳(そうじ)壺で、遼三彩にしばしばみられる技法と器形である。簡略化された大雑把な芍薬文の線描といい、緑と黄のたがいに流れこむ釉薬といい、遼三彩(遼代の三彩釉の総称)に特有の素朴な作風を示している。
 遼は、東モンゴル地域で遊牧していた契丹(きったん)族の建てた王朝(916〜1125)で、まず東方の渤(ぼっ)海(かい)国を征服し、ついで河北省と山西省の北部、さらには西域にまでその勢力はおよんだ。
 線彫りして芍薬(しゃくやく)文をあらわした三彩(さんさい)の双耳(そうじ)壺で、遼三彩にしばしばみられる技法と器形である。簡略化された大雑把な芍薬文の線描といい、緑と黄のたがいに流れこむ釉薬といい、遼三彩(遼代の三彩釉の総称)に特有の素朴な作風を示している。
 遼は、東モンゴル地域で遊牧していた契丹(きったん)族の建てた王朝(916〜1125)で、まず東方の渤(ぼっ)海(かい)国を征服し、ついで河北省と山西省の北部、さらには西域にまでその勢力はおよんだ。