概要
経済学部 柏原宏紀ゼミでは、現代における社会保障制度のあり方を検討する一材料とするべく、公的扶助制度の源流をなす、恤救規則(明治7年制定)について研究を進めた。具体的には、同規則がどのような考え方のもとで、いかにして成立して、それがどのように展開し、またいかなる限界があったのかについて、国立公文書館所蔵の史料なども活用しつつ考察した。その中では内務省、大蔵省、左院(立法に関する諮問機関)という関係機関が「仁政」「仁恤」などを根拠に規則制定を考えていたものの、その解釈がそれぞれ異なり曖昧なものであったこと、そのような成立経緯であったために、政府による解釈次第で制度内容が変更されやすいものであったこと、しかも実施官庁の内務省がもっとも救済に制限的な立場であったこと、などを明らかにした。その上で、これ以降の救護法、生活保護法へと続く展開も視野に入れつつ、恤救規則下での救済対象者数の変化を追究し、制定段階の問題点がその運用に影を落としていたことを確認した。