イギリス社会における発展に学ぶ
高鳥毛 敏雄 教授

公衆衛生制度と組織の研究

イギリス社会における発展に学ぶ

自治体とプロフェッションによる自律的な活動

社会安全学部

高鳥毛 敏雄 教授

Toshio Takatorige

感染症、有害食品、環境汚染など、健康を脅かす危険から人々を守る公衆衛生活動といえば、日本では厚生労働省など行政の仕事というイメージが強い。しかし、近代社会の公衆衛生制度を確立したイギリスでは、自治体とプロフェッションを中心に始まった活動である。高鳥毛敏雄教授は、公衆衛生を生み出したイギリスにおける公衆衛生制度の研究を行う一方で日本の自治体の公衆衛生活動に関わり、人々の健康と安全を守る実践的な公衆衛生制度の確立に挑戦している。

岩倉使節団が持ち帰った公衆衛生制度とは

"公衆衛生”というものが、日本へ持ち込まれたのはいつ頃からでしょうか?

明治初期のことです。明治政府は、漢方医学から西洋医学をベースにした医学教育に切り替えるために欧米諸国の調査の随行員として、長崎で西洋医学教育を実践していた長与専斎を岩倉具視使節団の一員としました。使節団は1871(明治4)年から1873(明治6)年にかけ欧米諸国を歴訪しました。長与はその時に国民の健康を保護する、伝染病予防、貧困者扶助、上下水道整備、住宅建築などの日常生活全般に関わる社会制度を先進国が持つようになっていることを初めて知りました。近代国家を目指す日本には不可欠な制度と悟り、それを導入することに自分の人生をささげる決意をしました。しかし、明治期に公衆衛生制度を根付かせることはできませんでした。これには2つ理由があります。
 1つは、長与がモデルにした公衆衛生はイギリスの制度でしたが、当時医学のメッカはドイツであり、明治政府は、医学教育はドイツ方式を採用したため医学部では公衆衛生の教授は置かれませんでした。もう1つは、イギリスの公衆衛生は地方自治の土台の上に築かれたものでしたが、明治政府は強い中央集権体制をつくる政策を採用し自治制度が育たなかったためです。そのためイギリス方式の公衆衛生導入は頓挫しました。実は、明治政府が医学教育はドイツ、公衆衛生制度はイギリスの方式を選択したことは誤りとはいえません。戦後、日本は米国の占領下に入り医学も公衆衛生も米国を手本とすることになりました。米国の医学研究はドイツのものを、公衆衛生はイギリスのものを引き継いでいたため、日本国内の医療と公衆衛生との齟齬(そご)が少なくなったからです。

なぜ、イギリスが公衆衛生の先進国に?

長与はなぜイギリスの公衆衛生を手本としたのでしょう?

19世紀にイギリスは海外交易の覇権を握り商工業の中心国となりました。国内では都市の労働人口が増加し、空気や水質汚染などによる深刻な都市環境の悪化、伝染病の流行、危険な食品や薬品の氾濫が深刻化しました。既成の貴族的な統治システムでは対応できない世界で類を見ない深刻な事態に陥ってしまいました。既存の統治体制の刷新が必要となったことがイギリスを世界で最初に公衆衛生制度を確立させることにつながりました。イギリスの公衆衛生制度を米国が普遍化したことで、今日の世界の標準形となっています。長与は訪欧中にそれを見抜いていたことになります。その特徴は自治体などの公的組織を整備し、そこにメディカル・プロフェッションを配置し健康問題の解決に当たらせるというものでした。“プロフェッション”という言葉は日本人には分かりづらい。平たく言うと職能(専門職)ということになります。イギリスでは16世紀から発展してきています。自分たちで団体を作り仲間のプロフェッションの資格認定と能力評価、倫理行動規範を設けて自己統制するという方式です。

現在のイギリスの公衆衛生制度はどうなっているのですか?

イギリスは、壁にぶち当たると新たな制度を生み出していく面白い国です。イギリスは1948年に国民保健医療サービス組織(NHS)という新しい医療制度を創設しています。貧富や地域に関係なくすべての国民が医療サービスを公平に利用できるようにしました。病院を国営化し、医療費を無料化しました。そして、誰もが医療サービスを利用できる医療制度ができたことで公衆衛生制度もそこに統合し、1974年には公衆衛生のメディカル・プロフェッションもNHSの一員としてしまいました。その結果、1974年からイギリスでは自治体を基盤とした公衆衛生体制は一旦消えてしまい、感染症や食中毒の集団発生に適切に対応できない状況に陥りました。医療制度だけでは健康問題が解決できないことが再認識されることになりました。イギリスのすごいところは誤りに気づくとすばやく修正できるところです。2003年にヘルスプロテクション・エージェンシー(HPA)という公衆衛生専門機関を全国に整備し、NHSから独立した公衆衛生体制を創設し、感染症のほか、化学物質、大気汚染、原子力災害などの健康危機事態に対処する職員を全国に配置し始めました。2013年にはHPAを発展吸収し、自治体を巻き込んでパブリックヘルス・イングランド(PHE)という公衆衛生体制の確立に至りました。自治体を土台とし、これにHPAを統合した体制です。プロフェッションを媒介として中央から地方までネットワーク化し、その土台は自治体に戻した21世紀型の新たなイギリスの公衆衛生体制を具現化させています。

公衆衛生活動を担うのは誰なのか?

日本の公衆衛生の現状は?

近畿では1995年の阪神・淡路大震災、その翌年には堺市で腸管出血性大腸菌O157の集団感染事例発生などを経験しています。この時期に地域保健法が施行され、日本でも自治体を基盤とした公衆衛生体制への移行の分岐点となっています。新しく誕生した中核市には保健所が移管されています。赤ちゃんからお年寄りまでの市民の健康と安全に関わる多くの業務は自治体の仕事とされています。そこで大きな課題となってきているのが、公衆衛生業務を担う自治体の人材の専門性の確保問題です。イギリスと異なりプロフェッションの歴史が乏しく、そのため日本では自治体の一般職員の能力が英国の職員以上に問われるようになっています。

今後の抱負をお聞かせください。

医学部を卒業し、大阪府の行政や病院、医学部教員などを通して公衆衛生の研究と教育を行ってきました。そこで気づいたのは日本の公衆衛生はイギリス以上に自治体に依拠したものとなっているということです。大阪市や高槻市などに本学の卒業生が多く働いています。自治体の行政職員が、実は医師などの専門職よりも公衆衛生に大きな影響力を与える存在なのが日本の公衆衛生体制の特徴なのです。それが本学で公衆衛生を教え始めた理由です。公衆衛生研究には知識だけでなく、現場で身につけた実務経験が求められます。一人でも多くの卒業生に自治体職員となってもらい、実務経験を積んだ後に大学院生として戻ってきて欲しい。そのような人材育成システムが確立されなければ日本の公衆衛生の発展はないと思っています。長与専斎が明治期に生涯をかけた公衆衛生を日本に根づかせることができる社会環境が整っている状況にあります。今こそ、公衆衛生の研究、教育と実践に奮闘しないといけない時代となっていると感じています。


  • 2004年にできたたHPAの本部


  • 公衆衛生監視員の教育認定機関(ロンドン)


  • HPAの 地方センターのプロフェッション


  • リーズ大学公衆衛生大学院の教授と


  • 自治体の衛生監視員事務所(リーズ)


  • 創設当初のHPA 本部を訪問