電荷とスピンがもたらす物性の解明と応用
伊藤 博介 准教授

スピントロニクスの研究

電荷とスピンがもたらす物性の解明と応用

材料探求・計算機シミュレーション

システム理工学部 物理・応用物理学科

伊藤 博介 准教授

Hiroyoshi Itoh

物質の中で電荷とスピンを持った電子がどのような運動をしているかによって物性は決定される。電子のスピンは小さな磁石と考えれば理解しやすい。物性理論研究室の伊藤博介准教授は、スピンを用いるスピントロニクスという新たな研究分野で、これまでにない物理現象の探索とその解明、さらに、新機能デバイスの開発など実用的な技術への応用に向けて、理論物理学的な手法と計算機シミュレーションを用いて取り組んでいる。伊藤准教授を動かすのは、まだ誰も見つけていない問いの答えを見つけ出すことに楽しさを感じる先駆者の心だ。

スピントロニクスの世界へようこそ

先生のご専門のスピントロニクスはどのような研究をする分野ですか?

エレクトロニクスという言葉は皆さんご存じだと思いますが、エレクトロニクスの主役である電子には電荷とスピンの2つの性質があります。スピンは簡単に言えば、小さな磁石と見なすことができます。スピントロニクスはエレクトロニクスの世界に磁石を取り入れたら、何か新しい物理現象を見つけられないか、その現象を利用して新しい機能を持ったものを作れないだろうか、といった研究をする分野です。スピントロニクスの研究成果は身近なところでは、ハード・ディスク・ドライブの読み取りヘッドに応用されています。あるいは、研究を応用した不揮発性メモリの一種である高速磁気メモリ「MRAM」の開発も現在、世界中で盛んに行われています。

物性理論研究室では、実験はされないのですか?

私の研究室は理論の研究室ですので実験は行わないのですが、実用につながる研究をできるだけやりたいと考えているので、常に実験を行っている研究グループと共同研究をしています。例えば実験グループから「こんな実験結果が出たが、なぜこうなるか分からない。分かればもっといいものが作れる」と相談を受けて、その問題について考えます。また、実験前に理論的に予測を立て、「こうすればいい」とこちらから提案することもあります。この2つが共同研究における私の主な役割で、理論的に考えるだけでなく、計算機シミュレーションを用いて課題に取り組んでいます。

超高速磁気メモリの開発

具体的にどのような共同研究に関わられているのですか?

スピントロニクス研究の応用では、電子のスピンをどれだけ効率よく作るかということが求められています。それには材料開発が必要です。例えば、鉄、マンガン、シリコンからなるホイスラー合金がスピンを作るために効率の良い物質の1つですが、この物質は、室温つまり300K(ケルビン)、摂氏に直すと約27℃より高い温度になると磁石の性質がなくなってしまうので実用には適していません。一方、鉄とシリコンからなる別の合金は、スピンを作ることでは少し劣るけれど、もっと高い温度まで磁石の性質を保ちます。そこで、それぞれの良い部分を取り入れるため、元素の組成を変えて計算機シミュレーションを行い、より良い材料となる物質を予測して、実験を行う先生方に提案しています。これは、独立行政法人科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業「CREST」に採択された「電荷レス・スピン流の三次元注入技術を用いた超高速スピンデバイスの開発」チームの一員として取り組んでいるものです。
 また、文部科学省の「元素戦略プロジェクト」に採択された「複合界面制御による白金族元素フリー機能性磁性材料の開発」にも共同研究として取り組んでいます。
 スピンには上向きスピンと下向きスピンがあり、通常は双方の数が同じですが、上向きスピンの方が多くなると上向き磁石になり、下向きスピンが多くなると下向き磁石になります。上向き磁石を0に下向き磁石を1に対応させ、磁石の向きをひっくり返すことで情報処理を行うのが先に紹介した高速磁気メモリ「MRAM」です。磁石の向きをひっくり返す方法は、近くに電流を流して磁場を作る方法がありますが、メモリの大容量化には無理があります。現在、研究が進んでいるのが磁石に反対向きのスピンを入れて、ひっくり返す方法で、これをスピン注入磁化反転と言います。効率よく作ったスピンをできるだけ少ない量注入することで磁石の向きをひっくり返せれば、反転時間が短く、高速動作し、消費電力も少なくて済みます。このテーマに関するシミュミレーションも行っています。

世界で最初の「分かった!」の快感

実験に直接関わることはないとすると、研究はどのような方法で行っているのですか?

ノートとコンピューターです。数式の計算などは手書きの方が早いので、A4のノートに鉛筆で手書きしています。私が大学の2年次生のころに、スピントロニクスの研究が活発になるきっかけとなった巨大磁気抵抗効果が発見されて、私は卒業研究のテーマにそれを取り上げた時から、ずっとこの分野の研究をしてきました。ですので、学生時代から今まで約25年間ノートに手書きのスタイルでやってきました。ノートは学生時代から、当時の文献と一緒に全て保管しています。昔に計算したものや、取り扱っていた材料が今になって注目されることもあり、古いノートを見直すこともあります。

スピントロニクス研究の進展スピードは速いのでは?

スピントロニクス研究では、次々と新しい材料が実験的に作られ、新たな物理現象も見つかっています。研究者としては世界中から出てくる新しい研究成果を自分の研究に取り入れていかないと通用しなくなってしまいます。ただし、それらの発見が10年後も残っているかと言われると、それは分かりません。ある現象が根本にあることが明らかになり、それですべて説明できるとして統合されてしまうかもしれません。

世界の研究者との間で競争はあるのですか?

実験の研究者と一緒に、「これはかなりインパクトがある研究だから、データをきちんと取ろう」と丁寧に行っている間に、他の研究者に先を越されたことがあります。それも、自分たちよりも良いデータを出してくれれば、まだ納得できたのですが、それほど良くないデータだったので歯がゆかったです。後でこちらがより良いデータを発表しても、最初に発表したものほどの反響がないですから。

どうして、理論物理研究の道を選ばれたのですか?

大学3年次生のころは、私も大学院を修了して企業で研究開発するのだろうと思っていました。企業に行ったら理論研究はきっとできないだろうから、卒業研究では理論が勉強できる研究室へ行こうと決めたところ、そこでの研究が面白くて、そのまま理論研究を続けることになりました。まだ多くの人が研究していて答えが出ていないことについて「これで説明がついた」と分かった時には、「ひょっとしたら世界でこのことを分かっているのは自分だけではないか」と感じる瞬間があります。理論物理のそのようなところに魅力を感じたのだと思います。

スピントロニクスの魅力を教えてください。

スピントロニクスは磁気工学と電子工学が融合した、いまだに未知のことが多い世界です。これから次々と面白いことが起こるだろうし、将来の生活を変えてしまうような役立つことが見つかる舞台です。エレクトロニクスは私たちの生活になくてはならないものになっています。同じようにスピントロニクスが、私たちに欠かせないモノを生み出していくのではないか、その大きな可能性が魅力だと思います。まだ明らかにされていないこと、分からないことが多い点にも私は魅力を感じています。誰も予想しなかった物理現象や小手先のことではない、誰も思い浮かばなかったものを創り出していきたいと思っています。