息づかいが伝わる都市遺産の検証
藪田 貫 教授

近現代大阪の社会文化景観の変貌を研究

息づかいが伝わる都市遺産の検証

大阪都市遺産の史的検証と継承・発展・発信を目指す総合的研究拠点の形成

大阪都市遺産研究センター センター長

文学部

藪田 貫 教授

Yutaka Yabuta

大阪都市遺産研究センター サブリーダー

文学部

大谷 渡 教授

Wataru Ohya

前号に引き続き、文部科学省平成22年度私立大学戦略的研究基盤形成支援事業に採択された研究プロジェクトを紹介する。「大阪都市遺産の史的検証と継承・発展・発信を目指す総合的研究拠点の形成」は、「なにわ・大阪文化遺産学研究センター」の成果を受け継いで創設された「大阪都市遺産研究センター」が中心となって推し進める5カ年間の研究事業だ。近現代における大阪の都市景観変遷の史的分析とその全体像を解明しようとする研究について、代表者の藪田貫教授とサブリーダーの大谷渡教授に聞いた。

「なにわ・大阪文化遺産学研究センター」の意義

本研究プロジェクトに先駆けて展開された私立大学学術研究高度化推進事業(オープン・リサーチ・センター整備事業)の「なにわ・大阪文化遺産学研究センター」(平成17~21年度)について。

オープン・リサーチ・センター整備事業では、関西大学が開かれた研究組織として、大阪の地域の人たちとネットワークを作りながら活動してきました。「なにわ・大阪の文化遺産」をキーワードに、多方面で“大阪”を発信できたと思います。天満宮を含む天神橋筋商店街、平野、八尾、南大阪の道明寺など、いろんなところへ出かけて調査したり、なにわ伝統野菜を栽培している小学校と連携するなど、地域のネットワークを広げてきました。
 関西大学は大阪で生まれ育った大学であるにもかかわらず、これまで大阪をテーマにした本格的な研究をやってこなかったのです。大阪のことを旗印に掲げた共同研究を立ち上げて、それが内外に明らかになったことが、「なにわ・大阪文化遺産学研究センター」の最大の意義だと思います。
 関西大学の直接の前身は関西法律学校ですが、大阪には江戸時代から懐徳堂や適塾がありました。関西大学には泊園書院の蔵書である泊園文庫があります。さまざまな教育遺産の蓄積があって、その中から関西法律学校も生まれてきたのです。そこには大阪の経済や商業活動もあれば、海外との関係もあるし、大阪の歴史的なポテンシャルもあるのです。このことが今回のプロジェクトの前提です。(藪田)

「豊臣期大坂図屏風」が有名になりました。

「豊臣期大坂図屏風」の国際学術研究を契機に、本学は同屏風所蔵のエッゲンベルク城と大阪城天守閣間の「城郭協定」締結、同城所在のオーストリア・グラーツ市と大阪市との都市間協定実現に大きな役割を果たしました。
 豊臣期まで一気にさかのぼってしまいましたが、関西大学が大阪を研究するということのシンボルが屏風であった、と理解していただいたらいいでしょう。大阪の人々が大阪を研究する、歴史的にきちんと研究することの大事さを、あの屏風が象徴して語ってくれたのではないかと、私は思っています。(藪田)

牧村史陽写真コレクション

CGによる可視化で都市景観の変遷を検証

“都市遺産”という概念と研究テーマは?

大阪の歴史的・社会的・経済的な変遷の中で残ってきた、あるいは形成され、変容してきた、大阪の持っている文化的な力の全体を、大阪という都市の遺産としてとらえ、そこへ目を向けて研究していきたいと思っています。「近現代大阪の社会文化景観の変貌」を基幹テーマに、「『水都』大阪の伝統文化と暮らし」「『商都』大阪の経済と学問」という二つのサブテーマを立てています。
 景観の変遷が人の暮らしに根ざしたものであってみれば、人々の暮らしの息づかいが伝わる生活と文化の検証が大切です。したがって、社会生活・文学・芸能などについて、文献学的アプローチにより、“形”と“心”の両面から、その変化を具体的に跡付けることは、本プロジェクトの核心をなすものです。経済的変化や工業化によって建物や景観が単に変わったということではなくて、息づかいの部分にまで入り込んで、どう変わったのかを見ていきたいのです。(大谷)

研究プロジェクトの目的は?

大阪城築城によって築かれた近世都市大阪は、明治から昭和初期、第二次世界大戦後と大きく変貌してきました。大阪城内の建物も、商家が軒を並べた船場も、道頓堀の興業街も、近現代化の過程と空襲による壊滅・復興を経て、その姿は大きく変化しました。都市景観の変貌は、人々の暮らしと文化の変化を映し出しています。本プロジェクトは、今日の大阪圏に堆積する都市遺産を歴史学的に検証し、その継承・発展・発信を目指す戦略的研究の中核拠点を形成することを目的としています。
 まず、都市景観の変遷を検証するために、2次元CGによって湾岸・河川・道路・町並みなどを映像として可視化します。近世初期・明治期・昭和初期・終戦期を重点的に取り上げ、歴史的、地理的変遷を俯瞰する広角的視点に留意した映像を制作します。
 近世以来、船場の商家の伝統的教養と堅実で質素な文化風土、大きな時間的見通しを持った商業感覚などは、近代化過程でどのように展開するのか。懐徳堂や泊園書院などの漢学は、大阪における近代精神受容の中でどのような役割を果たしたのか。適塾の場合はどうか。これらの視点での研究交流も積極的に進めます。
 道頓堀も船場も太平洋戦争末期の空襲で壊滅しましたが、“形”の破壊による文化継承への影響を検証し、特定した地点の3次元CG映像を制作し、その史的意味を空間的に表示します。(大谷)


  • 大阪市全景(市南部)(大正3年)
    出典:『大阪府寫眞帖』 大正3年11月5日発行
    出版:大阪府


  • 完成した御堂筋(昭和12年)
    出典:『写真集おおさか100年』 昭和62年4月12日発行
    出版 : サンケイ新聞社


御堂筋(映像・昭和21年ごろ):財団法人大阪国際平和センター所蔵

研究叢書刊行、国際シンポジウム開催

研究の進み具合や今後の予定は?

大阪時事新報には、明治・大正・昭和期の大阪の社会と文化に関する日々の記事が詳細かつ豊富に掲載されています。そこから、都市変動、文学や芸能・映画などに関する記事を丹念に拾い上げて、学術的にも、また一般の方も利用できる目録を作成し、『大阪都市遺産研究叢書』として来年から順次刊行していきます。それに関連する研究発表会も開催します。
 都市景観の変遷の例として、天王寺区筆ヶ崎町の大阪赤十字病院があります。病院の周りは空襲で焼けましたが、病院の立派な建物は残り、戦後はGHQに接収されました。そこに日赤の看護婦養成所があり、従軍看護婦の派遣を担っていたのです。中国大陸やフィリピンの激戦地の陸軍病院などに派遣され、何人もの方が戦地で命をなくし、大変な状況で引き揚げてこられた、その母校なのです。
 私は生き残った方々を訪ねてお話を聞き、史料や写真を収集しているところです。広東での写真もあります。看護婦さんたちが運動会をしていて、入院患者さんが見ている写真も。広東占領、海南島占領、北部仏印進駐という流れにそって、派遣されてゆく看護婦さんたちの苦労が目に浮かぶようです。たとえ悲しい状況があっても、そこに青春があったんですね。彼女たちがかつて学んだ大都市大阪の意味も見えてきます。まさに、息づかいが感じられるのです。
 このあたりのことは、来年、アジアの研究者も交えた国際シンポジウムを開いて発表する予定です。(大谷)