植物の生理機能の謎に分子レベルで迫る
老川 典夫 教授

D型アミノ酸の定量的解析から生成機構の解明へ

植物の生理機能の謎に分子レベルで迫る

自然界の酵素、微生物を有用なものづくりに役立てる

化学生命工学部

老川 典夫 教授

Tadao Oikawa

ヒトのすべての遺伝情報(遺伝子の配列)が解読されて以降、ポストゲノムの時代といわれる現在、タンパク質やアミノ酸、酵素の構造や機能の研究が生命科学の中心となっている。老川典夫教授は、食品や植物中に含まれるD型アミノ酸の生成機構を追究し、いくつかの新しい知見を得た。また、自然界から食品や医薬品などの有用な化合物を合成する新しい生体触媒(酵素、微生物)を発見し、その特性を解明するとともに企業との共同研究を進めている。

D-アミノ酸が重要な生理機能に関与

生命維持に欠かせない物質であるタンパク質やアミノ酸の研究領域において、従来の食品成分の研究との違いは?

食品の成分を分析するのではなく、なぜそれができてくるのか、どのように作られるのかを、分子レベルで解明するのが私たちの研究目標です。多くの場合、酵素がかかわっており、酵素の働きを究明する必要もあります。
 アミノ酸にはL型とD型があり、これまでは自然界を構成しているアミノ酸はほとんどがL型で、希少なD型は役に立たないものと考えられてきました。しかし、近年の分析技術の向上により、微生物や植物、動物においても、D-アミノ酸の存在が明らかにされてきました。
 最近、D-アミノ酸の一種であるD-セリンやD-アスパラギン酸がヒト、マウス、タコなどの脳内に存在していることが分かり、神経系や内分泌系の調節などの重要な生理機能への関与が解明されつつあります。
 例えば、D-セリンの投与は統合失調症の症状の緩和に有効であり、すでに臨床応用も検討されています。またアルツハイマー患者の血中D-セリン濃度が、健常者の場合に比べ有意に低下していることも報告されています。
 動物についての研究が先行していますが、植物にD-アミノ酸が存在することは、約50年前に既に確認されています。しかし、いまだにその生理的機能は解明されていません。私たちは10年ぐらい前からこの点に着目し、食品や植物中のD-アミノ酸の定量的な解析と生成のメカニズムについて研究しています。

イネ・発芽玄米のD-セリンを解析

日ごろ摂取している食品の中にどれくらいD-アミノ酸が含まれているのか、定量分析の結果は?

野菜や果物、植物性の原料を使って発酵させた飲料、ビールやワイン、日本酒などを幅広く調べたところ、非常に多種多様なDアミノ酸が存在することが明らかになりました。
 中でもイネの研究に力を入れているのは、日本人の主食であり、お酒の原料にもなっていること、日本が中心になってイネの全ゲノムを解読したことによります。ゲノム情報があれば、タンパク質の機能を解明していく上で非常に有利になります。
 イネの中にはD型とL型のセリンを相互に変換する酵素があり、セリンラセマーゼと呼んでいます。イネのセリンラセマーゼとヒトのものは多くの共通の遺伝子構造を持っていながら、違う部分もあります。私たちはそのあたりを分子レベルで究明しています。
 イネの遺伝子がどういう機能を持っているか、その遺伝子を破壊して調べる方法があります。イネの中でセリンラセマーゼの遺伝子がなくなったものを調製すれば、生育にどういう影響が出るか、どういう栄養を要求するかを調べることができます。
 また、玄米を発芽させて、D-アミノ酸の種類や量が発芽に伴ってどのように変化していくか、その生成の機構を研究しています。発芽に伴い、ある種のD-アミノ酸の含有量が増加することが明らかになりました。これはアミノ酸ラセマーゼの活性によるものと考えられます。また発芽玄米には、心をリラックスさせる効果があるギャバも含まれており、注目されています。
 D-セリンなどのD-アミノ酸含有量の高い野菜、果物、発芽玄米などを摂取することにより、脳の高次機能の活性化などの効果が期待できます。さらに、酵素の働きを解明するためにはセリンラセマーゼの「立体構造」を突き止める必要があり、私たちの大きな研究目標になっています。
 今後、さまざまなD-アミノ酸の生理的機能が明らかになるにつれて、D-アミノ酸を多量に含む機能性食品などの開発にもつながると考えています。

イネのセリンラセマーゼの推定立体構造
・イネOryza sativa L.のセリンラセマーゼ(黄色)
・分裂酵母Schizosaccharomyces pombeのセリンラゼマーゼ(黄緑色)


  • A: イネのセリンラセマーゼの推定立体構造


  • B: イネのセリンラセマーゼの推定活性中心構造

by Swiss-PDB viewer

カフェインを選択的に除去する微生物

関西大学とUCC上島珈琲株式会社との共同で特許を出願した「カフェインを分解する微生物、ならびにその微生物を用いたカフェインの除去方法およびポリフェノール含有食品の製造方法」について

近年、食品中のポリフェノール成分の効能が注目されています。例えば、コレステロール上昇抑制作用、生体内抗酸化作用などの生理的機能を有し、健康に有用な食品として利用できます。一方、カフェインは医薬品に利用されるようなメリットもあるのですが、健康上の理由などからカフェインを敬遠したいという消費者ニーズがあることも確かです。また、自然環境におけるカフェインの残留と生態系への影響についても近年研究されつつあります。
 コーヒーに含まれる代表的なポリフェノールであるクロロゲン酸類は、コーヒー粉末や抽出物の食品添加物や健康食品としての利用が注目されています。また、抗酸化作用やがん抑制効果が期待できる有用な物質です。
 そこで、自然界からカフェイン分解能を有する微生物を探し、得られた微生物を用いて、コーヒー抽出物から有用ポリフェノール類を残存させながら、カフェインを選択的に効率よく除去する方法を見いだしました。
 従来困難だった高濃度のカフェイン存在下でもカフェインの分解と高いクロロゲン酸類の残存を実現するシュードモナス属微生物(Pseudomonas sp. KUCC-0001)を、自然界から単離しました。その微生物の働きによって、カフェインを分解し、飲食品、保健・医薬品、化粧品等に広く利用できるカフェインの除去方法を提供できるようになります。さらに、カフェインを除去したポリフェノール含有食品の簡便な製造方法を提供することも可能です。
 私たち生体分子工学研究室では、無数にある微生物の中から食品や医薬品などの有用な物質を生産するもの、いわば「宝」を探し出し、「バイオでものづくり」をする、夢のある研究に取り組んでいます。


*いずれのカフェイン濃度でも培地中のカフェインは培養開始後20時間後に完全に分解された。