女性や臨時労働者はどのように働いたか?
山本 千映 准教授

現代にも通じる19 世紀イギリスの経済史研究

女性や臨時労働者はどのように働いたか?

「センサス(国勢調査)」と「賃金台帳」から見えてくるもの

経済学部

山本 千映 准教授

Chiaki Yamamoto

「19世紀イギリスの経済について詳しく知りたいという、一見、現実離れしていると思われるような研究を通じても、知的興奮は十分に味わえます」。確かに、山本千映准教授の話を聞いていると、女性の働き方の問題、正社員と臨時労働者、社会保障の在り方と貧困など、現代的な問題意識から照射された過去の社会状況が、現代に生きる私たちにかかわるものとして浮かび上がってくる。コンピューターを利用した経済史の方法と成果について説明してもらった。

常雇と臨時的な労働の違いに迫る

山本准教授は2004年に第2回日本人口学会普及奨励賞を受賞している。過去の記録をデータベースとして蓄積し、コンピューターを駆使して分析する「歴史人口学」の手法は、経済史の分野にも大きな成果をもたらした。山本准教授の専門である19世紀イギリス経済史に関しては、国勢調査にあたる「センサス個票」と「賃金台帳」という二つのマイクロデータの史料がある。これらを照合することによって、労働者の家族構成や経済状況が見えてくる。

今の日本では名前が掲載された国勢調査のデータはありませんし、プライバシーの問題もあって犯罪記録などもまず外には出てきません。その点はある程度自由度のある歴史研究のメリットを生かして、当時の労働者の家庭の生活水準や労働市場の状況などを明らかにすることができます。 イギリスでは1801年に最初の国勢調査が行われ、その後10年ごとに実施されました。また、イングランドのミッドランド北部、スタッフォードシャーに位置するトレンタム農場には、1848年から1856年にかけて雇用されていた労働者について、名前、職種、その日の出欠、賃金率など、詳細な情報が賃金台帳の形で残されています。
 それらの史料を分析すると、年間労働日数が300日以上になる常雇の労働者と、50日以下の臨時的な労働者がおり、両者の間では労働需給の決定のメカニズムが異なっていたと考えられます。中核的な男性労働者は農場の近くに居住し、農場主であるサザランド公爵所有のコテージに住む者もいて、家賃が免除されているケースもありました。一方、夏期にのみ短期的に雇用される労働者は、市場における賃金率が高い場合には代替としてアイルランド人労働者が雇用されるなど、非常に競争的な性格が見受けられます。


19世紀イギリスの賃金台帳

女性労働者の状況把握から生活水準を考える

18世紀のイギリスでは、労働者を使って農業が行われていたが、現在の正社員と派遣社員のような形があり、忙しい時にのみ雇われるタイプの人たちがいたそうだ。また、労働需要の状況に応じて女性も労働を担った。その中でも、毎日働いている女性のほか、「忙しいから奥さん連れてきて」「家族総出で来てください」というようなケースがあったという。女性の就業は、山本先生の研究テーマの一つだ。

生活水準を考えるときに、女性や子どもの働き方をきちんと把握しないと、人類の歴史の半分しか見ていないことになります。トレンタム農場で働いていた女性労働者の年間労働日数は比較的長く、男性労働者よりは雇用がカジュアルでしたけれども、先行研究が示すほど臨時的な存在ではなく、割に安定的に雇用されていたのです。
 農業の季節性による労働需要の変化は、男性については雇用者数の増減によって調整されましたが、女性の場合は週あたりの労働日の増加という形で行われました。さらに、女性労働者の多くは他の家族と一緒に農場で働いており、特に夫が農場で働いている場合は出産・育児に際して、就業の面でかなり柔軟に対応されていたことが分かります。


  • 【1851年のセンサス個票(国勢調査)】
    John Powellさんは世帯主で、結婚していて40歳、スクールマスター(学校の先生)、バーミンガムの出身であることが分かる。Elizaさんは妻で39歳。14歳の息子と11歳の娘、9歳と7歳の息子、6歳の娘がいる。子どもたちの出身地は、いずれもスタッフォードシャーのトレンタムとなっている。


Shadrach Ashleyさん(50歳、羊飼い)の記録が含まれているセンサス個票と賃金台帳

生の材料をデータ化し自分で考えよう

コンピューターはこの分野の研究を急速に進展させたが、落とし穴もある。例えば1841年の国勢調査の場合、年齢が60歳、65歳、あるいは20歳、25歳など、切りのいい数字しか出てこない。なぜなら、これは調査の指示書に5歳刻みに整理して書くように決められていたからだという。それを知ったうえで見ていかないと、思わぬ間違いをしてしまう。経済史の研究者として、学生へのアドバイスを

学生の皆さんは実際に自分の目で見て確かめたことではないのに、書いてあることを簡単に信じてしまいます。生のものを見ないと、人が手を入れて本にしたものは、うそがいっぱい入っている。私が講義で話していることも、本当かどうか、歴史に関しては誰もその時代に生きてないのだから分からないのです。国勢調査の記録の中で、ある女性が仕事を持っていなかったとしても、実際はどうだったか。調査期間の3月は農閑期であり、収穫の時期には働いていたかもしれない。国勢調査では働いていない女性も、賃金台帳を見ると働いている場合もあります。複数のデータを突き合わせることが重要です。
 学生はいずれ就職したら、生の材料をデータ化して考えなければならないことが出てきます。例えば小売店のマーケティングでは、レシートの束を見ながらいろんなことを考えなければならないでしょう。その前に、例えば綿の細い糸がハイテク素材だった時代のベンチャー的な企業がどうだったかということを追体験してみることもできる。加工されていない生のデータに触れて何が分かるか、経済史研究を通じて考えてもらいたいですね。


自分の目で確かめることの大切さを学ぶため、毎年ゼミ生とイギリスへ(イギリス、ウィルトシャーのストーンヘンジ遺跡にて)