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こころの健康に関するコラム
知らないということ-the art of not knowing

友人や家族、同僚、パートナーなど、自分にとって大切な人が困っているとき、私たちは「何とか力にならなきゃ」「何か役に立つことを言ってあげなきゃ」と、つい力んでしまいがちです。

あなたの親身なアドバイスで、その人が抱えている問題や悩みが解消されることもあるでしょう。

けれど、そうならないこともありますし、思った通りに相手が動いてくれず、逆にこちらがモヤモヤしてしまうこともあるかもしれません。

本当のところ、「何がその人の力になるのか」「その人にとっての幸せとは何か」は、他の誰でもなくその人自身にしか分からないことです。

だからこそ、焦って「正しい答え」を探そうとするよりも、「分からないということを大切にしながら、それでもそばにいる」という関わり方も、ときに相手を支える力になるかもしれません。

今回は、Person-Centered ApproachPCA)の研究者Peter F. Schmidが提唱した「the art of not knowing(知らないということ)」という考え方をご紹介します。

 

誰かの話を聴いていると、私たちはつい「分かってあげなきゃ」と思ってしまいます。

「私も同じ経験をしたことがあるから、気持ちがよく分かるよ」――

そんなふうに声をかけたくなることもあるでしょう。

けれど、そのとき本当に聴いているのは、相手自身の体験でしょうか。

一見、共感しているように見えても、実は自分の過去の経験や考えに当てはめて「こういうことだろう」と決めつけてしまっていることがあります。

もしかすると、「自分の思うように相手を変えたい」と、無意識のうちにコントロールしようとしてしまっているのかもしれません。

このように相手の経験を自分の枠に取り込んでしまうことを、同一化(identification)といいます。

一見似ていても、これは共感とは異なる態度です。

 

哲学者Emmanuel Levinasは、「他者は本質的に私とは異なる存在であり、決して把握し尽くすことはできない」と論じました。

PCAを創始したCarl Rogersが重視した「共感的理解(Empathic Understanding)」を、SchmidはこのLevinasの思想――目の前の人の「他者性(otherness)」を尊重すること――に根ざして再解釈しています。

それは、相手を「完全に分かる」とするのではなく、つまり「分かる対象」として扱うのではなく、かけがえのないひととして出会うという態度です。

理解できないという前提に立ちながら、それでもその人と共にいる。

この「分からなさに開かれた関係」こそが、Schmidが論じるthe art of not knowingであり、共感的態度の本質なのだといえます。

 

共感とは、理解の正確さを競うことではありません。

むしろ、今この瞬間にこの人と共にいるという関係そのものに根ざしています。

心理臨床の現場では、言葉にならない苦しみや、自分でもまだ整理できていない感情に出会うことがよくあります。

そのときセラピストは、すぐに意味づけたり助言したりせず、ただ目の前の人とともに、その「分からなさ」を共に感じ、その感覚を丁寧にたしかめます。

安易に「分かったふり」をするのではなく、「分からなさにとどまる」のです。

私たちが安心して心を開けるのは、「正しく理解してもらった」と感じたときだけでなく、「まだ理解されていなくても、受けとめようとしてそばにいてくれている」と感じられたときではないでしょうか。

 

この「分からなさにとどまる」姿勢は、臨床の場だけでなく、日常の人間関係でも役立ちます。

大切な人が悩んでいるとき、「何か言わなきゃ」「励まさなきゃ」と焦るよりも、「今はただそばにいる」ことを選んでみる――それは、言葉よりも雄弁に「あなたは一人じゃない」と伝える行為になるかもしれません。

私たちは皆、だれかに「完全に分かってもらう」ことはできない存在です。

でも、「分からないけれど、一緒にいたい」という関係はつくることができます。

そして、そのような関係が、人が安心して「自分らしくあろう」とする力をそっと支えるのです。

「分からなさ」に開かれたまま、相手と共にいる――

それは一見とても控えめですが、人と人とが本当に出会うときに生まれる、もっとも豊かな関わりのかたちのひとつなのです。

 

相談員 山根 倫也