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こころの健康に関するコラム
「何もしない日」に育つもの

「今日、結局なにしてたんだろう......」

そんなふうに、夜の部屋でため息をつく日がありませんか。やるべきことは山ほどあったはずなのに、気がついたらスマホを眺めたり、なんとなくテレビをつけてぼんやりしていたり。そんな一日を「無駄だった」と決めつけて、自分にがっかりしてしまう。

でも、本当にそうでしょうか。

目に見える成果や前進だけが、価値あることだと考えると、立ち止まっているように見える時間は、すぐに「失敗」や「怠惰」に思えてしまいます。でも、心の中では、静かに何かが揺れている。言葉にならないもやもや、答えの出ない問い、ふとした記憶。それらは、すぐには形にならないけれど、大切なプロセスかもしれません。

私たちは「Doing──何かの結果や成果を出すことを重視しがちですが、本当に大切なのは「Being──ただ在ること。何もしなくても、ただ存在するだけで価値がある。呼吸をして、生きている。それだけで、十分すばらしい。

「よい」「悪い」という判断をいったん脇に置いて、ただあるがままに過ごしてみる。お腹がすいたら食べて、体を動かしたくなったら動き、眠くなったら寝る。内側からくる感覚を大切に、自分に正直に、ありたいようにある。それは、決してわがままではなく、自然なことです。

休みたいと思ったときは、無理せず休めばいいのです。

「何もしなかった一日」も、決して「何もできなかった日」ではなく、「休息を必要とした日」であり、「内側が動いていた日」だったのかもしれません。

私たちの感情や気分は、ただ出来事に反応して生まれているわけではありません。実は、その出来事をどう意味づけるか──つまり、「今日は何もできなかった」と見るのか、「今の自分に必要な時間だった」と見るのかで、気持ちは大きく変わってきます。

言いかえれば、私たちは世界をただ「見る」のではなく、「どのような私が、どのように世界を見るのか」によって、その意味は絶えず形を変えるのです。焦りや無力感に満ちた自分が見る世界は、「できなかったこと」ばかりが目につくかもしれません。でも、たとえば「今の私は内面を整えている途中なんだ」と受けとめる俯瞰的な観察者の目をもてたとしたら、同じ一日がまるで違って見えてきます。

自己と世界との関係性は、固定されたものではなく、私たちがどのような視点で、どのように語るかによって、静かに編み直されていきます。世界の意味は、観察する"私"によって開かれていくのです。

そんなふうに、自己と世界の関係性を少しだけ変えてみると、世界の見え方も、自分へのまなざしも、ほんの少しやさしくなります。

たとえば、草木も、根を張る時間があってこそ花を咲かせます。人も同じ。見えないところで、自分なりにゆっくりと感じたり、考えたりしている時間があるからこそ、あるとき自然に、何かが動き出す。

だから、「どこにも進まないように思える日」も、意味のある、必要な時間なのです。

前に進んでいないようでも、揺れていること自体が、自分の深い部分と向き合っている証かもしれない。誰にも評価されなくても、自分だけはそんな時間の価値を知っていてほしい。苦しさも、迷いも、次の一歩を準備するための"土の中の時間"かもしれません。

Beingの土台があってこそのDoing。自分を大切にすることで、自ずとやるべきことにも向かえるようになります。

「今日も、自分なりに生きたな」って、小さくつぶやいてみましょう。

それだけで、呼吸が少し深くなり、心の奥に静かな力が戻ってくるように感じるはずです。

関西大学人間健康学部・大学院心理学研究科 教授 千賀則史