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こころの健康に関するコラム
こころの在処(ありか)

 ヒトのこころは何処にあるのでしょうか?私はこの疑問をずっと考えているのですが、未だに明確な答えをもち合わせることができていません。皆様はどう思いますか?今回は、古典的な研究書などを紹介しながら、その答えのヒントを考えてみたいと思います。

 「我思う、ゆえに我あり」cogito ergo sum(ラテン語)の命題で有名なフランスの哲学者であるルネ・デカルト(1649)は、『情念論』(岩波書店,2008)のなかで、こころは「我、思う」、つまり、自由意思をもつものとし、一方、身体は物理的運動を行うものとし、それぞれ独立した実体であるとしました。これを「心身二元論」と言います。そして、同時に、脳の最奥部の中心に位置する松果体や動物精気、血液などを通じてこころと身体は相互作用することも説いています。

 また当時、脳のほとんどの部位は左右対称2つずつの構造物があるのに、唯一、1つの構造物に見えた松果体にこころが宿っているとされました。この松果体は、グリーンピースほどの大きさであり、現在は左右2つの大脳半球に分かれた構造であることや、とくにメラトニンというホルモンの生成機能があり、概日リズム(サーカディアンリズム)をコントロールしていることがわかっています。

 その後、アントニオ・ダマシオ(1994)は、『デカルトの誤り:情動、理性、人間の脳』(筑摩書房,2010)のなかで「ソマティック・マーカー仮説」を唱え、ヒトの「意思決定」には、その時の身体状態である情動や感情の作用が重要であることを明らかにし、有機体としての心‐脳‐身体の関係を説いています。この訳本は、かつて『生存する脳:心と脳と身体の神秘』(講談社,2000)として発行されておりましたが、近年、誤訳が訂正され携帯しやすい文庫本となりました。私はどちらの本もワクワクしながら読みましたが、こころと脳だけでなく身体との関係も含めた考え方の必要性に改めて気づかされましたし、こころの在処を考える際の有用なヒントも示唆してくれるのではないかと考えております。

 そこで、私は大学の講義や地域の講演会などでも、よく「あなたのこころは何処にありますか」と尋ねることにしています。そうすると大概の学生や大人の方々は、頭つまり脳を指さしたり、胸つまり心臓を指さしたりすることがほとんどです。しかし、同様の質問を中学生や高校生にすると、学生や大人の方々と同様に頭や胸を指さす生徒も多いのですが、それにもまして、自分のこころは「目にある」、「顔にある」、「表情にある」と答える生徒も多いのです。つまり、学生や大人の方々も、かつては自分のこころは「目や顔や表情にある」と実感していたのに、高等教育を受けることによって知識が増え、論理的思考に傾くにつれて、その実感を不問にし、「自分のこころは脳や心臓にある」と単純に結論を出してしまっているのではないでしょうか。

 ところで、中学生や高校生がこころの在処と考える表情に関する有名な研究としては、次のようなものがあります。進化論で有名なチャールズ・ダーウィン(1872)がかつて『人及び動物の表情について』(岩波書店,1931)のなかで、情動の表出についての3つの原則と動物およびヒトの情動表出のあり方について論じ、表情が学習や文化によるものではなく、基本的に遺伝するものであることを指摘しています。

 その後、ポール・エクマンとウォレス・フリーセン(1975)が、『表情分析入門:表情に隠された意味をさぐる』(誠信書房,1987)のなかで、人類共通の表情として、怒り、悲しみ、恐れ、驚き、嫌悪、幸福の6つがあることを示し、ダーウィンの主張を支持しています。ただし、私どもの研究では、どうやら日本人は欧米人と異なり、とくに日常生活のなかでは、驚きや嫌悪の表情の強度は弱く、したがって、非言語的コミュニケーションとして、他人の驚きや嫌悪の表情の読み取りに誤りが生じやすいこともわかってきました。しかも、統合失調症やアルツハイマー病の患者さんでは、他人の怒りの表情を幸福と誤認し、結果、相手が怒っているのに、自分に親密感をもって接して来ていると誤解し、余計なもめごとに発展する可能性も考えられました。しかし、いずれにせよ、表情と情動には深い関係があり、そこで、とくに情動の営みに敏感な思春期たけなわな中学生や高校生には、まさに目や顔や表情にこころが宿っていると認識しやすいのかも知れません。

 この様にさまざまな側面から、改めてこころの在処を考えてみることは、なかなか興味深いことのように思えませんか。また、加齢とともにヒトとしての自信、つまり心理学で言うところの自我が確立することによって、忘れがちになった自分の目や顔や表情のあり方について、たまには意識してみるのも、よりよく生きるためには必要なことかも知れないとも思えませんか。

              関西大学人間健康学部・大学院心理学研究科 教授 小海 宏之