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特集Roadmap to Carbon Neutrality
カーボンニュートラル時代の切り札、リチウム硫黄電池の可能性を拓く
化学生命工学部 化学・物質工学科 教授 石川 正司
石川正司教授は次世代電池の研究を牽引する第一人者です。
今回のインタビューでは、カーボンニュートラル社会の実現に向けて期待が高まるリチウム硫黄電池の最新研究について伺いました。

研究環境の構築:長年取り組んだ研究とその転機
ドライルームで研究されているそうですが、そのきっかけをお聞かせいただけますか?
私はこれまで長年、リチウムイオン電池やキャパシタの研究を行ってきました。特に関西大学に着任してからは、研究環境が大きく変わり、本格的にリチウムイオン電池の研究に取り組むことができるようになりました。2003 年頃、私立大学学術研究高度化推進事業という文部科学省の助成金に採択されたことが大きな転機でしたね。この助成金により、ドライルームという特殊な実験室を設置することができたんです。これは湿度を100 万分の1程度まで下げることができる設備です。当時、このような設備を持っていたの
は全国でも数か所程度だったはずです。
ドライルームの重要性について、教えていただけますか?
ドライルームは、リチウムイオン電池の研究において非常に重要な役割を果たします。リチウムは非常に活性が高く、空気中の水分と反応しやすいため、極めて低い湿度環境が必要なのです。ドライルームがあることで、リチウムを含む材料や電池セルの取り扱いが可能になり、より精密な実験や測定ができるようになりました。
その研究環境を活かして、どのような研究を進められたのでしょうか?
リチウムイオン電池の性能向上や新しい電極材料の開発など、様々な研究テーマに挑戦することができました。高度な研究環境があったからこそ、複雑な実験や精密な測定が可能になり、新しい発見につながったのです。例えば、電極材料の微細構造と電池性能の関係を詳細に調べることができました。電子顕微鏡や放射光施設を使った分析と、ドライルームでの電池作製・評価を組み合わせることで、材料の構造が電池の性能にどのように影響するかを明らかにすることができました。
リチウム硫黄電池との出会い:軽さの秘密
リチウムイオン電池から、リチウム硫黄電池の研究にシフトされたきっかけは?
直接のきっかけは2009 年頃、横浜国立大学の渡邉正義先生から、リチウム硫黄電池の研究プロジェクトに参加しないかというお誘いを受けたことです。リチウム硫黄電池は、理論上、現存する電池の中で最も高いエネルギー密度を持つ可能性があります。言い換えれば、この世で最も軽い電池の候補なんです。これは、カーボンニュートラル社会の実現に向けて非常に重要な特性です。
リチウムイオン電池とリチウム硫黄電池の違いについて教えていただけますか?
リチウムイオン電池とリチウム硫黄電池の主な違いは、正極材料と動作原理にあります。
リチウムイオン電池は、正極に金属酸化物(例えばコバルト酸リチウム)を使用し、負極には主にグラファイトを使用します。充放電の際、リチウムイオンが正極と負極の間を行き来する「インターカレーション反応」という仕組みを利用しています。
一方、リチウム硫黄電池は、正極に硫黄を使用し、負極に金属リチウムを使用します。充放電時には、硫黄とリチウムが化学反応を起こし、ポリスルフィドという化合物を形成します。この反応は「コンバージョン反応」と呼ばれ、インターカレーション反応よりも多くのエネルギーを蓄えることができます。
理論的なエネルギー密度、すなわち電気エネルギーを溜める能力を比較すると、リチウムイオン電池が約380Wh/kg であるのに対し、リチウム硫黄電池は約2600Wh/kg と、約7 倍も高いのです。これが、リチウム硫黄電池が「最も軽い電池の候補」と言われる理由です。
また、硫黄は地球上に豊富に存在し、環境への影響も比較的小さいため、サステナビリティの観点からも優れています。
実用化に向けての課題は?
最大の問題は、硫黄が電気を通しにくく、また反応中に溶けやすいという点です。これは、電池の性能と寿命に直接影響する重大な問題でした。
これらの課題を克服するために、我々のチームは炭素のナノ孔の中に硫黄を閉じ込める技術を開発しました。具体的には、数ナノメートル以下の炭素の穴の中に硫黄を入れることで、どんな電解液を使っても安定して充放電できるようになったのです。これにより、硫黄が電解液に溶け出す問題と、硫黄の低い導電性という二つの大きな課題を同時に解決することができました。
この技術開発により、プロジェクト開始当初は電極の中に硫黄を20% 程度しか入れられなかったものが、10 年後には50% 程度まで増やすことができました。これは非常に大きな進歩です。電極中の硫黄の割合が増えるということは、電池全体のエネルギー密度が向上することを意味します。充放電に伴う体積変化の制御も大きな課題でした。硫黄は充放電時に大きな体積変化を起こすため、電極構造が崩れやすいのです。これに対しては、柔軟性のある炭素材料を用いたり、バインダー(結着剤)を工夫したりすることで、体積変化に耐える電極構造を開発しています。
GteX プロジェクト:カーボンニュートラルへの貢献
現在取り組んでいる研究プロジェクトについて教えてください。
現在、私たちはGteX プロジェクトという新しい研究プロジェクトに取り組んでいます。このプロジェクトは、JST(科学技術振興機構)が主導する「グリーン・トランスフォーメーション( GX )技術研究開発事業」の一環として行われています。
私がチームリーダーを務める電池開発プロジェクトには、京都大学、九州大学、早稲田大学、慶応大学など8 機関15 名の研究者が参加しています。GteX プロジェクトに選ばれたということは、まさにカーボンニュートラルに有効であると公的に認められたことを意味します。
GteX プロジェクトの具体的な目標を教えていただけますか?
GteX プロジェクトの主な目標は、リチウム硫黄電池の性能をさらに向上させ、実用化に向けた技術的な課題を解決することです。具体的には、エネルギー密度を現在のリチウム硫黄電池の2 倍以上に高めること、1000 回以上の充放電サイクルでも80% 以上の容量を維持すること、そしてー30℃から60℃の広い温度範囲で安定して動作することを目指しています。
また、このプロジェクトでは、材料開発だけでなく、電池の製造プロセスや安全性評価など、実用化に向けた総合的な技術開発も行っています。産学連携を強化し、実際の応用を見据えた研究開発を進めているのが特徴です。
具体的にどのような応用が考えられるのでしょうか?
例えば、現在の電動航空機は、バッテリーの重量が大きな制約となっています。短距離飛行しかできず、搭載できる人員や貨物も限られています。しかし、リチウム硫黄電池を使用することで、同じ重量でより多くのエネルギーを蓄えることができます。これにより、飛行距離の延長や搭載量の増加が可能になるのです。
具体的な数字を挙げると、現在の小型電動航空機の飛行可能距離は100km程度ですが、リチウム硫黄電池を使用することで300km 以上に延長できる可能性があります。これは、地方路線や短距離国際線での実用化につながる重要な進歩です。
さらに、ドローンの分野でもリチウム硫黄電池の活用が期待されています。より軽量な電池を使用することで、ドローンの飛行時間を大幅に延ばすことができます。これは、長距離の物資輸送や長時間の監視任務など、様々な用途でドローンの性能を向上させることにつながります。
例えば、現在の高性能ドローンの飛行時間は30 分程度ですが、リチウム硫黄電池を使用することで2 時間以上に延長できる可能性があります。これにより、災害時の広域探索や長距離物流など、これまで困難だった用途にもドローンを活用できるようになるでしょう。
低炭素社会への貢献について、詳しく教えていただけますか?
リチウム硫黄電池の開発は、低炭素社会の実現に大きく貢献すると考えています。例えば、航空機への応用を考えると、現在の航空機は化石燃料を大量に消費し、多くのCO₂ を排出しています。電動航空機の実用化が進めば、航空分野でのCO₂ 排出量を大幅に削減できる可能性があります。
また、ドローンの活用が進めば、物流や点検作業などでの車両の使用を減らすことができ、これもCO₂ 排出量の削減につながります。さらに、リチウム硫黄電池は再生可能エネルギーの大規模貯蔵にも適しています。太陽光や風力で発電した電力を効率的に蓄え、必要な時に使用することで、再生可能エネルギーの普及を後押しすることができるのです。
応用分野の広がり:空と宇宙へ
リチウム硫黄電池は、宇宙開発の分野でも応用が期待されているということですが。
はい。宇宙分野での応用も進めています。実際に、我々の開発した電池は宇宙でも使用されました。JAXA の曽根理嗣先生や東京大学の中須賀真一先生のご協力で、硫黄電池に先立って、まずイオン液体リチウム電池を小型人工衛星に搭載する機会を得ることができたのです。
これは非常に貴重な経験でした。宇宙環境での放射線や真空、極端な温度変化などの厳しい条件下でも、我々のイオン液体電池は正常に機能することが実証されたのです。この成功は、イオン液体をリチウム硫黄電池に使用して高性能な宇宙用電池とする発想を導いてくれました。
宇宙での応用は、今後さらに重要性を増すと考えています。例えば、月面探査や火星探査などの長期ミッションでは、高性能で軽量な電池が不可欠です。リチウム硫黄電池は、そのような極限環境下での使用に適した特性を持っています。
宇宙用イオン液体リチウム二次電池の地上における超高真空試験の様子
宇宙での具体的な応用例を教ていただけますか?
月面探査を例に挙げると、現在計画されている有人月面基地では、夜間や日陰期間の電力供給が大きな課題となっています。月の夜は約14 日間続き、この間太陽光発電ができません。リチウム硫黄電池は、その高いエネルギー密度を活かして、この長期間の電力供給を可能にする潜在的な解決策となり得ます。
火星探査においても、リチウム硫黄電池の軽量性は大きな利点となります。火星への輸送コストを考えると、できるだけ軽量な機器を使用する必要があります。リチウム硫黄電池を使用することで、より長期間、より広範囲の探査が可能になるかもしれません。
人工衛星搭載のラミネートセルと制御モジュール(背後の黒ブロック)
地上での応用:再生可能エネルギーの要に
地上での応用についてはいかがでしょうか?
地上での大規模エネルギー貯蔵システムへの応用も期待されています。再生可能エネルギーの普及に伴い、太陽光や風力で発電した電力を効率的に蓄える技術の需要が高まっています。リチウム硫黄電池は、資源が豊富で低コストという特徴があるため、大規模な蓄電システムに適しているのです。
例えば、現在使われているナトリウム硫黄電池という大型の蓄電システムがあります。これは高温で作動する電池で、主に電力会社などで使用されています。我々が開発しているリチウム硫黄電池は、常温で作動するため、より安全で使いやすいシステムになる可能性があります。
自動車への応用はどうでしょうか?
自動車への応用については、現時点ではまだ課題が多いです。自動車の場合、重量よりもコンパクトさが重要になります。リチウム硫黄電池は軽いのですが、必ずしもコンパクトではありません。ただ、将来的には自動車用途でも可能性はあると考えています。特に、長距離走行が必要な大型トラックなどでは、リチウム硫黄電池の高エネルギー密度が活きてくるかもしれません。
現在の研究における最大の課題は何でしょうか?
現在の最大の課題は電池の長寿命化です。充放電を繰り返すうちに、電池の内部で少しずつ変化が蓄積され、性能が低下していきます。この変化を最小限に抑えるための材料開発や構造設計が必要です。
充放電に伴う体積変化を抑える材料の開発や、電極構造の最適化などを行っています。例えば、硫黄と炭素の複合材料の構造を精密に制御することで、充放電時の体積変化を最小限に抑えることができます。また、電解液の改良も重要な課題です。硫黄の溶出を抑制しつつ、イオンの移動を促進するような新しい電解液の開発に取り組んでいます。
その他の研究の動向はいかがでしょうか?
最近では、ナノ構造制御による性能向上や、新しい電解質材料の開発など、興味深い研究成果が次々と出てきています。例えば、グラフェンやカーボンナノチューブなどの新しい炭素材料を用いることで、電池の性能を飛躍的に向上させる研究が進んでいます。
また、固体電解質を用いた全固体リチウム硫黄電池の研究も盛んです。これが実現すれば、安全性や信頼性が大
幅に向上し、より幅広い用途に適用できるようになるでしょう。
リチウム硫黄電池技術の未来についてどのようにお考えですか?
これからの10 年、20 年で、リチウム硫黄電池技術は大きく進展すると思います。特に、人工知能( AI )やマテリアルズ・インフォマティクスなどの新しい技術を活用することで、材料開発のスピードが格段に上がるでしょう。AI を用いて膨大な材料データを解析し、最適な電極材料や電解質を予測することが可能になるかもしれません。
硫黄電池の研究は、まだ道半ばです。しかし、この技術が実用化されれば、エネルギー問題の解決に大きく貢献できると確信しています。エネルギー問題の解決は、私たち研究者だけでなく、産業界や政府、そして一般の方々も含めた社会全体で取り組むべき課題です。皆さんのご理解とご支援をいただきながら、これからも研究を進めていきたいと思います。
特集Roadmap to Carbon Neutrality
再生医療技術 サンゴ礁再生
関西大学発の技術革新が切り拓くカーボンニュートラルの未来
化学生命工学部 化学・物質工学科 教授 上田 正人
社会安全学部 安全マネジメント工学科 教授 高橋 智幸
地球環境問題が深刻化する中、世界的に脱炭素化の流れが加速しています。関西大学ではカーボンニュートラルの実現に向け、2022年10月、「カーボンニュートラル研究センター」を設立し、脱炭素社会を目指した文理融合型の教育・研究活動を推進してきました。
「サンゴ礁再生プロジェクト」はセンター設立前の2014年に、防災や環境問題をテーマに研究を行う高橋智幸教授の発案により、学術分野を横断してスタートしたプロジェクトです。
地球上で最も生物多様性の豊かな場所と言われるサンゴ礁。気候変動に伴う海水温の上昇などにより、3分の1以上が絶滅の危機にあります。その一方で、近年サンゴが成長の過程でCO₂を固定する働きが再評価されており、カーボンニュートラルの観点からも注目を集めています。
こうした地球規模の課題に対し、「サンゴ礁再生プロジェクト」のメンバーの一人、上田正人教授は、自身の専門分野である「再生医療技術」を活かして、効率的にサンゴを増殖させる新たな手法を開発しました。
「サンゴの専門家ではないからこそできる斬新な発想から生まれた」という画期的な手法の全容から、サンゴが果たす「ブルーカーボン」としての役割、そして今後の展望に至るまで、上田教授と高橋教授に語り合ってもらいました。
再生医療分野の知見が革新的な技術開発の糸口に
関西大学では、高橋先生の声かけによって異分野の研究者が集まり、2014年からサンゴ礁の再生促進技術の研究開発が進められてきました。このプロジェクトが始まった経緯を教えてください。
高橋:私は水理学が専門で、水災害に関する防災・減災の研究を行ってきました。その中で、水の流れによって生じる「流力振動」と呼ばれる自然現象を利用して、海水中で発電できる技術を開発しました。この技術をどう活用しようかと考えていたとき、「サンゴに微弱な電流を流すと成長率が上がる」ことを知って、これはサンゴ礁の再生に使えると思ったんです。そこから、サンゴに電気を流す土台をどんな材料にするか、基盤に付ける電極をどんなものにするかといった、さまざまな分野の知識が必要になり、学部を越えた教員が集まる研究グループを立ち上げることになりました。そうした中、上田先生はいつの間にかメンバーになっていました。
上田先生は再生医工学、バイオマテリアルを専門とされていますが、どんなきっかけでこのプロジェクトに参加されたのですか?
上田:2015 年にサンゴ礁再生の研究グループから、海水中で使える金属材料に関する相談があったことがきっかけです。その流れで研究グループに参加することになりました。サンゴは全くの専門外ですし、当時はバイオマテリアルの研究に没頭していたので、最初は全く興味が持てなかったんですけどね。
高橋:とは言いつつも、これまで上田先生は新しいアイデアをいろいろと提案してくれて、研究をどんどん前に進めてこられました。今では上田先生が前面に出てこのプロジェクトを引っ張ってくれています。
上田先生が、元々専門外だったサンゴの研究にそれほど力を注ぐようになったのはなぜですか?
上田:私は人工関節に使われるチタンの表面でヒトの骨を早期に馴染ませ、成長させることを主に研究してきました。サンゴ礁再生のお話をいただいたとき、興味本位で解剖学の資料を調べてみると、脊椎動物とサンゴの骨格の形成メカニズムが全く同じであることに気がついたのです。これまでの研究から、チタンの表面に酸化処理をすると骨の細胞が人工関節にくっつきやすくなり、骨の形成を促進させることがわかっていたので、この酸化処理を施したチタンがサンゴの成長にも使えるかもしれないと考えました。そこでサンゴの断片を人工関節と同じ材料のチタン棒に接触させると、サンゴ表面の軟組織であるポリプが旺盛に広がっていきました。サンゴはチタンを骨格だと誤認識して成長したようです。こうした新たな発見が、サンゴの研究にのめり込むきっかけになりました。
(左)化学生命工学部 上田 正人 教授、(右)社会安全学部 高橋 智幸 教授
この画期的な発見を起点として、どのように研究を進めてこられたのでしょうか。
上田:手探りでサンゴについて調べていく中で、次に私たちが出合ったのが、サンゴ表面にいる軟組織「ポリプ」のストレス忌避反応でした。水温上昇など周囲の環境が悪化すると、そのストレスによってポリプが骨格から逃げ出す『ベイルアウト』と呼ばれる現象です。この反応はネガティブなものと捉えられていますが、再生医療の研究者にとって、組織から単離した細胞やその集合体を増殖させ、それによって骨格を造らせることは極めて自然な発想ですし、薬品を使わずに軟組織が剥離してくれるなんて超ラッキーだなと思いました。そこで、この反応を人工的に誘発し、サンゴ片からポリプを採取する研究に着手しました。
再生医療技術を利用した増殖法が従来以上に"高効率"な理由とは
まさに再生医療分野の知見が斬新な発想につながったのですね。現在はどこまで研究が進んでいますか?
上田:ポリプにストレスをかける方法として選択したのが、海水の塩分濃度の上昇でした。剥離後のポリプはかなり弱っているので、早期に回復させるためにもストレスをかける時間をできるだけ短くすることが重要です。現在までに、サンゴが入った海水の塩分濃度を5 ~ 6% まで上昇させて保持すると、数時間でポリプが取れることがわかっています。さらに、採取したポリプをチタン製の基盤に固定化して育てる技術も開発しています。チタンは軽い、強い、錆びないが特長の金属で、海水中でも化学的に安定で環境にも負荷がなく、サンゴの増殖基盤として非常に有用だと考えています。
サンゴが「酸化したチタンを異物と認めず」自分の骨格であると誤認識し、被覆膜を伸している。
再生医療の視点から開発された手法が、従来の方法よりも"高効率"な点について教えてください。
上田:サンゴの増殖は、サンゴの枝を切断した断片を岩盤などに移植して行うのが一般的です。ただし、サンゴの切断には人手がかかるうえ、断片を取り出されたサンゴへのダメージも大きい。それに、一つの断片が一群体にしかならないというデメリットもあります。これに対して、ポリプを採取する方法では、例えば数cm 程度の断片から種類にもよりますが約200 個のポリプを取り出すことができます。つまり、一度の操作でサンゴの発生起点を大量に作製できることが、高効率と言えるポイントです。さらに、人手がかから
ず、薬品や特殊な装置も不要、親サンゴへのダメージも最小限に抑えられるなど、良いことづくめです。
また、ポリプをチタン製の基盤に素早く固定化することで、サンゴの高効率な増殖も可能になります。これまでに取り出したポリプを培養し、新たな骨格を作ることに実験室レベルで成功しています。これらはサンゴの素人だからこそできるアプローチなのかもしれません。
サンゴの飼育環境は、どのように整備しているのですか?
上田:ポリプは環境に敏感なので育てるには高度な技術が必要です。安定的に成長させるために、イオン濃度や水温、光など水槽の環境を徹底管理する技術を持つベンチャー企業、株式会社イノカの協力のもと研究を行っています。実は私はサンゴが縁で、2022 年6月にイノカのCTO(最高技術責任者)に就任し、さらに充実した研究環境を整えてきました。
その一方、鹿児島の与論島、和歌山の串本町などでは実際に海に潜っての実地実験も行っています。採取したポリプをチタン製の基盤上で育てて海に戻していく方法が確立できれば、その土地のサンゴを増やすことができるので、生態系の保全という観点でも意義が大きいと思っています。
この研究の次のステップについて、どう考えていますか?
上田:開発した手法でポリプを単離できるサンゴは、現時点で数種類にとどまっています。そのため、より多くの種類のサンゴで使える方法を探っているところです。特に日本で最もポピュラーなサンゴであるミドリイシで単離を成功させることが一つの目標です。また取り出したポリプはすぐに弱ってしまうので、長期間、安定して飼育することがまだできていません。そこにも挑戦しているところです。研究室でポリプを基盤に固定させ、掛け流し型の水槽の中で一定期間飼育した後、海に戻して経過観察を行うトライアルを繰り返しながら、最適な育成方法を確立していきたいと思っています。
高橋:上田先生はサンゴの研究と並行して、元々の専門である再生医療の研究にも変わらず精力的に取り組まれています。サブテーマの研究を論文にまとめるのは難しいところを、上田先生はきちんと論文にして発表されている。研究の構想力や実行力はもちろん、成果をまとめ上げる力も素晴らしいと思っています。
高橋先生が開発された海水中で発電する技術は、今後どう活かされるのでしょうか?
上田:そこは今模索中なんですが、個人的にはサンゴの成長よりも基盤への着床促進に使うのが良いんじゃないかと考えています。可能性は大いにあるので、今後は本腰を入れて取り組んでいきます。
高橋:私の技術の使い道は、もう上田先生におまかせします(笑)。現在、サンゴ礁再生プロジェクトには、4 つの学部の教員が関わっていて、さらに他大学やNPO とも連携し、バラエティーに富んだグループがつくられています。それぞれが違った立場で議論できることが、プロジェクトの推進力となり、画期的な成果に結びついていると感じています。
ブルーカーボンとしてのサンゴ礁の可能性を追究
上田先生にとって、門外漢から始めたサンゴ研究のやりがいや面白さはどこにありますか?
上田:一番のやりがいは、「サンゴを増殖させることがカーボンニュートラルの達成にもつながる」ところです。サンゴの骨格は炭酸カルシウムでできているので、" 二酸化炭素の塊" とみなすことができます。つまり、サンゴが成長すると海底に炭素を安定的に固定できるのです。さらに、サンゴは動物でありながら植物と同じように二酸化炭素を吸収して酸素をつくり出します。これはサンゴのポリプに共生する褐虫藻が行う光合成によるものです。
サンゴにはCO₂の吸収方法が骨格形成と光合成の2つがあるんですね。
上田:そうなんです。炭素固定というと、通常は光合成を想像しがちなんですが、サンゴでは光合成よりも、骨格形成によって炭素を長期的に固定する働きの方が重要だと考えています。ただし、サンゴの成長は種類によっては1 年に数cm とすごく時間がかかるので、サンゴは炭素固定に無関係だと考えられてきたんです。でも、何億年という地球の歴史の尺度で見ると、地球上の炭素循環をサンゴが担っていることは明らかです。短期間の炭素吸収量に振り回されるのではなく、10 年、100 年単位での吸収量やその安定性などにも着目してもらいたいですね。
気候変動対策の新たな手段として、海洋生態系によって炭素を取り込んでいく「ブルーカーボン」に世界的な関心が高まっています。サンゴが果たすブルーカーボンとしての役割について、考えをお聞かせください。
上田:ブルーカーボンが注目される最大の理由は、海洋におけるCO₂ 吸収量が多いことにあります。海洋植物は陸上の森林に比べて単位面積あたりの吸収量が2 倍以上という調査結果もあるほどです。私たちが目指すのは、サンゴ礁の再生によって、ブルーカーボンによるカーボンニュートラルを少しでも効率的に進めていくことです。そこで重要になってくるのが、ブルーカーボンの効果を見える化し、取引可能にするカーボンクレジット認証です。カーボンクレジット認証を受けるためには、炭素の吸収・貯留能力が高く、測定可能であることが求められますが、サンゴは、炭素固定のプロセスが複雑で正確な吸収量の測定が難しいため、現時点でカーボンクレジットの対象となっていません。だからこそ、そこに挑戦していこうとしています。
サンゴのカーボンクレジット認証に向けて、どんな取り組みを進めているのでしょうか?
上田:サンゴ礁によるCO₂ の吸収量を正確に測定する手法の開発に向けて動き出しています。これを実現するためには、骨格形成と光合成の両方の働きを定量的に把握することが必要です。そこで、まずはサンゴを飼育している水槽の側にCT 装置を置いて、同じ個体を追跡して成長をつぶさに観察し、単位時間あたりの骨格の増加量を計測しようとしています。それと併せて、サンゴ周りのCO₂ の吸収量と酸素の発生量を測定し、これらの結果をもとに、サンゴの増加量からCO₂ の吸収量を算出する方法の確立を目指しています。正確な吸収量がわかれば、企業もサンゴに対して脱炭素に向けた投資を進めやすくなります。近い将来、必ず実現したいと思っています。
高橋:サンゴ礁のカーボンニュートラルに関する認証を目指す取り組みには、大学としても注目しています。ただ、サンゴの保全や再生に向けた研究が盛んに行われている一方で、未だ有効な解決策が見出されていない状況をまずはなんとかしたい。そのためには、上田先生が開発された手法を世界中の自然保護団体などに使ってもらえるように実用化することが先決だと思っています。関西大学発の技術を広く普及させることで、サンゴを増やし、カーボンニュートラルの促進につなげていきたい、と夢は広がります。
積極的な発信で認知を広げ、"関大サンゴ"をブランドに
関西大学ではカーボンニュートラルの取り組みの発信にも力を入れています。
2025年大阪・関西万博では展示の予定もあるそうですね。
高橋:はい。大阪・関西万博の大阪ヘルスケアパビリオン内に設置される「リボーンチャレンジ」という展示企画に教育機関として唯一参画し、本学の教育・研究リソースと大阪が誇る中小・スタートアップ企業の技術を融合させた展示を行います。その中で、本学にゆかりのある出展企業の一つとして、上田先生がCTO を務める株式会社イノカが採択されています。
上田:万博では、水質、水温・光など各種パラメーターの精緻な調整が可能な水槽を設置し、チタンを活用したサンゴの増殖技術と実験の様子をお見せする予定です。
高橋:楽しみですね。大阪・関西万博がコンセプトの一つに掲げるSDGs は、カーボンニュートラルとも密接に関わっています。本年8 月に展示を行いますので、学生たちはもちろん、50 万人の卒業生にもぜひ見に来てもらいたいと思っています。
上田:サンゴは時間をかけて成長するので、サンゴ礁再生まで考えると研究はまさに長期戦です。こうした環境問題に関する取り組みは大学や企業だけでなく、広く一般の方々と問題を共有し、一緒に取り組んでいく必要があると考えています。万博で展示をするのも、この研究を知ってくれる人を一人でも多く増やしたいという一心からです。展示を見てくれた学生や子どもたちの中から、将来この研究を引き継いでくれる子が出てくるといいなと思っています。
高橋:カーボンニュートラルの大切さと難しさを理解するためにも、やはり学生たちには先生の研究を間近で見るだけでなく、実際に関わってもらいたいと常々思っています。上田先生には学生たちと一緒に、" 関大サンゴ" を一つのブランドにしていってほしいですね。まずは5 年後の2030 年がカーボンニュートラルにとって重要な年ですので、ここまでには研究の成果を明確にしてもらいたいと思っています。
上田:それはプレッシャーですね。とはいえ、私はサンゴと再生医療の研究を並行してやっているからこそ、新しい景色が見えてきていると思っています。将来的には、サンゴの再生で得られた知見を再生医療にフィードバックしたいという思いもあるんです。そういえば最近、チタン製の再生医療デバイスから出た" 削り屑" を再利用して、サンゴの再生に活かしていく新たなプロジェクトもスタートしたんですよ。
高橋:それはまた面白い試みですね。学内外でネットワークを広げて、新たな取り組みにどんどんチャレンジして形にしていく上田先生の実行力に改めて感服します。今後の研究の進展を大いに期待しています。そして大学としては、カーボンニュートラルに向けた取り組みを本学のさらなる発展につなげていきたいと思います。