【関大社会安全学部 リレーコラム】杞の国の人とカサンドラ

延期されていた東京オリンピックの日程が近づいてきました。個人的には東京への出張が減り、遠いところの話であって自分には関係がないように感じています。実際はわれわれの生活に大きく影響する話ですよね。
オリンピックの開催が国内の感染状況に及ぼす影響などを専門家が検討しています。でも、感染拡大のリスクの感じ方が人により異なり、議論がきちんとされていないようにも思います。
例えば、選手や関係者を泡のように包み、外部と遮断する「バブル方式」などの感染対策を徹底すれば大丈夫という意見があります。感染拡大などは杞憂(きゆう)だ、ということですね。杞憂とは、天が落ちてくるといったありえないことを杞の国の人が心配していた、という故事からきていますが、無駄な取り越し苦労をしているので、杞の国の人は不幸ですね。
もし、感染拡大が起きると、心配していた人が正しかったことになります。でも、災いが起きてしまったので、うれしい話ではありません。ギリシャ神話のカサンドラは、正しい予言をしても呪いによって誰にも信じてもらえなかったそうですが、同様の悲劇です。
防災においても、大災害が予測された場合は同じような話になります。信じがたい(信じたくない)予測結果の場合、自分が杞の国の人なのか、カサンドラなのか、実際に起きるまでわからないように思います。
悪い内容の予測や予言の扱い方は難しい、という話ですが、方策はあります。悪い内容であっても、きちんと直視して議論する、ということです。自然を前に人間にできることはこれしかありません。
(関西大学社会安全学部教授 一井康二)(2021-06-21・大阪夕刊・夕刊特集掲載)