【関大社会安全学部 リレーコラム】計れない価値をどう守るか

2度目の緊急事態宣言が解除された3月某日、ゼミ生とともに兵庫県南あわじ市内にある喫茶店にいました。入りづらさを感じ、しばらく入店を躊躇(ちゅうちょ)したものの、意を決して店の奥に感じた気配の主である女性に声をかけ、営業中の喫茶店であることを知り安堵(あんど)したのが数分前のことだとは思えないくらいに、私たちはリラックスしてコーヒーを飲み、テーブルの上にある菓子をつまんでいました。
店内には客らしい女性が2人、店主と世間話を楽しんでいました。彼女らは何も注文していない様子でした。店主によると、こういう近所の常連客たちとの時間が楽しいのだという。テーブルの上の菓子も客らが持ってきたもので、みなで自由に食べているのだそうです。まるで祖父母の家の居間でくつろいでいるような気分になりました。コロナ禍で人間関係が希薄になっています。そうした日々がこの雰囲気をいつも以上に心地よく感じさせたのでしょう。
さて、私たちはお茶をするために喫茶店に入ったのではありません。観光客の行動範囲を把握する調査のために、まちの中に点々と存在する飲食店をまわっていたのです。しかし、私はいつの間にか調査の目的を忘れ、東日本大震災の被災地で何度も聞いた「震災でぽっかりと開いた穴が塞がらない」というような住民の言葉を思い出していました。そして、その穴の正体は、前述の喫茶店のような場の喪失感なのではないかという考えが頭の中に浮かんでいました。
南海トラフ巨大地震では何百兆円もの経済被害が試算されています。この被害を少しでも小さくし、この災害を国難としないことが重要であることは論をまちません。しかし、ほとんど経済被害に影響しないようなこうした飲食店の価値をどのように計り、その損失を小さくするのかという問題にも目を向けなければなりません。こうした店舗には金銭的には計り知れない価値があるように思えてならないからです。
(関西大学社会安全学部教授 奥村与志弘)(2021-04-19・大阪夕刊・夕刊特集掲載)