【関大社会安全学部 リレーコラム】災害の傷痕に学ぶ国の姿

新緑の季節なので、嵐山のトロッコ列車に乗ってきました。保津川の渓谷もきれいですね。でも、かなり広い範囲で、山の斜面に木が倒れているのが目につきます。なんでも、昨年の台風の被害だとか。かなり痛々しい姿です。

「国破れて山河在り」といいますが、実際には災害で山や川もその姿を変えることがあるのですね。一本の木が育つには数十年の月日を要するでしょうから、保津川の渓谷が元の姿に戻るには、まだまだ時間がかかりそうです。とはいえ渓谷はきれいですし、いつかは元の姿にも戻ってくれることでしょう。

一方で、「国破れて」は戦争で国が滅んだことを指すそうです。国難に遭遇して国の姿が変わったことともいえるでしょう。では、災害により、「国破れ」ることはあるのでしょうか?

1970年に東パキスタンを巨大なサイクロン、日本でいう台風が襲いました。この被害は甚大で、災害後の対応をめぐって政治的な対立が激化し、71年のバングラデシュ独立につながったそうです。災害以外の要因もあるでしょうが、災害をきっかけに国の姿が変わり、その痕跡をわれわれは地図上で確認することができるわけです。

こう考えると、災害の傷痕はいたる所に残っているといえます。特に巨大災害は、経済被害だけでなく、メンタルな影響も通じて国の姿に大きく影響を及ぼしていると考えられます。歴史を学ぶことは、災害の傷痕としての国の姿の変遷を学ぶことかもしれません。

令和の時代に入りましたが、平成の大災害の傷痕が完全に癒えたわけではありません。災害の影響などで国の姿が変化していくことがあっても、良い方向への変化であるように、それぞれの時代で努力をしていく必要があると思います。
(関西大学社会安全学部教授 一井康二)(2019-06-17・産経新聞 大阪夕刊・3ページ掲載)