【関大社会安全学部 リレーコラム】「教訓」は自らの判断が重要

11月5日は世界津波の日でした。日本が制定した9月1日の防災の日とは違い、世界津波の日は国連によって制定されました。世界中の国々が互いに津波災害の教訓を共有し、災害に強い社会を作る、そのような機運が高まりつつあります。しかし、「教訓を生かそう」とは、誰もが子供の頃から言われますが、実は簡単ではないと今更ながらに痛感しています。

私は10年以上、防災の研究をしています。しかし、教訓として書かれていることを実行に移すことが「教訓を生かす」ことだと勘違いしていたようです。

さまざまな文献に記されている教訓は、それを書いた人々が教訓だと考えたこと、将来経験するかもしれない災害にどう備えるか、それは自分の責任で自ら判断しなければなりません。たとえ書かれていた通りのことをすることになっても、です。

1854年11月5日(旧暦)に安政南海地震は発生しました。この時、紀州・広村(現和歌山県広川町)の浜口梧陵(ごりょう)が、収穫された稲むら(稲束)に火をつけ、消火に集まった村人たちを大津波から救いました。この「稲むらの火」の逸話に由来して、世界津波の日は制定されました。その後の梧陵の活躍は、小学5年生用の教科書(光村図書)のなかの伝記「100年後のふるさとを守る」に書かれています。私が今、これらの文献から教訓としたいことは、防災の専門家ではない、梧陵と名もない村人たちの行動が津波から多くの命を救い、村の復興に大きな役割を果たしたということです。来年はまた違ったことを教訓としているかもしれません。教訓とはそういうものなのです。

読書の秋、世界津波の日は過ぎてしまいましたが、みなさんもこれらの文献を読み、自分だけの教訓を見つけてみられてはいかがでしょうか。
(関西大社会安全学部准教授 奥村与志弘)(2017-11-21・産経新聞 大阪夕刊・3ページ掲載)