文学部教員コラム

第99回 2009/07/18

『一枚の木簡をめぐって』

                                国語国文学専修  教授  乾 善彦

  一枚の木簡が、2008年5月23日付けの朝刊各紙をにぎわせた。「木簡に万葉歌」(朝日・読売・産経)、「万葉歌初の木簡」(毎日)、「万葉集の歌木簡初確認」(京都)、「木簡に万葉集の歌」(神戸)といった具合である。どの新聞も、「万葉集歌」が木簡に記されていたと報じている。ことの顛末は、つぎのようなものである。

 2007年に難波宮跡から発見された一枚の木簡、それは640年代後半のものとおもわれ、そこには「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」とある。これをどうよむかは異論があるが、一応「春草のはじめのとし」とよんでおく。漢字の音を利用して日本語を表音的にかきあらわす方法(われわれはこれを「仮名書」とよんである)の、現在、もっとも古い例となる。これを調査した大阪市立大学の栄原永遠男氏が、これによって歌を記すことだけを目的とした二尺余りの存在に注目し、それ以前に知られていた同類の木簡を再調査した結果、滋賀県宮町遺跡(紫香楽宮跡)から出土していた「なにはづ」の歌を書いた木簡の裏に、「阿佐可夜」「流夜真」といった文字を発見し、これが万葉集にのる「安積香山 影副所見 山井之 浅心乎 吾念莫国(あさかやま かげさへみゆる やまのゐの あさきこころを わがおもはなくに)」(巻16・3807)に一致するのではないかということになったのである。

 2008年3月に、奈良文化財研究所において、その検討会がもたれ、私もそれに加えていただいたわけだが、やはり「あさかやま」の歌とみてよいという結論に達した結果、5月の発表となった。実はそれまで、木簡に歌らしきものが書かれたものは何点か見つかっていたのだが、万葉集にある歌と一致するものはひとつも見つかっていなかったのである。多数発見されている有名な「なにはづ」の歌(難波津に咲くやこの花冬こもり今は春へと咲くやこの花・古今集仮名序)も万葉集にはのせられていない。

 この木簡が注目されるのは、万葉集にのるのと同じ歌がはじめて確認されたこともさりながら、一枚の木簡の表裏に、「なにはづ」の歌と「あさかやま」の歌が書かれていることである。この二首は、古今集仮名序において紀貫之が「歌のちちはは」としてつがいとして記述しており、このつがえが150年近くさかのぼることになるのである。

 しかし、問題も多い。このつがえが偶然である可能性を否定できないし、「あさかやま」の歌が万葉集にのるのと同じ歌である保障も、実はないのである。なによりも、書き方がちがう。万葉集にのる歌は、漢字を表語的に使った表記であり、木簡のそれは一字で一音をあらわす表音的な表記である。また、万葉集には、この歌がよまれた場が説明されているが、平安時代の『大和物語』では、同じ歌が異なる場面でよまれたことになっている。とすると、この木簡の歌がどのような伝承をもっていたかは不明としかいいようがないのである。となると、新聞各紙が見出しにあげる「万葉歌」「万葉集の歌」という表現は、「万葉集にのる歌とおなじ歌句をもつ歌」というのが正確であるということになる。これでは、センセーショナルな見出しとはなりえないだろう。

 報道と現実との間の温度差。近年とみに芸能情報化する社会面の見出しの、その様な温度差を今回の報道で実感した。うすうす感じていた近ごろの社会のヒステリックな感じは、こんなところにもあらわれている。もうすこしゆるやかな感覚を、すくなくとも関西大学では持ちつづけたいものである。

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