文学部教員コラム
『携帯電話と電子メール』
インターディパートメント 助教授 本村 康哲
近頃は、ほとんどの人が持っているであろう携帯電話。緊急時や急用の連絡には便利なため、私も8年ほど前から利用している。共同研究者との打ち合わせや学生諸君との連絡に今や欠かせない道具となっている。
ところで、私が使っている携帯電話は未だに通話しかできない。しかも時代遅れのモノクロ画面である。時々携帯電話の電子メールアドレスを聞かれることもあるが、残念ながらありませんと答えるしかない。携帯電話は話をするものであって、あんな小さなキーボードで電子メールを書くことは私には信じ難い。私にとって電子メールとは手紙の延長であり、パソコンの前でじっくりと時間をかけて考えながら書くものである。時には自分の書いた電子メールを一晩寝かせてから、翌日何度も読み直しては推敲し、意を決して「えいやっ」と送信ボタンを押すものである。
そんな調子で、学生諸君からもらった電子メールには、いつもパソコンから返事を書いていたのだが、ある時、とある学生から「先生、返事が遅いです!」と苦情をいただいてしまった。その人にとっては、電子メールは即座に返事がもらえなければ意味がないそうだ。人によっては多い時には日に何十通もの電子メールのやり取りをするらしいのだが、手紙というよりも会話に近いものなのだろう。打てばすぐに返ってくる返事は1行や2行だけの場合がほとんどである。こんなに短いメッセージならば、電話をするか直接会って話をする方がよかろうに、などと思ったこともあるが、通話するよりも電子メールの方が通信料金が圧倒的に安いということもある。あるいは、お互い忙しい身を慮った彼女/彼等なりの気遣いなのかもしれない。
ここ数年の携帯電話利用者の増加は著しい。その利用者のほとんどが電子メールを利用しているそうだ。パソコンで読み書きするメールアドレスは持っていなくても、携帯電話のメールアドレスを持っている人は多い。携帯電話と電子メールの普及は、家族、職場の同僚、友人、知人あるいは全くの他人からの、未だかつてないほど多くのメッセージをわれわれにもたらすようになった。私自身、日々多くの電子メールを受け取っている。しかし、一通も受け取らない日がある。そんな時、安堵とともになんともいえない寂寥感を感じ、他人とのやりとりの中で自己の存在を確認していた自分を発見する。技術の発展がもたらした緊密なコミュニケーションは、われわれの思考にどのような変化を及ぼすのであろうか。
そんなことを考えつつ、自分の鈍い頭を呪いながら、今日もパソコンに向かってせっせと返事を書くのであった。


