文学部教員コラム
『文字・活字文化の日に寄せて』
インターディパートメント 准教授 村上 泰子
10月27日は「文字・活字文化の日」である。この日、みなさんはどんな書物を手にとら れただろうか。
もう数年前になるが、岩波の冊子『図書』の中で、ある大学教授の書かれた一文を読ん で胸が熱くなったことを、今でも鮮明に思い出すことができる。
著者の学問上の恩師が癌の病床にあって余命いくばくもない頃、そのお見舞いに行かれ たエピソードが綴られていた。師は病床にあってもなお一冊の書物を傍らに置いて離すこ とがなかったという。こう聞くと、どんな哲学書だろうか、専門の最先端の本だろうかと 思ってしまうのだが、それはとりたてて難解な本などではなく、学生の入門書としてつと に知られ、何度も版を重ねている翻訳書であった。これを文字通りすりきれるまで読まれ、 「読むたびに新しい発見がある」が口癖だったそうだ。著者は師のそれほどまでの情熱に ついて、それは「何かに役立てようというようなことではなく、純粋に「知」そのものの 喜びと楽しみのためのものであった」と邂逅しておられた。
これを通して、二つのことに感銘を受けた。ひとつは書物や知に対する情熱である。師 の鋭い眼光は紙背に徹してなおその奥へと貫くほどのものであったに違いない。ともすれ ば情報の海に溺れて右往左往しがちな日常である。「すりきれるほど」読むに値する書物 との出会いは貴重であり、またその出会いを大切に育てていく姿勢をわたしたちは忘れが ちなのかもしれない。
もう一つは弟子の存在である。おそらくは師にとって、自らの思いを正面からしっかり と受けとめることのできる弟子に出会ったことがまた幸せだったのに違いない。わたしの 恩師は急逝してもはやこの世にいない。わたし自身、恩師の「知」への欲求のどれだけを 理解できていたのだろうか、と改めて考えるにつけ、その喪失感はただならぬほど大きく 感じられる。
だが、わたしの座右には師の残した書物がある。「すりきれるほど」読むに足る書物で ある。心底思いを寄せることのできる書物には、一生の間にそうたやすく出会えるもので
はないが、そうした書物に出会えた喜びを今改めて噛み締め、文字・活字文化の日の今夜 、また読み直してみようかと思う。


