文学部教員コラム
『ちょっと おふらんす』
フランス語フランス文学専修 教授 川神 傅弘
パトリック・モディアノの小説『家族手帳』に次のような場面がある。主人公は二日前に生まれたばかりの自分の娘の戸籍登録に出向く。子供の頃を眩いばかりに彩る想いでの美少女の名前が強烈に脳裏に刻み込まれていて、彼は"ゼナイード"という名前を役所の戸籍係に申請する。すると係りの女性は「その名は登録できません。フランスのカレンダーに載っていませんから」と言うのである。かの国では一年365日がほぼ、男であればポール、シャルル、ブノワ、女であればマリー、エリザベット、アガタといった聖人・聖女の祝祭日であり、命名には聖人名を用いるのである。そして自分の誕生日にはその日の聖人をも祝うのである。したがって苗字は別だが、フランス人の名前は日本人のそれに比べると少ないので幾つもの名を付すことになる。例えばジャン=ポール・サルトルのフルネームはジャン=ポール=シャルル=エマール・サルトルである。
また聖人は町や村、職業や病気の守護神でもある。ベニスの聖(サン)マルコが有名だが、フランスでは3600余りの町村が聖マルタンを守護神とする。聖ヨハネは作家・印刷業、聖クリスノピは靴屋、聖ルカは画家、眼病の神様は聖(サンタ)ルチア、安産は聖アンナ、妊娠した女性の守り神は聖ボーブという具合である。1997年以降こうした命名の規制は緩和されたらしいが、それでもやはりフランス人は習慣的に従来的な命名を行っているようだ。形骸化したとはいえこうした形で宗教は生きているのである。
海外で宗教を問うアンケートなどを求められると往々にして"自分は無宗教である"と誇らしげに表明する日本人が多いが、それは粋がって言うほどのことではないかも知れない。世界は、日本のように宗教を持たぬことに寛容な国ばかりではないからである。欧米、中近東、アフリカなどでは、宗教を持たぬ人間を"善悪の判断のつかぬならず者"とみなす人々がまだまだ少なくないのである。取敢えず"仏教徒です。あまり熱心な信者ではありませんが・・・"くらいで済ませるのが無難というところであろうか。因みにサルトルは無神論者であったが、「ジャン=ポール」は先年逝去された前ローマ法王ヨハネ=パウロII世と同じで、ヨハネ=パウロを意味する聖人の名前なのである。


