文学部教員コラム
『宙ぶらりんでみる異文化』
文化共生学専修 助教授 森 貴史
2006年3月11日、ぼくは中国、杭州にいました。ドイツのボン大学に留学していたときに知り合って、「義兄弟の契り」をかわした中国人の親友の結婚式に出席するためです。これはぼくにとって、はじめての中国大陸体験となりました。この友人の結婚式は、多くの親族が中国全土から集まってきて、なんともはなやかで、あたたかいものでした。
最初は、中国へいくのがちょっとこわかったというのが、正直な感想です。このように考えてしまったことの言い訳として、あの反日デモの様子を想像していただいたら、中国について勉強してらっしゃる方は許していただけるでしょうか。しかし、じっさいに現地にいってみると、これが杞憂にすぎなかったのは、いうまでもありません。そして、ぼくの「義兄弟」の故郷である杭州は、とても美しいところでした。
杭州の市街地は、工事中の区域が多く、また車や自転車がめまぐるしく行き交う、まさしく都市の喧騒にあふれていましたが、独特の明るい活気がありました。「義兄弟」のことばによれば、現在の中国は、日本の70年代と80年代になされた20年分の経済成長を、5年で成し遂げようとしているのだということです。
これとはうってかわって、この町のもうひとつの特徴をなしているのは、西湖(さいこ)という湖です。水上公園ともいえる、この西湖はいにしえの名勝をいまに伝えていました。南宋の時代、王都であった杭州は、すでに13世紀末、人口90万人をこえていたとのこと、さすがマルコ・ポーロも訪れた世界都市といえそうです。それゆえ、この湖や町をめぐる伝説や恋愛の物語もたくさん語り継がれているとのこと。
ところで、杭州という町にみられた〈近代化〉と〈伝統〉というこのふたつの性質は、じつは日本の都市でみられるものとよく似ています。このふたつはときおり、いびつな形で分裂していると思われがちですが、やはりそのどちらも不可欠な、現代の文化のあり方だと考えます。というのも、〈近代化〉の象徴であるとされる「文明」もまた、文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースの解釈にあるように、「文化の一形態」であるからです。
一般的に、ぼくたちはなにか見知らぬ対象を眼にするさいに、なにかの枠にはめて、たとえばふたつものの〈対立〉という図式のなかで見ようとします。これは、たしかにその対象について考えるのに、非常に便利で安定感があります。しかし、その対立項に帰すことができないものがあったばあい、どうすればいいのでしょうか。簡単に割り切れないもの、簡単に白黒をつけることができないものこそが、ほんとうは、多くの示唆をあたえてくれることがよくあるのではないでしょうか。
なにかの図式に頼らずに、いわば宙ぶらりんで、モノを考えるというのは、実はこれまた非常に困難な作業です。にもかかわらず、安易に答えを見出せないような、こうした思考の作業に、もっと時間をかけて身をゆだねてみれば、さらにべつの杭州を知ることができたのではないか。そう考えさせられる上海・杭州行でした。


