文学部教員コラム

第3回 2003/12/01

『どんな本を読んだらいいんですか?』

                                英語英文学専修  教授  秋元 秀紀

 先日、たまたま地域の小学校を訪れる機会があったので、ちょっと図書室を見学させてもらった。
 公立小学校のこぢんまりとした図書室なのだけれど、校舎一階から半円状に張り出すかたちのおもしろい構造になっている。室内も半円を描いて空間の広がりを感じさせ、大きな窓から暖かな陽がたっぷりと射し込んで心地よい。時間外なので子供たちの影はないが、書棚に並んだ一冊一冊に小さな人類たちの発見と驚きの痕跡がある(手垢まみれということです)。なぜだかわからないけれど、子供には生まれながらにして本への愛着がビルトインされているように思う。

 規模こそ比較にならないが、円形構造の図書室はかつての関大図書館を思い出させるもので、なんだかとても懐かしい。1985年に現在の総合図書館ができるまで、法文にある円形の建造物(現在は博物館)が本学図書館だった。学生がもっともよく利用する開架閲覧室も円形。ルネサンスから古代ギリシアまで遡及する世界観によれば、円はすなわち宇宙である。当時の開架閲覧室は宇宙を内包し、その中心から放射状に書棚が広がるかたちで異分野の書物が仲良く「背中合わせ」になり、あるいは「肩を並べて」いた。

 邪気のない小学生と違って、大学生ともなると「原初にあった無条件の本への愛着」を忘れてしまっている場合が少なくない。「どんな本を読んだらいいんですか」という質問を、特に下位年次の学生からときどき受ける。私のアドバイスは、図書館に行ってどの書棚でもいいからその前に立ち、目をつぶって最初に手に触れた一冊(『丸かじりドン・キホーテ』でもいいし『カンブリア紀の怪物たち』でもいい)を借り出して読んでごらん、という身も蓋もない(と自分でも思う)ものだ。実のところこの物言いは、学生時代に聞いたある先生の言葉をなぞっているだけの受け売りです。そんな馬鹿なことできないと思うでしょうね(私はそう思った)。でも、意外に効なしとしないのです(私はやってみた)。

 われわれは混沌としたアナログの現実に恣意的なデジタルの切れ目を入れて、差異からしか物事を認識できない。「これ」とは「あれでないもの」だ。このような罫線を引いて「識別」することを分節(articulation)と呼ぶ。「どんな本を読んだらいいかわからない」という学生は、分節以前のどろどろと茫漠たる世界を前にして途方に暮れているのであろう。けれど「どんな本を読んだらいいかわからない」という「事実確認的」な台詞は、何も変化をもたらさないんですよね。あなたにとって何が必要な書物かという設問への回答は、たとえ山中にこもって「私にとって必要な書物とは何であろうか」と沈思黙考すること十余年でもけっして得られない。まず、「これ」を手にとって読むという盲目的な跳躍が必要だ。「私はこの本を(とりあえず)手にとって読もう」という「行為遂行的」な言説こそ、「学」んで「生」きることをナリワイとする学生が発すべき台詞である(と思うんだけれど、ちがうだろうか)。

 書物を読む目的は、「知らなかったことを知るようになること」だと思うでしょう。統語法はほとんど同じだけれど、そこには「知らないことが何かを知ること」の部分がかなりある。別にソクラテスに倣って「無知の知」などとリッパなことを申し上げているのではない。自分が「知らなくてよい」ことや、おそらく自分は生涯知ることはないだろうけれど「そこ」にアクセスすれば知ることができるという領域を増やすこと。つまり、カオスとしての世界にささやかな罫線を引いて、自分の立ち位置を確認する個人用の「地図」を作成することが大事なのだと思う。

 振り返ってみると、アナログ的でジャンル横断的に書棚が放射状に並ぶ「宇宙」としてのかつての円形図書館は、「何を読んだらいいのかわからない」学生にとって福音であった。あなたがすべきことはただひとつ。「宇宙の中心」にただひとり立ち、西瓜割りの要領で目をふさいでその場でぐるぐる回る。よしと定めた方位に歩を進め、えいやと手を伸ばして最初に触れた一冊を、タイトルを確認することもなく借り出せばよい。

 現図書館の開架閲覧室は、その書籍の数においてかつてと比較にならないばかりでなく、あらかじめデジタル的な罫線を丁寧に入れて横一列に並べるという、きわめて合理的かつ近代的なものだ。とても使い勝手がよく検索も楽ちんである。ただ、整然とカテゴリー分類されて、人文科学と自然科学のフロアも厳として分かたれたそこには、もう円形宇宙の構想は見あたらない。残念ながら、ドン・キホーテの崇高なる愚行と、カンブリア紀に続々登場して消えていった奇妙キテレツ生物の運命に、「タッチの差」で分かれるという「宇宙論的幸福」を味わうことはできない。おそらく、昔日の図書館には一台たりとも存在せず、今では当たり前のように並ぶコンピュータの端末の列が、無限に広がる宇宙への入り口となっているのだろう。いかに世界がデジタル的に整序されようとも、やはりわれわれの前には混沌とした未知の領域が広がる。「私は(とりあえず)これを読むことにしよう」と一冊の本を手にするとき、混沌たる現実に一本のささやかな罫線を刻んでいることに変わりはないのかもしれない。

教員コラム