文学部教員コラム

第29回 2005/06/03

『ブラジル音楽ブームによせて』

                                教育学専修  助教授  山ノ内 裕子

1998年末から2002年の春にかけて、わたしはブラジル日系社会の人類学の調査を行っていたこともあって、ブラジルと日本を往復する生活をしていました。最初のブラジル調査から帰国してびっくりしたことは、MPB(Musica Popular Brasileira)、すなわちブラジル大衆音楽のブームです。それも、現在ブラジルで流行している音楽ではなく、ボサノヴァを中心とした1960~70年代のヒット曲が日本で流通しているのです。ブラジルではすっかり忘れられた、いわゆる「一発屋」の作品まで、日本で「再発見」されどんどんCD化されている(日本初CD化というアルバムも珍しくありません)と知ったときはさらに驚きました。中古アナログ盤は日本や欧米からの業者によって買い占められ、何倍もの値段で転売されています。こうしてブラジルでは古いMPBのアルバムはどんどん海外に流出し、国内では手に入れにくくなっています。

 日本においては、MPBのなかでも特にボサノヴァが「カフェミュージック」として、つまりおしゃれでお手軽な「癒し」の音楽として消費されています。カリオカ(リオっ子)の柔らかいポルトガル語の発音が心地よいのでしょうか。オリジナルアルバムよりも、気軽に聴くことのできるコンピレーションアルバムの方が売れているようです。それらのアルバムジャケットは、どれもおしゃれでかわいらしいデザインです。しかし、日本でこれだけブラジル音楽が流行しても、その歌詞や背景にあるブラジル社会に関心を持つ人はあまり多くありません。貧困や不平等、政治の腐敗など社会問題を取り上げた歌であっても、CD化される時点で歌詞カードが省かれているのですから、ポルトガル語の知識でもない限り、どのようなことが歌われているのか知る由もありません。また、音楽をきっかけとしてポルトガル語を勉強しようと思っても、ポルトガル語の教材や教室を探すのは困難です。NHKテレビの語学講座でさえ、スペイン語講座は開講されていても、ポルトガル語講座は開講されていないのです。(短期集中ラジオ講座がありますが、わずか10回の講義でポルトガル語をマスターするのは至難の技です)。

 ところで、わたしたちの社会にはこうした表象とは程遠いけれども実は身近な、もうひとつのブラジルがあります。それは「外国人労働者」として日本の産業を支えている、およそ27万人の在日ブラジル人たちの存在です。日本で生活しているブラジル人たちの多くは、かつて日本からブラジルへ渡った日本人移民の子や孫とその配偶者たちです。「カフェミュージック」として消費されるブラジル音楽と、わたしたちと同じ今を生きる在日ブラジル人の姿は、全く別のものとして語られるのです。もしかしたらこれは朝鮮半島に対する過去の清算が行われぬまま、韓流ブームと北朝鮮バッシングが同時に行われている現在の日本の状況と同じ図式なのかもしれません。

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