文学部教員コラム

第140回 2012/02/03

『禁欲と近代資本主義』

フランス学専修
川神 傅弘教授

 16世紀中葉ジュネーヴをローマ教会に対抗する新たな宗教的権威の牙城にするため、宗教改革の一方の雄ジャン・カルヴァンはその地で不寛容とも思われる厳格な規律による「神権政治」を展開した。ダンスをした者、説教中に笑った者、25歳の青年と結婚した62歳の老婦人などは厳しく処罰された。それは監視と厳しい取締りによる宗教と政治が合体した強烈な社会の構築であった。ほどなくフランスではカルヴァンの教えを奉じる新教徒ユグノーとカトリック教徒の間に30年にわたる宗教戦争が始まる。

 隣国イギリスでもヘンリー8世王がローマ教会を見限って新教を設立した。ただしそれはルターやカルヴァンの場合と異なり、教義論争のない宗教革命であった。ヘンリーは愛する女性との再婚を望み、再三離婚を嘆願したが、ローマ教皇が無視し続けたので、勝手にカトリックを捨て、英国国教会を設立し、その首長になった。まことに世俗的な理由による改革である。

 そこに登場するのがPuritanピューリタンである。今でこそ清教徒と呼ばれているが、当初は“掃除屋”という意味の蔑視語であった。カルヴィニスムの流れを汲む彼らは、英国国教会に残るカトリックそのままの祭礼方式や匂いを一掃するよう要求し、次第に過激な政治的党派集団になったので、教会と政府は投獄、追放などの弾圧に乗り出した。彼らの一部はこのカルヴィニスムをメイフラワー号に乗せて新大陸プリマスに持ち込んだ。

 元来カトリックやルター派の地域は卑金主義的で、お金に直接携わる職業をさげすむ傾向があり、そうした職種はユダヤ人に任されてきた。シェイクスピアの『ベニスの商人』が生まれる素地はここにある。カルヴィニストの生活上の指針は“禁欲的労働”と“世俗内禁欲”であり、この倫理観が大アメリカを創ったとマクス・ヴェーバーは言う。ユグノーやピューリタンが逃れてきたオランダで商業が栄えた一因でもある。彼らは暴利をむさぼることを嫌った。しかし儲けたお金は禁欲をなしとげた結果とその表われであるという思いがあった。こうしてプロテスタンティズムの地域で経済が発展した。一般市民も、教会の専制支配をいやいやながらでなく擁護するように受け容れ、禁欲の英雄的行動によってそれを示した。なぜか?その地域には、労働が絶対的な自己目的(天職)であるとする心情を育むエートス(社会の倫理的雰囲気)が醸成されていたから、とマクス・ヴェーバーは言う。天職義務の精神が利潤追求行為と結びついたものが「資本主義」の精神なのだ。彼らは目先の貧欲を抑制することを知る人たちであった。「抑圧された衝動は文化的に価値のある努力に変わり、抑圧が強いほどより多くの文化が生まれる」とフロイトも語っている。裏返せば、放縦的自由から良きものは生まれない、ということであろうか。

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