文学部教員コラム
第139回 2012/1/20
『「開かれた大学」とは?』
哲学倫理学専修
木岡 伸夫教授
木岡 伸夫教授
当方の誤解でないとすれば、「開かれた大学」は肯定的なニュアンスをもって語られるのがふつうである。とはいえ、その実体はあまりハッキリしない。この言い回しは、従来の大学が「象牙の塔」に閉じ籠ったまま、実社会と没交渉にとどまっているというイメージに対置されるものではないか。とすると、それは「学の実化」を謳う関大に、ピタリあてはまるフレーズと言えそうである。ただし、それだけでは具体性が十分とはいえない。
わかりやすく言えば、誰もが自由に出入りできる大学こそが「開かれた大学」ではないだろうか。その点では、ご近所の方が犬の散歩に訪れたり、構内の喫茶店でくつろぐといった風景も悪くはない。だがそれよりも、知的好奇心に富む市民がモグリ(・・・)で参加できる講義がたくさんあることを、「開かれた大学」の第一条件に挙げたい。 こんなことを書くのも、当世大学が学生以外の立ち入りを拒むという事態が、世界中で生じているからである。2002年の在外研修では、ソルボンヌ(パリ第4大学)をはじめ、どこでも身分証の提示に加え、ときにカバンの中身まで示すように求められ、ショックを受けた。前年の9.11テロ事件の余波である。幸い日本では、テロの脅威がそこまで及ぶことはなく、私が運営の任に当たっている「都市の風土学」(大学院M自由科目「人間環境学研究AB」)には、毎年相当数の社会人が出入りして自由に学んでいる(新聞が取材に来たこともあるが、世間に評判が広まれば、同じ流儀で続けられなくなったかもしれない)。 大学という巨大組織には厳格な規則が付きものだが、その運用には一定のスキマがあってよいと考える。たぶん「開かれた大学」の空気は、そこから立ち上ってくるだろう。

