文学部教員コラム

第119回 2011/04/12

『糊口を凌ぐ』

世界史専修
教授
朝治 啓三

 歴史学は過去を懐かしむための情報源として存在しているのではない。素人或いは自称「歴史愛好者」が、既知の断片的知識をひけらかして、悦に入るための存在でもない。歴史学は時間差を問題にしているが、その「差」を目立たせるだけでは、学問としての社会的存在意義を主張し得ない。
 西洋史が扱う諸事象は、日本人にとってはなじみが薄いので、それらを紹介するだけでも「学問的」な雰囲気がする。それで歴史好きの素人の好奇心を満足させることは出来るが、何故他ならぬ西洋の歴史事象を日本人に紹介しなければならないのかは、それだけでは説明されたことにはならない。ルネサンスは暗黒の中世を打倒し、輝かしい近代の幕開けとなったという「俗説」は、専門家の間では100年以上前に葬られたが、素人向け「教育番組」ではいまだに「通説」として「歴史好き」を弄んでいる。これではディレッタントを助長するために、「学問」が悪用されることになりかねない。日本人になじみのある日本史でも、自称歴史家たちは、重箱の隅をつついたような「事実」を知って自尊心を満たしているが、無数の歴史事象の中で、なぜそれが重要なのか、他にも重要な事象があるのではないかと問われても、回答出来ない。
 独裁政治が長期間続いたとか、それに対して民衆が反乱を起こした場合、何故それが起こったのかを、軍事的優位とか、経済的利害によって説明することも出来るが、歴史学では、かつては正当性を持っていた権力装置が、社会の変化とともに有効性を失っていく過程を精密に復元する。過去を調査することで現在に至る変化、さらに将来の可能性を説明する任務を果たす。
 学問大衆化」の波に乗ることで糊口を凌ぐ途もあろうが、学問の社会的意義を認識させる教育も必要ではないか。

教員コラム