文学部教員コラム
『文明と文化 - モノと人 -』
インターディパートメント 教授 柴田 一
2003年度在外研究で、カナダの西南端にあるビクトリアに約一年間暮らす機会を得た。ビクトリアは、どちらかといえば田舎の小さな街なのだが、イギリスの香りのする「退職したら住みたい街」として有名である。日本からの観光客や留学生も時おり見かける。そんなビクトリアにも、自動車から家電製品、文房具に至るまで、日本製品があふれている。もちろん欧米製品も売られているし、日本製品が安いわけでは決してない。いいモノだから売れるのである。シンプルな理由である。世界地図の右端の、まさに極東にある、描き落とされそうな小さな島国であるが、日本もすごいなあと思う。
本当にそうだろうか?これが諸手をあげて喜べる状況ではないことに気付くのに、さほど時間はかからない。「日本の製品はいいですね」とはよく耳にするが、それを作る「日本の人はいい人たちですね」とはまず聞かない。彼らにとって日本製品と日本の人々、モノと人とは全く別の存在で、世界の一流として評価されているのは、残念ながらモノの方だけである。
ビクトリアで道をわたろうとすると、横断歩道の手前にさしかかるだけで車は止まってしまう。歩行者のこちらが車を止めないように横断歩道から十分離れて待つほどである。道を譲ってもらったことに気付いたドライバーは、こちらを見て会釈している。
公共バスは乗り心地も悪いし、運転も荒い。中・高校生は、行儀も悪い。しかし、お年寄りが乗ってくると、それが合図かのごとく、入り口に近い席に座っていた人たちは、一斉に席を立つ。荒い運転をしていた運転手も、お年寄りが席に座りきるのを見届けるまでは、絶対にバスを発車させない。バスから降りる時は、誰もが口々に「ありがとう」と運転手に礼を言っている(ビクトリアの話の続きは、授業かオフィスアワーの時にでもまた)。
日常のちょっとしたことからして何かが違う。人としてすべきことと、してはいけないことの境界線、その線を引く位置と引き方が違っているような気がする。
第二次世界大戦後のどん底から先人たちの血のにじむような努力で、日本は世界有数の文明国になった。その恩恵を受けた我々や次の世代に残された課題、それは、人としても世界一流の国、文化先進国にもなることだと思う。もちろんそういう国の人々もいい人ばかりではないが、悪いところをまねたり、都合のいいとこ取りをしたりする必要はない。モノ作りでも最初はそうしてきたように、本当のいいとこ取りをしていかなければならない。
関西大学文学部に入学し、卒業していく学生たちが、学問を身に付けるだけでなく、社会に、そして世界に出た時に、人としても世界一流と評価され、文明・文化両先進国へ向けてリーダーシップを取っていけるように育っていって欲しい。


