文学部教員コラム
『2010年中国留学事情』
准教授
長谷部 剛
二月末に中国・北京に行ってきた。今回の出張は、私が研究の専門的対象とする中国の詩人、杜甫の詩文集について、十七世紀の抄本(手書きのテキスト)を調査するために中国国家図書館に行くことが主な目的であったのだが、余暇の時間には、北京で留学生活を送っている、わが中国語中国学専修の学生たちに会った。
私の専修では、およそ三人に一人が中国語圏に留学する。北京はもとより上海、武漢、香港、そして台湾など。私は教員として、留学前の相談、留学中の連絡、帰国後の指導など、できるだけ積極的に学生諸君を支援している。それらを通じて学生諸君が語学力を伸ばすだけでなく、外国でたくましく成長して行くさまを目の当たりにすることができて、教育に携わる喜びを実感することが多い。
そのなかで今回の北京訪問ではある興味深い体験をした。学生たちは、北京に着いた翌日には携帯電話を買って使い始めたり、日本から持参したノート・コンピュータを留学生寮の自室のLANにつないでインターネット環境を整えていたりしているのである。だから、私は出国前から学生たちとの連絡が容易であったばかりか、北京でもすぐに携帯で連絡がとれたのである。初めて体験することではないが、その容易さ・迅速さに改めて驚嘆した。
私も学生だったころ北京に留学している。一九九二年のことである。もちろんそのころに日本にも中国にも携帯もインターネットもなかった。日本の恩師、家族、友人たちにはせっせと手紙を書いた。日本からの手紙も待ち遠しかった。筆圧の高い私は字を書き連ねるとき、エアメール用の薄い便箋を何回破ったことだろう。電話も留学生寮の一階受付にかかってくるので、自室にいると管理人から館内放送で呼び出される。「長谷部、電話!」の放送を聞くやいなや、一階へと駆け下りたことも懐かしい思い出である。
私の留学と、私の学生の留学にはほぼ二十年の隔たりがある。その間の情報機器の進歩に驚きを禁じ得ないが、それとともにやはり、留学というもののかたちも大きく変容していることに気付く。二十年前は日本から隔絶した異国に果敢にも渡航して研鑽を積むという観があったが、現在では、情報ネットワークが張り巡らされた世界のなかで、ただ日本から中国に学びの場を移すぐらいになっているのであろうか。
いやそうではあるまい。中国語を使わざるを得ない環境に身を置いて、食べものも乗り物の乗り方も違う中国に長期滞在することは、学生諸君を大きく成長させる、得難い学びの場であろう。
北京もやがて春が来る。春にはすさまじい砂嵐が起きる。学生諸君には吹き付ける黄砂に音を上げることなく、むしろこの経験から大陸性気候、そして進行する黄土平原の砂漠化について見識を深めてほしいものである。


