文学部教員コラム

第107回 2010/01/14

『ソウル雑感』

映像文化専修
助教
門林 岳史

  秋学期が始まる直前に束の間韓国を訪れた。今回の旅の主な目的は、2006年に世を去った韓国を代表するアーティストでありヴィデオ・アートの創始者のひとりであるナム・ジュン・パイク(白南準)の名前を冠して昨年ソウル近郊にオープンしたナム・ジュン・パイク・アートセンターを訪れることだったのだが、そのついでにソウル市内および近郊の美術館や展覧会も少し巡ることができた。とりわけ旧韓国軍司令塔の薄暗い廃墟めいた建物に膨大な量の現代美術作品を集めた展覧会「Platform Seoul 2009」は圧巻で、ソウルの現代美術シーンの予想以上の活発さと流動性、可塑性に大きな刺激を受けた。
 中国を中心にアジアの現代美術が近年活気づいており、欧米のマーケットでも大きな注目を浴びていることは耳にしていた。村上隆や奈良美智などの2000年代以降世界的に活躍している日本の現代美術家たちも、欧米の視点から見たときには、こうしたアジア現代美術の近年の興隆という文脈のなかで理解されるのだろうと思う。もちろん、そうした大局的な視点には、日本の環境に長く親しんできた人間として違和感を持たないわけではない。日本と他のアジア諸国とのあいだにことさらに区別を設けるつもりはないが、端的に総括してしまうならば、日本の現代美術を中国、韓国の現代美術から大きく隔てているのは、おおむね政治的主題が欠如している点であろう。日本とは異なり政治的混乱が1980年代まで尾を引いた中国、韓国において、「表現の自由」という理念は、日本で安寧に暮らしていては想像が困難なほどの抜き差しならない切迫感を今でも持っているはずである。そのことが中国や韓国の現代美術シーンに日本とは違ったダイナミズムを与えているように感じられるのだが、こんな大雑把な整理では胸の疼きを感じざるをえない。
 ソウルで宿をとったミョンドン(明洞)地区は東京で言うなら渋谷のような街で、若者向けの服飾店やカフェ、バーなどとともに韓国コスメの店も多く並ぶ街路は日本からの若い女性観光客であふれていた。ものを買うため立ち寄ったコンビニで、韓国語を解さない私が「アンニョンハセヨ」と挨拶をしてから英語で話し続けると、店員は不思議そうな顔をしながら日本語で応対してくれる。自分のなかの英語中心主義を指摘されたようで一瞬恥じ入りつつ、とはいえ居直って日本語で通すのも気が引けて、やはり心のどこかに引っかかりを感じながらのソウル滞在であった 。

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