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【執行部リレーコラム】 音を知覚する犯人捜し

2021.03.08

学長補佐 堀井康史

 推理小説を読み始めると時間が経つのも忘れてのめりこんでしまう。犯人が誰なのか、どこかに痕跡があるはずと、あたかも自分が探偵になった気分で注意深く本を読み進めるうちに朝を迎えてしまう。そんな経験をともにしてきた本が捨てられず、今も書斎の片隅にうず高く積まれている。
 マイクロ波技術の研究者として、30年以上にわたって高周波部品や回路の設計を手掛けてきた。協調性の無さからか人と同じ方向を向くことを良しとせず、負の屈折率を作るメタマテリアルや負の回路素子を作るnon-Foster技術の研究に多くの時間を費やした。いずれも実用化には至らなかったが、研究の醍醐味を存分に味わった。
 すでに50歳を過ぎ、一度は役立つ研究をせねばならぬと改心し、近頃は「聴覚メカニズムの研究」に没頭している。マイクロ波技術者の立場で聴覚を眺めると、これがまた実に面白い。耳介はアンテナ、鼓膜と耳小骨はインピーダンス変換器、蝸牛はスペクトラムアナライザ。こう対応づけると、聴覚は無線受信装置の構成とまったく同じである。さらに蝸牛内には、音波を伝えるU字型の管状構造があり、これに挟まれるように聴覚細胞が規則正しく並んでいる。血管条より聴覚細胞にカリウムイオンが供給され、音波の振動に応じて細胞上のイオンチャネルからカリウムイオンが内部に取り込まれる。すると細胞膜表面に分布するタンパク質モーターPrestinが応答して細胞を大きく収縮させる。この一連の動作は蝸牛増幅機構と呼ばれ、小さな音刺激を大きな細胞運動に変換するのに役立っている。まさにバイポーラートランジスタの動作原理そのものである。このような視点で過去の様々な研究論文を読みつつ、一つ一つを丁寧に紐解いていくと1960年代にVon Békésy氏が結論付けた聴覚メカニズムとは異なる聴覚原理が見えてくる。
 昨年、米国の耳鼻咽喉科学会(ARO)で「外有毛細胞共鳴説」と「蝸牛定在波理論」を披露したが、残念ながら同調者はいなかった。今年は資料を送ってほしいという声が少しあがった。さて来年はどうなることか?音を知覚する犯人捜しはまだまだ続きそうである。