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【執行部リレーコラム】共通テストの迷走について

2020.01.30

 学長 芝井 敬司

 周知のように、昨年11月1日に2020年度に予定されていた大学入学共通テストにおける英語4技能の民間試験の導入が4年後に見送られた。これに続いて12月17日には、国語・数学の記述式問題の導入についても延期・見直しを行うことが決定された。大学入学共通テストの2本柱といわれた大きな目玉が失われたことになる。

 1月に実施された本年のセンター試験は、共通一次試験の後継試験として32年にわたって継続して実施された文字通り「最後のセンター試験」と形容されたが、2020年度から始まる予定の共通テストは、主要な特徴として意識されてきた2本柱が上記のように見送られたために、当面の間は現行のセンター試験と大きくは変わらないものになると考えられている。
 
 こうした混乱あるいは迷走と呼ぶべき事態はどうして生じたのだろうか。石井洋二郎氏は、近刊の『危機に立つ東大――入試制度改革をめぐる葛藤と迷走』(ちくま新書)のなかで、そこには「手段」と「目的」の取り違えがあったという。センター試験に象徴される知識の記憶とその再現に依存する試験、マークセンス方式による選択式問題、1点刻みの合否判定などの仕組が、大きく変化する世界と時代にふさわしい人材の選抜や養成の阻害要因となっているとして批判の的となった。

 センター試験においては、新しい学習指導要領が定める学力の定義を構成する3要素のうち、第1の学力要素である「基礎的な知識・技能」は測定できるとしても、第2の学力要素である「思考力・判断力・表現力等の能力」や第3の学力要素である「主体性・多様性・協働性」については測れていない。せめて第2の学力要素である「思考力・判断力・表現力等の能力」については、それを測定することを可能な限り共通テストに組み込みたいというのが入試改革推進派の主張だった。

 ただし、こうした主張においては、たとえば「思考力を育む」(「英語が話せるようになる」)という「目的」と、共通テストの国語で「記述式問題を導入する」(英語で「4技能を課す」)という「手段」が、無自覚にあるいは安易に取り違えられている。「手段さえ達成されれば目的は達成される」という安易な手段の目的化が起こっていたといえる。そもそも、こうした議論自体が、具体的実施を想定したフィージビリティの検討を伴うものではなかった。理念先行型の議論が支配するなかで、「技術的な落し込み」がひどくおろそかになっていたと思われる。その結果、英語4技能の判定と国語と数学における記述式の導入は、ともにこうした理念先行型の議論が生み出したそもそも実現可能性の低い提案であったといわざるを得ない。

 今後、共通テストの問題は文部科学大臣の下に置かれる検討会議で議論されることになる。私自身は、検討会議において議論の前提をメンバーが共有しておくことがもっとも大事だと考えている。今回の共通テストの迷走は明白な失敗によってもたらされたこと、そしてこの失敗によって、大学受験に臨む高校生や保護者、教科指導にあたる高校、テスト結果を利用する大学、ひいては社会全体からの信頼を失ったこと、この2点を議論の前提としてメンバー間で共有しなければならないと信じる。

 である以上、検討会での議論もまた、一連の入試改革の歩みを振り返りながら失敗の原因をはっきりと解明すること、受験生等からの信頼を回復するためにはどのような努力が求められているのかを十分に話し合うことからスタートしなくてはならない。

 結局、いま私たちが問われているのは、テストを受ける側の高校生から発せられた、次のような真剣な声に向き合うことに尽きるのではないだろうか。


「(英語民間試験について)きちんと制度設計しているのでしょうか。50万人の受験生が同時に受ける試験なのに、試験内容、スケジュール、実施会場などの決め方が、行き当たりばったりです。入試政策うんぬん以前に、入試実施にあたっての運用能力に問題があります。」
「(国語の記述式問題について)設問条件をガチガチに固めておいて、与えられた文章、資料から必要な情報、キーワードを抜き出せるように誘導して、採点するわけです。これのどこが思考力を問う問題なのでしょうか。文科省は資料を読み取り、読解力を試すと言っていますが、しょせん、ことばの抜き出しにすぎません。」
(ともに、小林哲夫「筑波大学附属駒場高校2年生の声」『AERA dot.』2019.10.25)