芝井の目

大学院入学生のみなさんへ(学長式辞)

2020.04.02

                      啐啄(そったく)について


 皆さんは、啐啄(そったく)という言葉をご存知でしょうか。啐啄の「啐」(そつ)は卒業の「卒」の字の左側に口へんがつきます。一方、啐啄の「啄」(たく)は有名な歌人の石川啄木の「啄」の字で、2つ併せて「そったく」と読みます。
 ちなみに、石川啄木の「啄木」とは野鳥のキツツキを意味しています。アカゲラ、アオゲラ、クマゲラ、コゲラなど、日本にも多くの種類の「ケラ」つまりキツツキの仲間がいますが、キツツキのくちばしは強くまっすぐで、先端が鋭くなっていて、木の幹に穴を開けることができます。幹をつつく行動は、もっぱら樹皮の割れ目や穴の奥にいる昆虫を捕らえて食べるためですが、大きな木の幹に巣穴をつくるためにも使います。
 石川啄木の「啄木」とはキツツキのことだと言いました。普通には「鳥」の字を加えて「啄木鳥」と書きます。漢字の「啄」(たく)は、訓読みでは「つつく」と読みます。「啄木」とは「木をつつく(もの)」、「啄木鳥」は「木をつつく鳥」という意味になり、キツツキが導かれる次第です。
 他方、啐啄の「啐」(そつ)もまた、訓読みで「つつく」と読みます。「啐」(そつ)と「啄」(たく)、2つとも「つつく」という意味になりますが、両者にはどのような違いがあるのでしょうか。いまここに、まさに生まれようとする鳥の卵があります。卵の中には雛がいて中から卵の殻を力強くつつきます。「啐」(そつ)は、生まれようとする雛が内側からたまごのからをつつくこと。一方、「啄」(たく)は卵の殻から雛が生まれようとするその時に、親鳥が外側から卵の殻をつつくことをいいます。
 雛は自分のくちばしで卵の殻をつつき、新しい世界に出ていこうとします。親鳥は雛の動きに合わせて、外から殻をつついて助けてあげる。啐啄(そったく)という言葉は、問いかける者と答える者、育つ者と育てる者の関係、つまり教育のあり方を上手に表現する言葉だといえるでしょう。人が成長していくには、自分の内部から殻を破って新しい世界に出ていきたいという意志と努力がなくてはなりません。それがなくては、雛の成長とタイミングが合わずに殻を割ってだめにしてしまうか、外からいくらつついてやっても殻は破れないということになります。

 さて、師といえる人との出会いは、時に若者の人生を大きく変えることがあります。どのような人生を歩むべきか、真剣に悩み苦しみ思いつめた青年であればあるほど、人との出会い、その時の師の一言が、その人の生き方に決定的な影響を与えます。
 幕末のころ、19歳の石黒忠悳(いしぐろ・ただのり)は、故郷の越後国三島郡片貝村から江戸へ出ました。彼の父母は早く亡くなり、16歳のとき、父の姉が嫁いでいた越後国三島郡片貝村(今の新潟県小千谷市)の石黒家の養子になっていましたが、尊皇攘夷の運動に強く影響されて、同志とともに江戸を目指したのです。やがて石黒は、江戸の医師から西洋医学を学び、幕府の医学所を卒業した後、維新後は大学東校に勤務し、その後軍医になりました。西南戦争後にドイツのベルリンに留学して最新のドイツ医学を学び、1890年には陸軍軍医総監、医務局長を務めました。陸軍退役の後は貴族院勅選議員、日本赤十字社社長などの要職を歴任し、子爵を授爵されています。
 石黒には『懐旧九十年』と題する自伝があります。それによれば、19歳の石黒は、文久3(1863)年に信州松本の佐久間象山(さくま・しょうざん)宅を訪れて、象山と3日にわたって対談したといいます。その思い出を、彼は「師との決定的な出会い」と記録しています。自分は、佐藤一斎や安井息軒などの儒教の碩学、西郷隆盛や大久保利通などの要路の人を、これまで多数知っているが、「その識見の雄大明達にして、一言一句私の脳中に沁み込んで永く忘れることの出来ないのは佐久間先生」であると、自伝のなかで書いています。
 石黒が師と呼んだ兵学者佐久間象山は、蘭学研究によって西洋の科学技術に通じていました。その名声は天下にとどろき、象山が開いた「五月塾」には、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らが入門しました。しかし、吉田松陰がペリーの艦隊に密航を企てて失敗する事件を起こしたために、象山も連座し、松蔭とともに伝馬町牢屋敷に入獄しました。刑死した松蔭とは違い、象山は赦されましたが、出獄した後も信州松代での蟄居を命じられました。若き石黒が松代の象山を訪問したのは、ようやく蟄居が解けた折のことです。
 時勢に感化された石黒は、先に触れたように尊皇攘夷の高揚感にうちにありました。それゆえにこのとき、「草莽有志の決起によって速やかに尊皇攘夷を決行すべし」と、象山にむかって論じました。象山はたじろぐことなく答えます。「尊皇にかんしては君と同意見だ。しかし攘夷は戦である。君は相手の兵力を知っているのか」と。何とそのとき、象山は、アメリカ、フランス、イギリス、オランダの兵力や軍艦、装備をいちいち挙げて、詳細な説明し、それを日本の兵力・装備と比較してみせたといいます。
 象山は石黒に結論を告げます。「君たち若者が、軽率に騒擾憤死するのでは何の役にも立たない。西洋の戦力を支えている学問の進歩は恐るべきものである。君のような若者は身体を達者にしてそれぞれの学問をしていくことが責務だ。だから、あなたのような若者は、早晩必ず横文字を読まねばならない」と諭したのです。わずか3日間の出会いが、19歳の若者の回心をもたらしたのです。

 さて、啐啄(そったく)という言葉に話を戻します。13世紀に曹洞宗を開いた禅僧の道元には、「啐啄同時」という言葉があります。先に触れたように、雛が卵から生まれ出ようとするとき、雛は殻の内側から卵の殻をつついて音をたてます。そのとき、親鳥が外側から殻をついばんで破る。この「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が生まれる。これを「啐啄同時」と言い、導師たる師匠と修行する弟子の関係において心得るべきことと指摘しました。
 皆さん、これからここ関西大学の大学院で自らの殻を破ってください。殻を破って新しい世界へと踏み出してください。そして、私たち関西大学の教職員は自らの内側から殻を破ろうとする若きあなたに出会い、殻が破れるその瞬間に、その外側からそっとつついて支える大事な役割を果たすときを、心待ちにしています。皆さん、ご入学おめでとうございます。

2020年4月2日
                  
                                           関西大学学長   芝井 敬司


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