松村 敏夫

(1871〜1929)

講師 法人社員 弁護士

明治4年(1871)5月1日、大阪市に生れる。
明治22年、大阪第三中学校を卒業。同年、東京帝国大学法科大学英法科に入学し、明治25年、同大学を卒業する。大阪で弁護士を開業し、明治32年、大阪府会議員、明治37年、大阪市会議員に当選し、府・市行政に貢献する。
 明治39年、大阪市助役に推挙される。明治42年、市行政事業調査のため、欧米を視察し、翌年、帰国する。その後、大軌鉄道の創設に関与し、引き続き同社に勤める。また、天満市場の興隆にも尽力する。
 教育事業にも関心が深く、関西大学の教学体制の整備充実に意を注ぎ、京都帝国大学の教授陣を多数講師に招聘するとともに、自らも講師を務める。
 本学社団法人の設立や千里山校地の拡充、財団法人への組織変更など、経営面も直接担当し、多年にわたって本学の発展に貢献する。このころからキリスト教の研究を深め、のちに洗礼を受け、大正6年には大阪基督教会の執事に選ばれる。常に教会を忘れることなく、終生教会に奉仕する。
 昭和4年(1929)4月25日没した。57歳