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(1855〜1896)

創立者 司法官

安政2年(1855)10月2日、群馬県前橋に生れる。
第一番中学校から大学南校を経て明治11年、東京大学英法科を卒業。第一番中学では一瀬勇三郎(本校第4代校長)と同級、大学南校では加太邦憲(本校第5代校長、第6代学長)と同級生であった。卒業後、ただちに大蔵省に入り、関税局に出仕する。のち横浜税関、主税局を歴任。
 明治19年、同省を辞して大阪始審裁判所の検事となる。明治26年に退官したあとは大阪地方裁判所所属の代言人となる。
 本校には創立当初から講師として関与し、創立者の一人として重要な役割を果たすとともに、唯一の法学士ながら「経済学」を講じる異色の存在であった。明治20年に創立された砂川雄峻(本学理事)の大阪英法学校でも講師として活躍する。明治29年(1896)1月20日没した。40歳