野田 文一郎

(1872〜1960)

校友 政治家 弁護士

明治5年(1872)3月5日、広島県三次町に生れる。
明治24年、関西法律学校に入学する(その時点で、すでに大阪始審裁判所勤務)。明治27年に卒業したのち、判検事試験に合格し、司法官試補となる。
 明治33年、判事となり、以後、神戸地方裁判所、大阪控訴院判事を歴任し、明治43年に退官して神戸で弁護士を開業する。大正13年、神戸弁護士会会長に就任する。昭和9年、衆議院議員に当選し、その後、連続6回当選する。
 この間、浜口雄幸内閣の商工参与官、内閣調査局参与等を歴任する。昭和2年、本学の協議員となり、経営調査委員に選ばれる。昭和14年、大和信託会長、大満鉱業社長等を務める。昭和17年、神戸市長となり、昭和20年に辞任する。晩年は郷里で自邸を禅寺にし、自ら禅僧となって戦没した市民などの冥福を祈りながら静かに余生を送る。昭和35年(1960)3月9日没した。88歳