武田 宣英

(1870〜1957)

校友(関西法律学校1期生) 理事 弁護士

 明治19年、井上の推薦で関西法律学校に入学、明治22年に卒業(1期生)したのち、上京して和仏法律学校(法政大学の前身)に入学、明治25年、同校を卒業する。
 明治26年、弁護士試験に合格し、以後、五十余年にわたって東京で弁護士を開業する。明治40年、ライプチッヒ大学へ留学。帰国後、研究成果を『日本陪審法論』にまとめて本学へ提出し、昭和3年に法学博士の学位を受ける(本学第1号)。
 本学の経営面に携わるようになったのは大正7年、社員に推された時に始まり、以後、協議員、経営調査委員などを経て昭和4年、理事に選ばれ、のち監事となる。昭和22年まで約18年間にわたって母校の経営につくす。昭和11年には奨学金3000円を寄贈する(のちに、これをもとにして「三百年後一億円」の記念碑が建立される)。
 また、昭和14年には高見秀声画伯による「和気清麻呂奏神教図」の模写複製図を寄贈する。昭和31年には顧問に推挙される。著書に『風樹の記』(再版時は『山荘四季の夢』と改題)がある。昭和32年(1957)10月11日に没した。87歳