一瀬 勇三郎

(1854〜1932)

第4代校長 司法官

嘉永7年(1854)11月21日、長崎に生れる。大村藩の貢進生として明治3年、大学南校に入る。明治8年、司法省法学校に転じ、明治9年、同校第1期生として卒業。司法省出仕を命ぜられ、かたわら法学校で恩師ボアソナードの通訳を担当する。
ボアソナードとの師弟関係が深く、終生親交を保つ。明治16年、判事に任ぜられ、明治19年、東京始審裁判所詰となり、同年2月から加太邦憲(本校第5代校長)らとともに欧州へ留学。明治23年に帰国後、長崎、横浜、大阪の各地方裁判所検事正となり、広島控訴院検事長を歴任。明治34年、広島控訴院長、明治41年、函館控訴院長となる。昭和3年に退官。昭和7年(1932)6月15日、郷里の大村で没した。77歳