下條 小野右衛門

(1888〜1961)

校友 監事 公証人

明治21年(1888)9月12日岡山県にて竹井家の長男として生れる。
のち妻の姓を継承し、下條と改姓。郷土の先輩犬養毅に私淑して政治家を志し、明治40年、来阪し、関西大学に入学。
 明治43年、専門部法律学科を卒業して中央大学に学び、大正5年、法学部を卒業。大正10年に弁護士試験に合格。東京の恩田法律事務所で弁護士を開業。大正11年、公証人に任命され、大阪で開業した。
 その後、全国公証人の大同団結を図り、清瀬一郎らの後援を得て日本公証人協会を結成、 会長となる。戦後、同協会が「日本公証人連合会」と改称、副会長に就任。昭和31年に会長となり、昭和33年、70歳の停年退職するまで公証人界の長老として重きをなし、 連合会の発展に尽力した。
 一方、教育に対しても関心が深く、関西大学にあっては、大正14年から校友会常議員として活躍した。更に戦後昭和22年から法人の監事となり、大学経営に直接参画するようになった。
 のち評議員、顧問として母校発展に尽くした。 また、 昭和26年か ら中央大学の監事をも勤めた。晩年は、芦屋市観光協会会長、芦有開発会社監査役、 そ の傍ら、昭和35年から大阪家裁の参与員として亡くなるまで奉仕した。昭和36年(1961)9月17日没した。72歳