北村  兼子

(1903〜1931)

作家 本学最初の女子学生

明治36年(1903)11月26日大阪府に生れる。
梅田高等女学校(大手前高校の前身)を経て、 大阪外国語学校(大阪外大の前身)に入学、大正12年、同校英語科を修了。 のち、関西大学大学部法律科に学ぶ。22歳の春、朝日新聞発行の雑誌『婦人』に「法律を学ぶ私」を出して認められ、 在学のまま朝日新聞社に入社。記者の傍ら文筆活動を続ける。
  昭和2年、 同社を退職し、翌年ホノルルで開催された汎太平洋婦人会議に日本の政治部委員として出席。
  昭和4年、ベルリンで開かれた万国婦人参政権大会に日本代表として出席した。 そのあとロンドン労働学校に学ぶ。昭和5年、香港・中国を歴遊。
 同年12月、ライセンスを得るべく立川の日本飛行学校に入る。翌年4月単独飛行できるようになり、8月には訪欧飛行を決行する予定のところ、にわかに発病、昭和6年(1931)7月26日没した。27歳。
 著書に、『ひげ』『怪貞操』『婦人記者廃業記』『子は宝なりや』『大空に飛ぶ』等がある。