織田 萬

(1868〜1945)

第10代学長 国際司法裁判所判事

慶応4年(1868)7月4日、佐賀県に生れる。 司法省法学校から東京帝国大学に入学、明治25年、同大学仏法科を卒業し、大学院に進んで行政法を専攻する。明治29年から32年まで行政法研究のため欧州に留学。帰国後、京都大学の教授となり、「行政法」の講座を担当する。
 明治34年から約6年間、法科大学長(法学部長)を務める。本学には明治33年、関西法律学校講師として教鞭をとり、明治41年に教頭となり、大正6年から11年まで関西大学学長を務める。その後、法人顧問にもなる。
 一方、大正7年に帝国学士院会員となり、大正10年から昭和6年まで国際司法裁判所の判事を務める。同年、京都大学を退官し、同大学の名誉教授となる。のち、貴族院議員に勅撰される。
 昭和20年(1945)5月26日没した。76歳