吉田 音松

(1876〜1951)

校友 主席理事 弁護士

明治9年(1876)3月11日石川県に生れる。
夙に高等中学を中退し関西法律学校に入学、明治35年、同校を卒業。更に日本法律学校(日本大学の前身)専攻科に入った。 明治40年、弁護士試験に合格。大阪で弁護士を開業。大正4年、 大阪府会議員に当選、府政に尽くした。大正5年には大阪弁護士会副会長、昭和2年に同会長に就任。
 母校の経営に携わるようになつたのは、大正7年、社員に選ばれた時に始まり、大正9年に協議員、昭和4年に理事、昭和14年には、喜多村理事亡きあと主席理事として戦中7年にわたって大学経営に腐心した。戦後は、昭和22年に協議員会議長 (のち評議員会と改称) に推された。 昭和21年、貴重な蔵書を寄贈するなど、 終生母校発展のために貢献した。 一方、 近江鉄道監査役のほか多数の会社経営に参画した。 趣味は多彩で、特に書画に造詣深く自らも筆を揮い、蒐集家として知られ、 その鑑定は斯界で高く評価された。昭和26年(1951)11月26日没した。75歳。