向  軍治

(1865〜1943)

講師 独逸文学

元治2年(1865)2月16日山口県岩国に生れる。
明治17年、独逸学協会学校に入学したが、 ドイツ普及福音新教伝道会の宣教師シュピンナーに出会い、その感化を受け師より受洗。 のち宣教師を志し、 明治20年に同伝道会の新教神学校に入校した。
 その後、東京農林学校講師となり、ドイツ語を教えた。しかし、6年後にはドイツ語課程の廃止により同校を退職。 シーメンス社を経て、明治28年、慶応義塾の講師に就任。ドイツ語の教鞭を執った。その間、仙台の第二高等学校などに転職するが、そのたびに慶応に戻っている。大正7年に慶応義塾を退職。
 昭和3年、関西大学講師となり、予科でドイツ語を担当した。約7年間の在職中には数々の逸話に富んだ名物教授であった。特に「不戦条約」問題と「ローマ字」に関しては有名である。また昭和8年に部長をしていた水泳部が大阪学生連盟水上競技会で優勝した。彼は学生が好きで、学生もまた彼を慕っていた。 昭和10年、本学を退職。昭和18年(1943)12月28日没した。78歳