■人権問題研究室室報第21号(1998年6月発行)

調査報告(1)人種・民族問題研究班
沖縄問題取組みのスタートとして

吉田永宏(文学部教授)

 2月23〜24日、慌しい日程の下に人種・民族問題研究班の4名(小川悟・山村嘉己・植松健郎・吉田永宏)が沖縄を訪問した。
 当研究班では大きな課題の一つとしてのアイヌ問題との取組みを進めており、その取組みが終了したわけでは無論ないが、新たに焦眉の急とも言うべき性格を持つ沖縄問題の研究を進めることとなり、その準備段階としての沖縄訪問となったものである。平成10年度以降の本格的な研究活動を展開するに当たっての予備調査とでも呼ぶべきものであった。
 われわれが沖縄滞在中にお会いしたのは次の人びとである。新崎盛暉(沖縄大学教授・一坪反戦地主会代表世話人)、福地曠昭(沖縄人権協会理事長・沖絶県精神保健福祉協会会長)、高嶺朝一(琉球新報社論説委員会副委員長)、川満信一(琉球大学教養部非常勤講師・『沖縄・自立と共生の思想』の著者)、長元朝浩(沖縄タイムス学芸部長)、大江長次郎(沖縄タイムス社文化事業局出版部部長)の各氏。
 最初にお目にかかった新崎盛暉氏の『沖縄を知る日本を知る』(部落解放研究所刊・人権ブックレット51)は現在容易に入手できる、恰好の沖縄問題入門書であるが、同書を手がかりとして考えてみるとわれわれが取組まねばならない研究課題は、1.沖縄の歴史と文化2.近代国家日本の成立と琉球処分3.沖縄戦4.戦後日本の“繁栄”と沖縄分離5.沖縄返還と日米安保--といった点に整理できようか。
 これらの問題点のそれぞれの切り口を探るためにわれわれは以上の人たちとお目にかかり、いろいろと教えを乞うた。福地曠昭氏(海風社刊『オキナワ戦の女たち--朝鮮人従軍慰安婦--』その他多くの著書がある)には、そこに女たちが引きずり込まれ、従軍慰安婦にされ、唯一、地上戦の戦場となった沖縄についての様ざまなお話を伺った。本土のヤマトンチューの殆どが知らない、強制連行された朝鮮人の沖縄戦の苛酷な歴史と現実がそこにはあった。沖縄にはかつて121カ所にも上る従軍慰安所があり、そこには朝鮮人590人以上の他、沖縄や本土から約300人の日本人も駆り出されて計約900人に上る女性が慰安婦として働かされていた実態も判明したという。また、戦後の軍事基地としての沖縄(沖縄には現在もなお米軍の占領下状態の現実がある)に続発する少女暴行事件についての詳しいお詰も伺った。高嶺朝一・長元朝浩の両氏からは情報の収集、発信に携わる立場からの資料等についての貴重な示唆を頂戴した。国家とは何か、民族とは何かを問い続ける川満信一氏からは、日本からの“独立”まで発展する思想を述べていただいた。大山朝常元コザ市長の『沖縄独立宣言』(現代書林)という書物のあることもここで紹介しておこう。
 今秋、「すべての武器を楽器に!」を合言葉に、沖縄からアメリカに「白船」が渡るという。「黒船」の意味をもう一度検証し日本文明に刺さった「黒船」のトゲを抜かぬ限り21世紀の展望は持てぬという、沖縄人固有の発想がヤマトンチューを強く撃つようでもある。
 研究調査の緒についたばかりのわれわれに快く多くの示唆を与えて下さった上記の方がたに紙面を借りてお礼を申し上げたい。
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調査報告(2)部落問題研究班
紀州由良の蓮専寺

藤原有和(委嘱研究員)

 3月16日吉田徳夫研究員とともに和歌山県由良町を訪れた。昨年9月以来2度目の訪問である。今回は『由良町誌』の編纂に携わられた由良町中央公民館長大野治氏と校友小出潔氏から、当地の歴史、地区の改善事業の成果等についてお話しを伺うことができた。蓮専寺ご住職ならびにご両人のご厚情に、深謝申し上げる次第である。
 由良港から由良川に沿って行くと、右手の高台に蓮専寺がある。当寺の開基は、藤太夫という人である。文明17年(1485)山城国山科の本願寺で、蓮如上人に帰依して六字名号(「南無阿弥陀仏」)を授かり、帰国後道場を建立している。さらに永正4年(1507)藤太夫は上京して、実如上人から御剃刀を受け、法名釈道西を許されている。
 この寺の坂道をおりてしばらく左手へ進み、石段を上ると教専寺がある。当寺の開基は、芦浦若太夫という人で、やはり蓮如に帰依している。由良港から白崎海岸を廻って小引を過ぎて衣奈までの海岸沿いに、蓮如あるいは実如とゆかりの由緒ある寺院の多いことに驚かされる。
 また大野氏によれば、鎌倉時代創建の由良西方寺(後の禅宗興国寺)の本尊は、阿弥陀如来であったという。当地の人々の浄土教信仰の深まりの過程に注目したい。藤太夫や若太夫は、おそらく海賊衆(武装した海運業者)であったにちがいない。海上商業の担い手によって、真宗道場を拠点に、他力本願の教えが広められていったものと思われる。仏の前の平等思想は民衆によって、現実の政治状況や生産・商業活動のなかで鍛えられ、戦国大名・織豊政権に対する自治闘争・身分解放運動へ高められてゆく。由良地域においても、天正13年(1585)5月秀吉の軍隊との攻防があったことが伝えられているのである。
 ところで、被差別部落の寺院の歴史をしらべてゆくと、そこに大きな断絶があることに気づく。系譜説では、この断絶の意味が分からない。
 幕藩体制下の蓮専寺は、国法上および寺法上「穢寺」として処遇されている。室町時代、由良の藤太夫と若太夫は、等しく蓮如の弟子になった、そこには信教の自由があった。藤太夫の子孫とその門徒集団は、なぜ「かわた」身分におとされたのか。このことを明らかにするためには、秀吉の軍隊に対する抵抗の意味が問われなければならない。秀吉の性格からして、抵抗者の執拗な探索と決定的な制裁(身分貶下)が加えられたにちがいないと考えられる。
 近世の西本願寺の寺法によれば、河原者へは門主が直接御剃刀をしない。自剃刀といって自坊で剃髪した後、本山に届け出る。門主の御免書は、手次ぎ寺(部落寺院の中本山)を経由して末寺住職に渡されることになっている。この場合の礼銀は平僧の5割増しであった。東本願寺の寺法では、「穢多寺」は別種なので外との交わりがない、と規定されている。本願寺はこのように部落寺院を卑賤視して、直接の関係を断絶しているのである。部落寺院の中本山を媒介として末寺の統轄をしていた。蓮専寺は、本山の『穢寺帳』に富田本照寺末として登録されているのである。
 しかしながら、元禄4年(1691)9月10日付、木仏尊形の裏書等をはじめ本山より下付された什物とその下付の手続きを今回調査したところ、当寺は一貫して直参(「御直ノ御門徒」)であることが明らかである。什物が下付される際、本山へ取り次いでいるのは本照寺ではなく、本山の坊官なのである。本照寺とは上寺・下寺の関係がないということである。今、近世『穢寺帳』に当寺を記載した本山の論理が改めて問われなければならない。本山側の部落寺院は「寺外の寺」であるという論理(カースト的論理)は、直参の論理(仏の前の平等の論理)の前にその矛盾を露呈しているといってよい。
 今年は、蓮如上人の五百回忌を記念して、東西本願寺で様々な行事が開かれているけれども、末寺・門徒の視点から真実の信仰の実践とは何かということをさらに検証してゆきたい。
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調査報告(3)障害者問題研究班
鹿児島県川辺町を訪れて

谷 直介(委嘱研究員)

 私たち障害者問題研究班は平成9年11月4日から11月7日まで鹿児島県における精神障害者に関する精神保健福祉の現状の調査を実施した。
 訪問先は、県精神保健福祉センター、医療法人蒼風会児玉病院、名瀬保健所、徳之島保健所および財団法人慈愛会徳之島病院であったが、ここでは医療法人蒼風会児玉病院の活動を紹介する。

児玉病院のあゆみ
 昭和54(1979)年6月1日に病床数57床(精神科50床、内科7床)で児玉祐一院長が開設された。昭和57(1982)年には精神科デイケアを開始するとともに喫茶店「ウイング」をオープンし、昭和58(1983)年には医療法人蒼風会を設立、昭和62(1987)年3月には病床数を192床(開放病棟107床、急性期病棟30床、高齢者病棟55床)に増床し現在に至っている。この間に、老人デイケア、精神科作業療法、職場適応訓練制度(職親制度)などを導入し精神障害者のリハビリテーションにカをそそいでこられ、地域と密着した医療を積極的に展開されてきている。
 そして、平成7年3月に「老人性痴呆疾患センター」を開設するとともに病院では高齢者のための精神科デイ・ケアを開始し、平成8年10月には重度痴呆患者デイ・ケアを開始するなど痴呆性老人に対する医療の充実を測ってこられている。

社会復帰関連施設
1)精神障害者通所授産施設(ゆめの樹)、生活支援センター(にじの途)、グループ・ホーム(ウイング1号館):平成9年4月に『にじの途』を併設した形で『ゆめの樹』が、7月に『ウイング1号館』が開設されている。
 これらの施設は「社会福祉法人こだま会」が運営している精神障害者のための社会復帰施設であるが、『にじの途』は川辺郡、加世田市、枕崎市、金峰町の2市6町に生活している精神障害者ならびに家族を対象にして、日常生活の支援、相談(電話・面接)、地域交流、情報提供などの活動をしており、利用を希望する人は登録料を払って登録する必要がある(実際は無料)。また、『ゆめの樹』は1.プラスチック部品の切り離しと加工、2.タオル、おしぼり等の洗濯・リース、3.カブト虫の養殖・販売、4.食事の調理・販売などの作業をしていて定員は30名である。訪問時は焼きあげたパンを職員と通所者とが販売に出かけるためライトバンに詰み込んでいるところであった。もう1つの施設である『ウイング1号館』は、入居期間が原則として6カ月以内、入居料金(部屋代・共有費を含む)が3万2千円、定員が10名となっている。入居条件は、1.ある程度の自立能力があり、数人で共同の生活を送ることに支障のない方、2.日常生活上の相談などの援助をうけないと生活することが困難な方、3.原則として就労(福祉的就労を含む)、4.グループホームでの生活を続けられる収入のある方、である。施設はかなりゆったりとしたスペースが確保されていて住み心地はよさそうな印象であった。『ウイング1号舘』に隣接して生活訓練施設(援護寮)『ピア・アクティヴ』が平成10年4月に開所される予定で準備委員会がひらかれているとのことであった。
2)高齢者グループホーム(りんどう):平成9年10月開設予定であった『りんどう』は痴呆対応型共同住居で定員は9名である。このグループホームは、65歳以上の高齢者の方で、痴呆等の症状があり自宅での生活が困難な方に介護等のお世話をしながら生活自立能力を引き出し、地域の一員として暮らしていくことを目的にしており、終身介護を原則としている。訪れた時は未入居でガランとしていたが、入居がはじまるとどのように運営されていくのか興味深かった。

おわりに
 地域に密着した精神障害者の医療および社会復帰に力を注いでこられた成果が着々と実を結んできている様子がうかがわれた。そのためには18年間にわたって設備、施設を次々と整備し、スタッフの養成につとめられる一方で、日頃から地域との交流を積極的に行うことによって住民の理解を得ることが大切であると思われた。

調査参加者:藤井 稔、葉賀 弘、荒木兵一郎、谷 直介

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新研究員紹介

孝忠延夫(法学部教授)

 憲法学でいう「人権」は、あくまでも狭義の人権であり、そもそも個人であるがゆえにその主体となりうるところのものである。樋口陽一教授は、このことを強調し、こだわりつづけることの意義を説かれる(『一語の辞典人権』三省堂、1996年など)。このことを原則的に承認した上で、私は、非西欧国家における「人権の受容と変容」の問題を論ずることによって、「人権の普遍性」が吟味され、かつその「かけがえのなさ」が明らかになるのではないか、という立場をとっている。インド憲法について研究してきたのもこのような理由からである。インド憲法は、人権保障にかかわる次のような特徴を有している。1.基本的人権を詳細に規定するのみならず、「国家政策の指導原則」を明記することによって、人権の具体的保障のあり方を示している。2.たんなる「法の下の平等」のみならず、アファーマテヴ・アクション、さらには「保留制度」をも明記する。3.貧困などの理由により、みずから権利を行使できない人々のために、裁判所が積極的に権限を行使しうる社会活動訴訟の展開がみられる(最近のものとしては、古賀・内藤・中村編『現代インドの展望』岩波書店、1998年所収の拙稿を参照されたい)。 人権問題研究室における、多分野の、様々なアプローチから示唆を受け、研究を深めてみたい。

浜本隆志(文学部教授)

 数年前からヨーロッパ文化史に関心をもち、シンボルの社会的・政治的な意味を調べておりました。紋章、王冠、王笏、旗、勲章などは、権威を誇示する支配階級のシンボルとして、とくに封建時代から絶対主義時代にかけて、民衆を統治するために大きな役割を果たしましたが、それとは対極の社会のアウトサイダーや、底辺の人々を差別したシンボルも重要であることが分かってきました。その有名なものは、ユダヤ人を目立たせた黄色い丸印とダビデの星、黄色あるいは赤色の服を着ることを義務づけられた売春婦、死刑執行人の縞模様服、道化のまだら服、異端者に被せられた帽子、罪人の烙印などです。このようにシンボルを権威と差別の視点から考察しますと、支配と被支配という縦の関係が明らかになってきました。最近、このテーマをようやく『紋章が語るヨーロッパ史』(白水社)としてまとめたところです。
 このたび人権問題研究員として、人種・民族問題研究班に加えていただきましたが、とくにこの機会にシンボルと差別の問題について、日本(沖縄)をも視野に入れて研究してみたいと思っています。今のところ、シンボル、民話、風俗習慣などの文化論的な切り口から、民族問題に迫ってみようと考えておりますけれども、正直なところ構想はまだ雲をつかむような状態です。いろいろ専門家のご教示を仰ぎ、刺激を受けながらこの2年間にできるだけ努力をするつもりですので、どうかよろしくお願い申し上げます。

宮下文彬(総合情報学部教授)

 元工学部に在籍しておりましたが、現在は新設学部に移籍し、統計学や情報処理等を担当しております。元来の研究の性格上、社会科学系の内容を研究対象とすることはありませんでしたが、現在は企業における組織の質や顧客へのサービスの質といったテーマ等でもゼミ生と接するようになり、社会科学関係に興味を持つようになってきております。
 当研究室で障害者問題研究班に所属したのは、平成2年から2年間、息子の通う養護学校のPTAの役員をしたことにより、障害児・者に対しての教育と福祉および人権問題に自分の事として意識を持ったためです。また、7年前に知人に障害を持った人たちと共に歌う「命輝け第九コンサート」の運営委員に引き込まれたこと。その時のボランティアの方々の活躍ぶりに驚嘆したこと。さらに、現在もこの運営委員会が機能しており、今年は京都コンサートホールで開催できること、など、様々な要因が絡んでおります。
 景気低迷が続き国家予算が減少し、先ず一番に福祉関係に影響が出ている今、特に、自分の意見を直接述べることのできない障害を持った人たちのクオリティ・オブ・ライフとは何か、という疑問にかられました。これは私個人にとっても生涯を通して重要な課題であると思っております。元来の私の研究とはかけ離れた分野ではありますが、自己啓発と研鑚を兼ねて取り組んでいきたいと思っております。

植村 正(工学部教授)

 工学部の化学工学科の植村で御座います。どうか、よろしくお願い申し上げます。私は吸収式の冷凍機及びヒートポンプを応用する省エネルギー、CO2の削減の研究や、冷凍法による食品の貯蔵の研究を行っています。私は人権問題に関しては、常々人のつらさや、いたみは、なかなか理解出来ないものではないかと感じております。このような私的なことを書きまして、恐縮ですが、私は20代の後半に急性膵炎にかかりまして、そのときの手当が適切でなかったか、どうかはよくわかりませんが、その後慢性膵炎に移行し、以後診察と検査のため、病院がよいをくりかえしながら、現在に至っております。この病気の困った点は、調子の悪いときは、時や場所にかかわらず、不愉快な症状が、おそってくることで、緊張しているような場合は、むしろ我慢することが出来るのですが、かえって、リラックスしているようなときには、神経が集中出来ず、相手の方のお話を聞き落したり、聞きまちがえたり、忘れたりすることがしばしばで、その結果は、あの男は困ったものだと、相手の方に思われてしまうようです。勿論、こうしたことは、全面的に私の方に非があり、非難されて当然で、まったく身の不徳のいたすところであると考えています。しかし、それにしても、人のいたみ、つらさはわかりにくいものであると思う次第です。新任者紹介に、このような愚痴を書きまして、申し訳け御座いません。

馬場昌子(工学部専任講師)

 数年前のこと、アメリカ障害者法(ADA法)の成立を報じた新聞各紙の内容は、「公民権法」以来の差別撤廃法であるというものであった。黒人に対する人権差別の撤廃と、障害者のアクセシビリティ、モビリティの保障が、人権保障として同じく認識されていることに、強烈なカルチャーショックを受け、私自身の認識の甘さを思い知らされた。その後、我が国で展開されつつある「福祉のまちづくり」「ひとにやさしい・・・」といったまちづくりからは、どうも人権保障としての力強さや人々のいかり・かなしみが伝わってこない。私の勉強不足なのか。
 日頃、高齢・障害者対応の住居計画を主要な研究テーマにしている私にとって、人権保障ということに対する深い理解が必要であると思っていた。そんなときに、関西大学人権問題研究室のメンバーに加えて項いた。この機会に、あらためて、人権保障という視点で住居計画を考えてみたいと思っている。
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書 評

堀 正嗣著
『障害児教育とノーマライゼーション−「共に生きる教育」をもとめて−』
(明石書店、1998年1月刊)

姜 博 久(委嘱研究員)

 ノーマライゼーション。1982年の国際障害者年以来、日本に入ってきたその理念は、障害者問題を語るうえで欠くことのできないものとなった。障害者の人権確立をめざす市民運動の現場だけではなく、さまざまな施策を講ずる行政機関においても、その言葉は折に触れて使われてきた。本書は、これまで幾多の研究者によってその内容が追求され、理論化されてきたノーマライゼーションの理念を2つの側面(同化的側面と異化的側面)から捉えることに視点をおきつつ、著者が専門とする障害児教育の今日的な問題点を論じたものである。
 ここ10年ばかりの間に障害者関連の施策は国・地方自治体双方において大きく推進されてきた感があるが、文部省を頂点とする教育の分野だけは、各地における個別の取り組みの積み上げを横目に、依然として障害児と非障害児(健常児)を別にする分離教育の方針が貫かれてきた。運動にたずさわるものにとってもその壁の厚さを痛感させられてきている。しかし本書は、障害児と非障害児がともに生きともに育ち合う「共生共育」を阻んでいるのは、行政の姿勢だけではなく、能力を偏重し、形式的平等で覆い尽くされた日本の教育体制そのものであることを明示する。そして、これまでの統合教育推進の取り組みは、その教育の現状を変革する実践に挑戦しきれてこなかったのではないかとも指摘する。その観点は、現在大きな流れをみせる障害者による自立生活運動の分析において、障害者の人権確立運動が、他でもなく、社会変革の理念を抜きには進まないのだという指摘にまでおよぶ。「分離」「別枠」に潜む差別性。「個別性」に横たわる問題点。アメリカの自立生活運動の理念や教育におけるメインストリーミングに対する批判。著者はその中で「依存」あってこその「自立」なのだ、「違い」のあることこそ「同じ」なのだ、「脱学校」に走ることなく、いま一度「学校教育」にこだわるべきだと説く。
 教育や運動の実践内容に対する具体的言及に欠けるところに若干の不満は残るが、障害者運動が何を提起して出発したのか、何をめざしているのかを知る、あるいは、実践の現場でともすると理念を見失いがちな教育や運動にたずさわるものが原点に立ちかえり、新たな実践への模索をするための有効な一冊であることは間違いない。
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