■人権問題研究室室報第20号(1998年1月発行)

中国朝鮮族事情調査旅行記

鳥井克之(文学部教授)

 人種・民族問題研究班の鳥井克之研究員と梁永厚、金英達両嘱託研究員の3名は1997年7月26日から同月30日まで、中国東北地区の延吉市、瀋陽市に住む朝鮮族事情を調査する機会を与えられた。以下にその報告を行なうものである。
 7月26日午前:台風襲来のニュースを聞きつつ家を出る。強風のため、空港大橋はバスで渡ることになる。9時55分発北京行きの日航785便に搭乗、北京時間12時5分北京空港に到着。空港内で休憩した後、18時20分発瀋陽行きの新華航空に搭乗するが、ひどい雷雨のため機内で3時間余りも缶詰になり、待機中の機内で喫煙する乗客まで現れて驚く。23時近くにやっと瀋陽桃仙空港に着くが、関西大学へ1年間留学した遼寧大学外事処の寇振鋒氏と運転手が4時間も待っていてくれたお陰で、深夜にもかかわらず順調に宿舎「五洲園」着き、第1夜を迎えることができた。
 7月27日午前:朝鮮街の西塔の視察と故宮の見学をする。午後:遼寧大学留学生楼2階で座談会を開く。参加者は元遼寧大学訳審(教授待遇)宋佑燮氏、遼寧省朝鮮族経済文化交流協会副理事長(前遼寧省民族委員会政法処長、朝鮮語教育責任者)禹哲熙氏、遼寧省朝鮮族経済文化交流協会常務理事(前『遼寧日報』社会部記者)鄭武氏の3氏。遼寧省の朝鮮族の概要、教育、家族制度についてそれぞれ鳥井、梁、金が質問して回答する方式で座談会を行った。夕刻、旧市内で答礼宴を開き、終了後、禹、鄭両氏の事務所で遅くまで雑談する。
 7月28日午前:再度朝鮮街の西塔を視察、特に朝鮮語書籍を取り扱う書店、朝鮮族の食品を売る市場、朝鮮病院などを視察する。午後:市内各所の朝鮮族の生活や韓国との交流を反映する現場などを視察する。その途次、旧藩陽駅、藩陽賓館(旧大和ホテル)、繁華街の中街などを見学する。夕刻、藩陽市南郊にある桃仙空港に向かう。19時10分発延吉行の北方航空に搭乗し、定刻通りに離陸し、20時15分に延吉に到着し、延辺大学歴史系の全春元教授の出迎えを受け、全教授手配の宿舎「緑源大厦」に宿泊する。
 7月29日午前:宿舎「緑源大厦」5階の会議室で座談会を開く。参加者は延辺民族教育改革弁公室主任・延辺朝鮮族自治州政治協商会議文教・衛生・体育委員会主任・全国少数民族教育研究会理事の姜永徳教授(研究員)、延辺大学延辺歴史研究所所長の権立教授、延辺大学教育学心理学教育研究室の千洪範教授、延辺大学歴史系の全春元教授の4氏。全教授が司会をして、姜、千両教授が朝鮮族の教育事情を、権教授が中国朝鮮族の歴史と現代中国における活躍についてそれぞれ講義された。時間を超過しての講義で、質問時間がなく、答礼宴で質疑応答することになった。座談会終了後、宿舎「緑源大厦」3階宴会個室で答礼宴を開く。午後:延辺大学外事処の日本製4輪駆動車で延吉市から東へ約60kmの地点にある国境の街図們市へ見学に行く。韓国から多くの観光客が来るらしく、土産物店の看板はすべてハングル文字のみで書かれている。国境の警備に当たる兵士以外はすべて撮影自由であった。全教授に導かれて国境線ぎりぎりの中州まで歩いていった。帰路、延吉市の高台にある廷辺革命烈士陵園に発ち寄る。夜、全教授個人の接待で延吉名物の冷麺をいただく。カラオケ(練歌房)に誘われたが、固辞して宿舎に帰る。
 7月30日午前:昨日の図們市見学のために大学外事処の車両を利用させていただいたことに対する謝意を表すため、全教授に伴われて鳥井だけが学長室へ孫東植副学長を表敬訪問し、鳥井の著書を大学図書館に贈呈する。その後、全教授の案内で鳥井、梁、金はキャンパス内を見学し、さらに延辺大学漢語系(中国語学科)研究室が編集・発行している『漢語学習』編集室に案内され、しばしの間、延辺大学漢語系主任・延辺大学対外漢語教学研究中心主任・『漢語学習』雑誌社長の朱松植教授、同漢語系副主任・同研究中心副主任・同雑誌社副主編の柳英緑氏、同漢語系副教授・同雑誌社主編の金基石氏の3氏と中国語と朝鮮語の教育と研究について意見を交換した。その後、新しく建設された留学生楼や夏期休暇中に成人大学講座を実施している学舎などを見学した。日本人としてショックだったのは、大学正門を入って正面にある古い瓦棒尾根2階建ては、旧間島省に置かれた旧日本軍憲兵隊本部の建物であり、その後ろにあるレンガ造りの平屋は取調室や牢獄であったことである。歴史の反面教師的証拠として保存しているとのことであった。周辺には解放後に建てられた学舎以外に、ここ数年間に建設された学舎や建設中の高層学舎が取り巻いているだけに、一見して奇異に感じられる建造物であった。一通り見学も終わり、正午になるので辞去しようとしたところ、私たちと共に学舎見学に同行されていた『漢語学習』編集室の先生方が私たちを朝鮮料理の昼食に招待するとのことで、用意された車に乗り、市内繁華街にある、数ヶ月前まで北朝鮮政府が直営していたというレストラン「大聖館」に赴き、ご馳走に与る。
 午後:全教授の案内で私たちは繁華街、特に朝鮮族の生活や韓国との交流を反映する地点を中心に見学した。例えば中国で出版された朝鮮語の書籍や教科書を販売する書店、朝鮮族の人々の食品や日用必需品を取り扱う市場を見学した。また街の中心地に高くそびえるキリスト教会や郊外に建てられた5星級のホテルを眺めたが、それらはいずれも韓国の資金で建てられたものである。公共機関の門標や商店街の看板はすべて漢字の中国語とハングル文字の朝鮮語が必ず併記されており、ハングル文字しか表記していない看板も多く見られたが、漢字表記だけのものはほとんど見かけなかった。このような光景は瀋陽市では西塔の朝鮮街だけであったが、延吉市では全市の至る所で見られた。夕刻宿舎に戻り、全教授に対するささやかな謝礼の夕食を摂る。延辺大学外事処差し回しの4輪駆動車で空港に赴き、20時40分発北京行きの新華航空に搭乗するが、またもや1時間余り遅れて離陸した。深夜23時50分に北京空港に到着したが、26日に車の手配を頼んでおいたので「闇タク」の世話にならずに北京大学勺園に向かう。真夜中の1時に到着したにもかかわらず、事前に北京大学の知人を通して遅く到着することを連絡しておいたので、フロントは快く起きて来てくれた。そのお陰で無事に北京大学勺園のベッドに横たわり、正味5日間にわたる中国朝鮮族事情調査旅行の疲れをいやす眠りにつくことができた。

追記:8月2日午後:梁、金は北京空港からソウル金浦空港へ飛ぶ。8月6日午後:鳥井は北京空港から関西空港へ向かう。
鳥井克之:今回の調査で入手した中国朝鮮族の概況を纏めた著書を翻訳する。
梁永厚:中国朝鮮族の教育事情に関する報告をする予定。
金英達:中国朝鮮族の家族制度などに関する報告をする予定。

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部落問題研究班の合宿報告

吉田徳夫(法学部教授)

 この夏休みの期間の9月7日から8日にかけて、部落問題研究班は、飛鳥の植田記念館で研究合宿を行った。今まで部落問題研究班は、個々人或いはグループ毎に研究・調査活動を行い、人権問題研究室の全体の研究例会や同室の紀要に報告等を行ってきた。今回は部落問題研究班全員が一堂に会して、現在の部落問題に関して議論を行うことを目的にして、独自の研究合宿を行った。班独自の合宿を持つことは従来から要望されていたが、準備の不手際さのため、参加を呼びかける準備期間が短かった。そのため参加者は6名に止まったが、今後もこうした研究合宿を積極的に行う予定にしている。
 今年1997年3月に地対財特法の一部改正案が出され開会を通過した。また政府は昨年末に人権擦護施策推進法を制定し、今後は同和問題を含めた幅広い人権問題に取り組むという方針を出した。しかし政府が同和問題から人権問題へ移行させるという時に、何を具体的な課題とするか明白ではない。国連が提唱した人権教育十ヶ年計画を受けて、今年になって政府はその行動計画を策定した。同和行政が一般施策へ移行しつつある中で、事態は新しく展開しているが、従来の同和行政や解放運動に対する評価が求められている。
 マスコミも部落問題について各種の特集を組んだ。毎日新聞は「部落差別の現在」、京都新聞は「差別撤廃に向けて」という特集を組んだ。今回の合宿では、祉会学部の田宮先生・委嘱研究員の住田先生から、京都新聞と毎日新聞に掲載された特集を議論の材料にして報告を受けた。田中先生からは、吹田市で携わってこられた人権問題に関する市民意識に関する調査の中間報告という形式で報告を受けた。
 住田先生から、28年間の同和対策事業により、被差別部落は大きく変化したと言い、その中でも部落の貧困・低位性は特定の年齢層や階層に限定した問題になりつつあると報告を受けた。また若者は通婚の拡大により、部落民としての自覚が薄れ、解放運動を担う者が少なくなったと指摘された。今後に対する提言として、被差別部落大衆の自立・主体性が問われ、また差別と隔離を受けてきた被差別部落民の「内面的な弱さ」と言う問題を提示された。
 田中先生からは、アンケート調査を踏まえて、部落差別の現状について「心理的差別」があると思う人は多いが、「実態的差別」があると思う人は少なくなったと報告された。若年層は、同和教育の成果であるのか、結婚問題等での態度には積極的な人が相対的に多く、壮年層は部落の環境改善等が進展してきた事を踏まえているのか、部落問題は解決されると考えている人が多い。しかし、若年層と高年齢層とでは一致して、伝統的風習に対する同調志向や少数意見の発言が為しがたいと応えている点が気になるという。
 田宮先生からは、新聞に連載された記事は、今後の「新しい運動」に対して希望が述べられているが、解放運動として人権問題を位置付けるときに、何をどうするのか明白に見えてこない、という指摘があった。
 合宿の議論を紹介したが、何れも私個人の要約である。従来の解放運動が、部落の低位性を述べ、格差の撤廃が主張されて、大阪等では成果があったとすれば、解放運動としては次に何を課題とするのか、今後に遺された問題である。
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課外活動と女性
−1997年関西大学学生へのアンケート調査−

石元清英(社会学部助教授)

 人権問題研究室女性問題班では、「大学教育と女性」というテーマで、1987年と1993年に本学の学生を対象とした意識調査を実施してきた。これは無作為抽出した男女それぞれ 1,000人を対象とし、学生の女性観・男性観・結婚観、男女役割分業意識、将来の職業や人生設計に対する考えなどを把握することによって、これからの大学教育の課題を明らかにするという目的で行われた調査である(1987年の調査結果は『人権問題研究室紀要』第16号に、1993年の調査結果は同29号に報告されている)。
 今回の調査は、1987年から数えて3回目となるものであるが、前回までとは異なり、調査対象を体育会系のクラブや同好会(サークル)に所属する学生とした。このように、今回の調査において調査対象を限定したのは、つぎのような調査目的を設定したからである。
 関西大学のみならず、クラブ・サークル活動中心に大学生活を送るという学生は少なくない。実際、学内のクラブ・サークルに所属する学生は、第1部で女子68.5%、男子61.5%、第2部で女子46.8%、男子39.1%にのぼる。そして、クラブ・サークルに所属する学生のうち、スポーツ関係のクラブ・サークルに所属するものは、男女計で第1部60.8%、第2部61.1%を占める(「学生生活実態調査」関西大学学生部、1995年)。また、クラブ・サークルに所属しない学生も含めた全学生に対して、大学生活でもっとも充実したことがらをたずねたところ、35.4%がクラブ・サークル活動と回答している(関西大学学生アルバム委員会による4年次生へのアンケート結果)。
 このように、関西大学ではクラブ・サークルに所属する学生が半数を超え、その活動が大学生活でもっとも充実したものであったと考える学生が多くみられるのである。したがって、大学生活において大きなウエイトを占める課外活動の現状を把握する意義はきわめて高いといえる。
 一方、学内のクラブ・サークルには、先輩・後輩という上下関係に重きを置くという<伝統>がみられる。当然、こうした<伝統>は時代によって変化し、近年は薄れつつあるかもしれないが、大学のなかにあっては、クラスやゼミなどの、他のさまざまな組織・活動に比べて、クラブ・サークルには強い上下関係が色濃く残っているのは事実である。同時に、そこでは伝統的な男女役割分業意識も根強く存在しているものと思われる。それゆえ、クラブ・サークル活動に参加している学生たちの男女役割分業意識のありようや、女性観・男性観・結婚観などを把握することは、今後の大学による教育・啓発のあり方を考えるうえでの重要な基礎資料となるものと考える。
 今回の調査で対象を体育会系に限定したのは、とくに積極的な意味はなく、文化会系のクラブ・サークルを含めた場合、文化会系に対する調査項目を新たに設定しなければならないこと、そして、調査規模が大きくなること、主として、この2点から、さしあたっては体育会系クラブ・サークルだけを対象としたまでである。今後、機会をみて、文化会系のクラブ・サークル所属学生を対象とした調査も実施し、体育会系と文化会系との比較を行ってみたいと考えている。
 今回の調査では、前回(1993年)の調査結果との比較(全学的傾向との比較)のために、調査規模を前回と同様にするつもりであったが、学生部に名簿が提出されている体育会系クラブ・サークルの所属学生数は、女子 730人、男子2,064人と、女子は1,000人を大きく下回っていた。そのため、女子については悉皆調査とし、男子では等間隔2分の1抽出を行い、標本数を 1,032人とした。これらの調査対象学生に郵送法により調査票の配付・回収を行った(9月17日発送)。
 調査項目は比較のために前回のものを一部用いたほか、クラブ・サークルの規模・男女の構成、1年間にかかる費用、クラブ・サークルに入った動機、満足している点、不満な点、クラブ・サークルにおける上下関係、クラブ・サークルにおける女子マネージャーの役割とそれに対する評価などの項目を設けた。
 当初、調査票の返送期限を10月4日としていたが、回収状況が予想外に悪かったため、2度にわたる督促を行い、返送期限を3週間ほど延長した結果、10月末日現在での回収は、女子 247人(回収率33.8%)、男子192人(18.6%)、合計439人(24.9%)となった。回収率の低いことが、多少気がかりではあるが(前回の1993年調査の回収率は、女子44.3%、男子26.6%、合計35.5%)、回収できた調査票を綿密に分析することによって、クラブ・サークル所属学生の意識をできるだけ正確に把握していきたいと考えている。
 調査結果の分析は、これからの集計をまたなければならないが、その結果については今年度中に『人権問題研究室紀要』に報告する予定である。また、このアンケート調査と並行して、女子マネージャーに対する聞き取り調査を計画しているが、その結果もあわせて報告できるよう、作業を進めているところである。
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研究学習会だより

開催日 1997年7月24日(木)〜25日(金)
テーマ 木村愛二『アウシュヴィッツの争点』について
講 師 金子マーティン(日本女子大学教授)

小川 悟(文学部教授)

 今回の合宿は、金子マーティン教授の木村愛二の「アウシュヴィッツの争点」という愚かしくも危険な本を中心とした講演が中心であった。「アウシュヴィッツの争点」の著者である木村愛二なる人物については、殆ど定かではない。「歴史見直し研究会」なるものを主催していて、「歴史見直しジャーナル」という雑誌を刊行している。この人物は、「アウシュヴィッツの争点」を書いて、アウシュヴィッツでのガス殺を否定している。以前にも「アウシュヴィッツの嘘」という文章を書いた男がいた。この男の狙いも不分明であったが、木村のこの本は、いわば第二弾というべきか。こういう文章が、最近巷間に流布されるということは、日本人の戦争や戦争犯罪にかんする感受性が鈍磨してきた証拠である。東大の藤岡なにがしという教育学者も「歴史の見直し」を主張している。笑って済まされない危険な風潮が徐々に社会に浸透しつつある。大体が、戦争当時の強制収用所において殺人に通じる残虐行為がなかったと主張する日本人たちは、いかなる根拠に拠って、そしていかなる目的に立脚しているのか、私には分明ではない。
 金子マーティン教授は、研究合宿でこの木村愛二を徹底的に批判した。木村愛二は、「アウシュヴィッツの嘘」の著者同様、信憑できる資料も事実も持たないで、ひたすらガス殺を否定するのである。当時の収容者に対する一人一人の聞き取り調査は、もちろんのことであるが行われていない。聞き取り調査を行えるほどにこの木村なる人物がドイツ語ができるとは思えない。おそらく学問的ズサンさに対する批判を覚悟で、彼はこの本を書いたと思われるのであるが、もしそうであるならばその意図はいずれにあるのだろうか。金子教授の講演から、私たちは今日の日本社会に忍び込んできている妖しの影を感じた次第である。翌日は金子教授の「南京事件とラーベ報告書」を中心としたシンポジウムを行ったことを付記しておく。
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書 評

源 淳子著
『フェミニズムが問う仏教』
(三一書房、1997年6月刊)

山村嘉己(文学部教授・人権問題研究室長)

 前著『性と仏教』で、仏教のあり方に秘む性差別を鈍く、かつ的確に批判した源さんが、その仏教を通して、日本文化そのものの根底にある自然観、あるいは宇宙論を徹底的に精査し、その底に拭いがたく存在する女性差別思想を点検したもので、前著にも増して舌鋒はますます鋭く、ますます冴えわたっている。
 「はじめに」において、かの女は西欧における近代文明の行き過ぎとそれを批判する≪ディープエコロジー≫が、ともに男性支配の原理によってもたらされていることを紹介しながら、その男性支配の原理の徹底的否定に立つ新しい欧米のエコロジカル・フェニミズムと共闘するにも、同じ近代文明の否定に立つ日本的な自然との共生論が、やはり、男性支配の原理を完全に否定しないかぎり、十分な稔りをもたらさないと主張する。
 「従来支配的であった西欧的自然観に対し、非西欧世界の伝統的自然観をあらためて顧みてみる」(伊東俊太郎)として、日本的自然観の再検討を奨める多くの所論が、結果としては無批判的な≪日本主義≫に堕し、むしろ保守反動の理論にすらなりかねないことを指摘するあたりは、西欧文学を研究し、その視点を日本文化論に重ねることで新しい時代に向う姿勢を固めようとしている筆者などには、改めて襟を正して拝聴するしかなかったというのが率直な告白である。
 又、一方、かの女の鉾先は、日本の神話や仏教に秘む自然観を分析し、日本人のもつ「おのずから(自然に)」という発想が「個」の自立的な行動や思想の構築を妨げ、自己抑制を正当化する点で否定の論理となり、仏教は結局それを補てんする役割を果たしたことを明らかにする。その論点は原始仏教から、空海、最澄を経て、親鸞、法然に到るまで余すところなく俎上に上される。その一つ一つの包丁さばきにはいろいろ文句をつけたいことがあっても、その流れるような論調にはわれわれを十分納得させる力がある。さらに加えて、その仏教の過ちは明治以後の近代においても相い変わらず改められることなく、現在の低調さを招いているあたりの批判はさらに間然するところがない。
 「本覚思想(草木国土悉皆成仏)」の分析や、山獄仏教の差別性の指摘、「国体の本義」の適切な解明など、日頃、かの女の主張に親しんでいるわれわれにとっても、改めて目を開かれる思いが強いが、初めてこの書に接する方々には、ぜひ、二読、三読してこの書の真髄を汲みとっていただきたいと願うばかりである。そして改めて真に日本文化の本盾を把握するには、いまだにわれわれがかざし持っている天皇制というものの徹底的な批判、検討が必要であることをかの女とともにつよく提言しておきたい。
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