■人権問題研究室室報第16号(1996年1月発行)

部落産業の現状と課題
−国際化時代に向けてニュービジネスヘの発展を模索−

田中 充(経済学部教授)

 本来ならば他の多くの企業がそうであると同様に、立派な伝統的地場産業であるということを誇るべきであり、また、広く内外の国民=消費者の必需品の生産にたずさわり、文化生活を支えて来ている重要な中小企業であるのに、わが国においては全く不当な歴史的・社会的差別を被って、産業構造の最底辺に位置させられている産業、つまり「部落の多数の者が従事し、部落内部で分業体制がとられ、部落の経済を左右する大きな影響力をもつ産業のことをいう」(解放出版社編『部落問題 資料と解説』第3版、1993.3)。
 そもそも、部落差別の本質的目的は、政治的には分断支配であり、経済的には搾取である。かの『同和対策審議会答申』(1965.8)は、産業の二重構造(上層に近代的に発達した部門と下層に非近代的で遅れた部門が広がっている)という構造的特質の中でとらえ、産業と職業の問題としては、農業・商工業の零細経営、不安定な雇用労働、都市における伝統産業の不安定さ、業種として代表的にト肉業・皮革業・製靴業等をあげている。
 不当な差別の結果、いやこのような職種に就かせるために被差別層が封建時代の権力支配者によって策略として固定化され、この屈辱的身分の犠牲のもとに、たとえば、牛馬などの死体処理とかかわって上述の産業が部落に定着してきているのである。
 わが国が近代国家への道を歩み出した初頭、1871(明治4)年の『解放令』は、封建的身分の解放という形こそとっていたが、その実、職業をも取り上げてしまったのである。新たに政府と結びついたところの部落外大手資本(近代的工場制工業)の参入により、在来・固有産業(小零細工業)として競争過程で敗退、それにもまして部落という運命共同体としての絆の中で慢性的窮乏化が余儀なくさせられてきている。
 しかしながら、部落外からの参入ということは、それだけ、これら代表的な部落産業がいかに重要な国民経済を担いうる産業であるということの証左でもあるのである。
 現在、ことに諸外国からの部落産業部門への参入=自由化の波は、日本経済の国際化の要請とともに一層日増しに激しくなってきている。
 時あたかも、『同和対策の法律』はまさに後退してきている。
 しかしながら、これらの産業にたずさわってきている人々は、このようなハンディと苦悩を克服しつつ、たとえば皮革業界ではトータルファッション産業の一環を担っている文化産業へとさらなる飛躍をめざしての自助努力、そして、関連業界(アパレル等)との交流・ネットワーク化も確固たるものにしてき、さらにそれを支援するところの行政・学識研究者等との研究・開発の積極化がみられてきている今日である。
 21世紀を目前にし、今こそ部落産業への偏見をなくし、国際的観点からヒューマニズムあふれる産業作りへ向けて国民的理解もまたさらに要請されるところである。
 文献 田中 充著『日本経済と部落産業』解放出版社、1992.2
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女性・人権・NGO
第4回世界女性会議とNGOフォーラムが終わって

金谷千慧子(委嘱研究員)

●アジアではじめて、北京での世界会議
 「第4回世界女性会議−平等、開発、平和への行動」は、1995年9月4日から15日(NGOフォーラムは8月30日から9月8日)、中国の北京で開催された。これは、1975年のメキシコ大会、1980年のデンマーク大会、1985年のナイロビ大会に続くもので、初めてアジアで開催された。189カ国(EUを含むと190カ国)の政府代表とNGOを合わせて約5万人が参加し、歴史上最大であり、日本からの参加者は約5000人だった。今回は「への行動」というタイトルが示すように、行動することの重要性が強調された。

●女性の人権概念の確立
 女性の運動は地球環境の問題や社会開発や人口問題と関わっている。1992年ブラジル国連環境開発会議、1993年ウイーン世界人権会議、1994年カイロ国際人口開発会議、1995年コペンハーゲン社会開発サミットなどと連携している。なかでもウイーン会議では、世界人権会議の宣言・行動計画に「女性の人権」が明記された。この中では女性への暴力について、武力紛争下の女性の人権侵害を「殺人、組織的強姦、性的奴隷制…などすべての人権侵害に実効ある対応が必要」とされ、この「すべて」に、日本は「現在の」を要求したが、「過去の」慰安婦問題に触れさせまいとする態度を非難され、「すべて」に修正決定した。このようにウイーン人権宣言で女性の人権が初めて特記され、女性への暴力撤廃を各国政府に求めた。北京大会では、「女性の人権」が具体的に討論され、「慰安婦」についても民間基金ではない対応を日本は迫られた。思えば、世界の歴史の「人権宣言」のなかに「男性」のみでなく「女性」が明記されたのは、今回がはじめてである。

●変革への力、女性たちのエンパワーメント
 この10年間、東西冷戦の終結によりイデオロギー対立は激減した。それだけに今回は政治問題ではなく、本来の議論が行われたが、宗教・民族対立の激化、環境や人口など地球的レベルでの討議を余儀なくされる課題が深刻化した。私の場合、北京女性会議は、1980年のデンマーク大会から3回目の参加になるが、今回はインターネットで事前にさまざまな情報を得たし、自分たちのワークショップもできた。困難な問題(未整備の会場/遠い会場/運営の不手際/過剰警備/雨ばかり)はありながらも、パワフルな、そして楽しい集まりだった。今後日本は、NGO(民間団体・草の根の活動家たちを含んで)との共存体制を本気で検討すべきだと思うし、世界共通語(英語)が話せない日本人が多いというのは、学校教育のあり方を根本的に問い直すことにもなっていると思う。

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韓国の法曹界をリードする関西大学韓国同窓会の会員を訪ねて

梁永厚(委嘱研究員)・金英達(委嘱研究員)

 8月7日から12日にかけて、韓国のソウル市および済州島に調査旅行をした。このたびの旅行の目的は、韓国司法界の重鎮として活躍している本学出身者にインタビューして、韓国の司法の歴史に関する資料を収集することであった。(旧制関西大学に学んだ朝鮮人学生については、『関西大学人権問題研究室紀要』第13号『創立100周年記念特輯、1986年11月』に詳しい)。ここでは、ソウルでの訪問について報告してみる。
 ソウル市に着くと、まっすぐ宿泊先であるニュー国際ホテルに向かった。このホテルの副会長が本学出身の白樂準(ペク・ナクチュン)氏であり、白氏は世界国際法協会の韓国本部の理事も務める国際法学者である。ホテル最上階の会長室で白樂準氏に来韓のあいさつをすますと、さっそく関西大学韓国同窓会を表敬訪問した。
 同窓会本部は、ソウルの中心部である中区三角洞の金鳳ビルの3階の一室に看板を掲げている。会長の李達雨(イ・タル)氏、副会長のツ圭甲(チョ・キュカプ)氏が私たちを出迎えてくれた。同窓会には事前に、元・大法院長(最高裁判所長官)の兪泰興(ユ・テフン)、同じく元・大法院長の李一珪(イ・イルギュ)、現・弁護士会長の金ソン(キム・ソン)の三氏へのインタビューの斡旋を依頼してあったが、当初希望していた一堂に会して話を聴くというのは日程の都合上難しく、個別に面会するというスケジュールを組んでもらった。
 最初にお伺いしたのは、6代目の大法院長を歴任した兪泰興氏(1941年専二法卒)のご自宅である。現在は現役を退いており、読書・執筆に余念のない生活とお見受けした。日本の法律学全集などの法律書が並ぶ応接室で、左翼の人権か国家の保安かで苦悶した法官(裁判官)時代の話をじっくりと聴いた。「人権の保障は国民所得に比例する」との言葉が印象に残った。帰り際に、おみやげとして『兪泰興大法院長演説文集』(法院行政処、1986年刊行)をいただいた。
 次に訪問したのは、大韓弁護士協会会長の金ソン氏(1943年専一法卒)である。場所は、ソウル市の瑞草区にある弁護士協会会館。この瑞草区には大法院の新庁舎をはじめ、各種の司法機関が続々と移転してきており、一帯が韓国の新しい法曹街の様相を呈している。「南山」の別称で知られていた国家安全企画部(旧・KCIA)もこの9月に瑞草区の新庁舎に移転した。現役の会長の金氏は超多忙で、昼休みの時間に昼食をともにしながら、主に日本留学中の懐古談を拝聴した。話を十分聴けなかった代わりに、大韓弁護士協会のパンフレット類や機関誌『人権と正義』の最近のバックナンバー等、多数の資料を頂戴した。
 8代目の大法院長であった李一珪氏(1943年専二法卒)は、退官後ソウルの新都心というべき江南地区で弁護士を開業している。弁護士事務所に伺い、主に韓国法曹界における旧制関西大学出身者の状況について話を聴いた。李氏には、私たちのたっての要望に快く応じていただき、『法院史』(法院行政処、1995年刊行)、『司法制度改革白書』(大法院、1994年刊行)等、大部の資料を人権問題研究室図書室に寄贈してもらった。
 これら三氏のインタビューに車で送迎して同行してくれたのは、新しい留学生世代の李英植(イ・ヨンシク)氏と南大源(ナム・デウォン)氏であった。李英植さんは、1989年学一英卒で、韓国から日本への企業研修を斡旋する旅行会社「リートラベル」の代表である。南大源さんは、1992年学一商卒で、韓国から日本への留学を斡碇する「国際文化留学センター、亜細亜学院」の代表で、情報誌『日本留学BANK』も発行している。ともに日本留学経験をすぐにビジネスチャンスとして活かしているところに、新しい韓国人像を感じた。このような活動的な人が、関西大学韓国同窓会の幹事になって活躍しているのは、とても頼もしいことである。
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書 評

小山仁示 著
「戦争・差別・公害」おぼえがき
(解放出版社、1995年11月刊)

小川 悟(文学部教授)

 小山仁示が、「戦争・差別・公害」という本を出した。徹底した反戦主義者であり平和主義者である彼は、この本の中で多くの歴史的事実に即して「戦争」「差別」「公害」という連鎖について記述している。いつの世もそうであるが、戦争は人々の予期せぬことを生み出す。また、戦争は、人々が常に心に留めておかねばならない事どもを見えなくさせる。つまり、戦争は、人々に多くの事どもを見させない。戦争による混沌にも似た諸状況は、しばしば人々に自分の方途を見失わせる。第二次世界大戦後、われわれは、戦争の結果としての多くの問題と対決しなければならなかった。これらの問題の中には、未だに解決されぬまま残っているものも多々ある。小山のいうように、戦後の日本の繁栄は、近隣諸国の犠牲の上に築かれてきた。決して、われわれは、この点については重大な歴史的事実をともすれば忘れがちである。政治家たちは、戦後の繁栄は、日本国民の努力の賜物であるというが、たとえば朝鮮戦争による繁栄の矛盾について、彼らは決して語ろうとはしない。
 かつて海部首相が歴訪した東南アジアの国々は、ことごとく日本軍隊の軍靴の跡を留めているのである。この跡を掘ることは、日本軍隊の非人道的暴虐の事実を発掘することになる。中国や朝鮮は、いうまでもない。われわれ日本人は、この重大な歴史的事実の前で、語るべき何かを持っているのであろうか。それにもかかわらず、小山は、この本によって、われわれに何かを語らせようとしている。かつて「やむをえなかった時代」という表題のドイツ文学の作品集の翻訳があった。まさしく、やむをえなかった時代ではあった。しかし、この表現が戦争中のすべての矛盾を解消させるものであるとは思えない。戦争中の水平社運動の内実は、このやむをえなかった時代の中で、組織を守るためとはいい条、はなはだしく変化を遂げていった。当時のあらゆる組織がそうであったように、国家によるイデオローギッシュな強制的統制の前では、何もできなかったのである。おそらく、ただ一つの正義は、牢獄で死に至るまで座すことしかなかったのであろうか。それはさておくとして、被差別部落大衆に対する徹底的な融和政策のイデーは、在日朝鮮人に対する皇民化・同化政策と殆ど軌を一にするものであった。被差別部落大衆と朝鮮人に対する強権的融和政策と同和政策は、天皇の一視同仁思想の下で推進されていった。とりわけ、今日に至るもなお用いられている「同和」という言葉は、この思想の産物である。
 「戦争・差別・公害」という連鎖は、この日本の社会において常に追求されねばならない問題を示唆している。この本の重大性は、ここにあるといえる。
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研究学習会だより

開催日 1995年7月20日(木)
テーマ 外国人労働者の精神障害の諸問題
講 師 江畑敬介(東京都立松沢病院精神科部長)

葉賀 弘(文学部教授)

 雑誌、現代のエスプリ(335号)に、野田文隆氏の論文「多文化社会のこころを考える」が掲載されており、外国人労働者の日本における現状を考えるうえで恰好なケースと思われるので、その一部を引用しよう。――数年前、一人のインドシナ難民の労働者が一家を惨殺するという痛ましい事件が起こった。彼と彼の一家は希望をもって日本に定住し、貧しいながらもそれなりに幸せな社会生活を歩み始めているように傍目にはみえていた。しかし、言葉の壁、職場での小さな行き違い、周囲の意地悪などが徐々に彼の心を蝕み荒れさせていった。夫婦仲にもさざ波が立ち、彼は酒や浪費へと走るようになる。冷たい態度をとるようになった妻に彼は浮気をしているのではないかという妄想を抱くようになった。妄想は自棄と敵意の念によってさらに強化され、引き返すことのできない確信に至ってしまう。彼は妻を刺し、母なく育つ子供を哀れんで三人の幼い子供たちをあやめてしまった。――われわれはこのケースに類する事件を最近、よく耳にするようになって、近い将来、日本がむかえるであろう多民族共住型の社会において、外国人労働者や難民の異文化適応への援助のあり方に深く考えさせられるものがある。
 江畑先生らの研究班は、近年、国際化の進行とともにわが国に在住する外国人が急激に増加するなかで、特に精神障害者の問題が多発していることを指摘し、精神保健や精神医療の面からの具体的な対策を講じるための研究方法として、文献的調査、諸施設に対する実態調査、医療・行政機関および航空会社等へのアンケート調査を実施された。今回の講演はこれらの研究から得られた実態の報告である。
(1) 文献的には、早くから移民、難民、外国人労働者を受け入れていた欧米諸国では、外国人移住者に精神障害の問題が数多く見られる。移住そのものが精神障害を生じさせる原因ではなく、移住に付随する幾つかの危険因子が障害の要因となりうるとされている。また移住者の精神障害の成因として、個体の素因、受け入れ国側の要因、送り出し国側の要因の三者の相互作用によるとする考え方があり、単に個体の素因ばかりではなく、受け入れ国側の体制の問題も大切であることを指摘された。
(2) 都道府県の各施設からの報告として、東京都では措置入院および救急入院患者の中に外国人患者が急増していることが報告された。
 そこに横たわる問題として、措置入院にかかわる精神鑑定の際に、通訳を確保することの困難さ、その他、医療費の確保、入院中の日用品費の確保の困難さが指摘された。東京都23区のなかには外国人が多く居住する地域もあるが、そこを管轄する保健所には外国人の精神保健相談件数ゼロという事実もある。
 このことは、彼らないし周囲の人々の精神保健についての偏見や理解の乏しさによるのか、不法滞在などの身分上の問題のためか、精神保健相談機関としての保健所の存在が周知されていないのかと考えられるが、いずれにしろ彼らの精神保健問題に対するハードルは高いことが示された。東京都の精神科救急の場合では、発展途上国の外国人患者が急増しており、特に出稼ぎ目的の来日や不法在留しているケースの増加が顕著になっている。これらの受診患者を見ると、精神症状の出現後にも通常の医療機関へのアクセスがなく、その劣悪な受療環境のため、仕方なく精神科救急受診となっている。その対応上の問題としては、先述の諸問題に加えて入管法の通報義務と守秘義務の間の相克の問題が指摘された。
(3) 法律上の問題について言及され、厚生省は平成2年10月25日に「超過在留または在留資格外就労者を含む非定住外国人には緊急医療の生活保護を認めない」旨の口頭指示をおこない、わが国の外国人に対する態度を明確に示している。厚生省の指示は、日本が1979年に批准した国際人権規約のA規約に抵触する恐れがあるとされている。
 今回うかがった全国の各施設での実態調査の結果から、在日外国人の精神保健・医療の問題は潜行し、精神障害者が地域の中に潜在していて、重症化したときにはじめて事例化してくることが強く示唆されたように考えられる。
 江畑先生が、調査報告に基づいて、在日外国人に対する精神保健・医療施策として幾つかの提言をされているなかで、より緊急性の高いものを二・三紹介すると、
 1) 出入国管理法上の身分を問わずに、医療保障が得られ、またその間の生活保障が得られる制度の確立。
 2) 精神保健対策や医療が円滑に行える通訳ネットワークを確立する。そのために「医療通訳センター」を設置し、各保健・医療機関に対して電話回線を利用した通訳サービスも行う。
 3) 外国人の精神障害の早期発見・治療のために、「異文化適応障害相談センター」を設け、医療従事者に対して異文化対応訓練や研修が必要である。
 4) 外国人が多く居留する地域の人たちに対して、異文化対応のための啓発活動が必要である。
 江畑先生の綿密な調査結果をお聞きすることによって、外国人労働者のおかれている現状に理解を深めたことと、これから日本が迎えようとしている多民族共住型の社会に向けての課題を示されたように思う。
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