■人権問題研究室室報第36号
 (2005年 12月発行)
梨花女子大学キャンパスにて
    梨花女子大学キャンパス 
にて(金谷千慧子撮影)

 W o m e n ' s W o r l d 0 5 ( 6 / 1 9 〜 2 4 ) 報告 
     ─ 韓国のソウルの梨花女子大学にて─

 金谷 千慧子(委嘱研究員)

   
1 第9回学際的国際女性会議 
 2005年6月19日から24日まで第9回学際的国際女性会議がソウルで開催された。この会議の主催者は、韓国女性学会と梨花女子大学である。世界女性会議は3年ごとに開催される国際会議であるが、今回がアジアで初めての開催となった。WW05には、120カ国以上の国々から、女性学/ジェンダー研究の分野で活躍している学者や専門家、女性の活動家や政府関係者が3000人程度参加した。この会議は「世界の全住民を抱きしめて:東−西/南−北」というテーマを掲げ、地球上の女性たちが今日直面している問題を共有し、情報を交換し、議論する場にしたいという考えから始まった。WW05は、東−西、南−北の境界における変化や論争、東−西/南−北の間に見られる相違や不均衡をより広く熟考する場を提供したのである。この主題テーマのもと、WW05では次のようなサブテーマを設定された。
(1)グローバル化 
(2)ジェンダー・アイデンティティ 
(3)家族と日常生活 
(4)セクシュアリティ 
(5)ジェンダーと宗教 
(6)NGOと行動主義 
(7)環境と農業 
(8)ジェンダーと科学・技術 
(9)ジェンダーとICT 
(10)文化と創造性 
(11)ジェンダーとメディア 
(12)平和・戦争・福祉 
(13)法と人権 
(14)政治とガバナンス 
(15)女性学・ジェンダー研究 
(16)女性の健康とスポーツ 
(17)新しい世界のための新しいパラダイム 
(18)東と西/南と北 
(19)アジアにおけるグローバルな議題 
 
2 ウェルカムパーティとモンゲーラさん(Hon.Amb.Gertrude)のこと
 
 初日のウェルカムパーティでは90の国から約1500名の参加であった。李王朝の宮廷(誉政門Gyeonghuigung)の一つで華やかに、ダンスや民族舞踏が繰り広げられた。ソウル市長の英語の挨拶があり、1985年ナイロビ大会、1995年の北京会議でコーディネーターをしたタンザニアのモンゲーラさ ん(Hon.Amb.Gertrude I. Mongella,Mp) が、基調講演の後、梨花女子大の名誉教授に就任するというイベントもあった。私にとっては、両方の国際会議ともに5万人が参加した大会場の参加者の一人として、モンゲーラさんをまぶしく見つめていたのだった。思わず懐かしくなって、中央の貴賓席のモンゲーラさんに近寄って、「こんにちわ」といった。モンゲーラさんは「ナイロビでも、北京でもお目にかかりましたね。お久しぶりです」と握手してくれたのだ。 何とも…。 
ウィメンズ ワールド2005(WW05)のウエルカムフェスティバルは6月19日7時半からスタートした。ソウルの紹介ビデオを皮切りに、ソウル市長のMyung-bak Lee氏の歓迎の挨拶で開会となった。Lee氏曰く「アジアでこの会議が開催されるのは初めてのことで、これは韓国の女性の地位が向上したことを示すものです。この会議に参加されている方々は将来重要な役割を担うであろうことを確信しています。皆様が夕食の後のパフォーマンスを楽しまれる事を願っております。それは、ちょうどソウル 市のように、過去と未来の結集したものです」。 
 WW05大会組織委員長Pil-wha Chang 氏もWW05の参加者の来韓とIICWへの参加に暖かい歓迎の意を表した。夕食の後、フュージョン劇場パフォーマンス、“She is coming”(彼女がやってくる)が舞踊 と韓国の伝統音楽で演じられた。そのパフォーマンスは、WW05の文化委員会の共同議長Hyae-kyoung Leeによって制作され、同文化委員会の会員であり、梨花女子大学の舞踊学部の教授であるKi-suk Cho氏が振り付けを担当した。舞踏は4つのパートに分かれていた。
     1.She is coming(彼女がやってくる) 
     2.Moonlight Sailing(月夜の航海)  
     3.Moonlight Dance(月夜の舞い) 
     4.Sailing off Together (船出を供に)
 
3 基調講演「リーダーからの感化」 
 
 「どうしたら男性社会で女性がガラスの天井を克服することができるか」という質問に、汎アフリカ議会(PAP)議長で、WW05の基調講演者Mongella氏(ガートルード・モンゲーラ)の答えは、「あなたがしたいどんなことでも、それを強く切望し、最善となることを目指せば、ガラスの天井は打ち破ることはできます。ガラスの天井は女性を押し下げます。これを言葉だけでは打ち破ることができません。打ち破るための行動を起こさなくてはなりません。さらに力強い運動には責務と犠牲がつきまと います」と答えた。 
 Mongellaさん自身がガラスの天井を破ることができたのは、両親の娘の教育への、継続的なサポートのおかげだったと言った。 
 「私の両親は、私が教育を受けることを応援してくれた。女性も男性も自信を持つことが重要です。自分に対する自信が、触媒(カタリスト)として勇気ある決断をするときに役立ちます。 PAPの議長に立候補することは、勇気のいる決断でした。しかし、私は『立候補するべきか、どうかをくよくよ考えすぎることなしに自信をもって決断することができ ました』。という。 
 彼女のPAPの議長への任命は、アフリカ社会に確実に大きな衝撃を与えた。さらに彼女が付け加えたことは、「アフリカの女性と男性の両方にとって記念すべきことであるということです。男性が女性に投票する準備ができていることを表しているのである。また女性の奮闘の成功を証明するものである。もう1つの前向きな変化は、アフリカ連合国家が国会で男女平等の概念を考慮し始めたということである」と。 
 フェミニストとしてMongella氏は、男女不平等は2つの基本的な要素から始まると考えている。それは、「意思決定権」と「経済力」である。 
 「意思決定権」とは、全てのレベル−家族、地域社会、政治などにおいて決断をする力を意味する。これらの決断は発展することに影響を与え、いい意味で社会をかえていく。しかし経済力なしには、女性は決定をすることができない。だから2つの要素は、ともに作動しなければならない、と。 Mongellaさんは、教育はこの2つの要素に関連する道具であると強調する。「グローバル化の過程では、女性は教育が助けとなって、意思決定し社会参加が可能になる」という。またMongellaさんは、WW05が韓国で開かれことは、いろいろな観点からみて重要な意味があると述べた。 
 「第一に、世界の女性の大半はアジア人です。第2に、私は個人的に、韓国を発展途上国から脱した希望のシンボルと見ています。しかし、韓国の女性には疑問をもっていることがあります。女性はこの発展から利益をもたらされたでしょうか?それを検討すべきです。この過去40年間、女性は何をしてきたのでしょうか?」。 
中央はモンゲーラさん、右端はソウル市長
中央はモンゲーラさん、右端はソウル市長            
 最後に、Mongellaさんが考える理想の社会とは、の質問に、「性別は自然の現象です。性別は個人の能力を妨げることはありません。全員に与えられる平等の機会というものは、性別には関係ありません。これは全員が同様に扱われるという意味ではありません。単に全員が同じ機会を与えられるということです。機会の後は、その人次第ということです」。 
 「私が議長に立候補した時、“私が女性だからという理由で投票するのはやめて下さい。私が何かをできるという理由で投票して下さい。私が女性だからという理由で私を無視しないでください。私が女性だからという理由で私に賛成しないで下さい”と、言いました」。 
男性又は、女性であるというだけでは十分ではない。個人の技能で判断されるべきである、基調講演を締めくくったのだった。 
 
4 ワークショップ報告 
 
 6月20日からのワークショップの会場は梨花女子大(ehwa University)のキャンパス全部で繰り広げられた。梨花女子大は山あり谷ありの地形で、毎日の学生の教室移動は大変だなと思った。このワークショップは知識や経験が一同に会して交流するフェスティバルというだけではなく、女性研究者や活動家が手を結び行動に向かってエンパワーメントする場になることが目的となっていた。これらのワークショップでは、大学院生や若手女性活動家のための「ヤング」フェミニスト・フォーラムなど、いくつか若手を重視する企画があった。若い女性の性非行からの回復と仕事の訓練をするNPOの展示で活動家の情熱的な説明に私も熱くなった。政府の資金援助が今年から増額されたといっていた。 
 私たちのワークショップは、『グラスシーリング(ガラスの天井)をどう突き破るのか』というタイトルで、M字型就業形態の背景と女性の管理職比率の低さや日本における男女共同参画センターの役割などの説明をした。しかし行動に向かって議論するというレベルではとてもなかったと反省している。土壌が同じではないアジア・アフリカの女性問題のなかで、どう接点を結ぶのかはなかなか難しい。「ポリガミー(一夫多妻)こそ問題」というタンザニアの女性や女性議員が少なすぎるというカンボジアの女性などなどで、それらの根っこを議論するには、時間が少ないのと言語がやはり大きな課題である。 
若い女性の職業支援をするNPOの展示
若い女性の職業支援をするNPOの展示 (梨花女子大学のキャンパス)(写真は筆者撮影)            
 それでも韓国と日本は本当に似た状況にあると改めて感じた。M字型就業形態にしても女性の賃金の低さにしてもである。ただ違いを感じたのは、韓国の女性たちには、ジェンダーに立ち向かう「勢いがある」というのが実感である。日本は、何ら解決していないのに、ジェンダーの課題はもう過ぎ去った日のような勢いのなさを感じてしまう今日この頃だから、よけいに、韓国の参加者たちが「フェミニズム」「ジェンダー」などの言葉をふんだんに使いながら、熱っぽく議論しているのをうらやましく感 じた。 
(委嘱研究員) 

 
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      W o m e n ' s W o r l d s 2 0 0 5 に参加して  

源 淳子(委嘱研究員)

   
 2005年6月20日午前9時、韓国ソウルの梨花女子大学大講堂で第9回国際学際女性会議(Women's Worlds 2005)のオープニングセレモニーが始まった。国際学際女性会議とは、1981年にイスラエルで第1回会議が開かれて以来、3年に一度開催される。アジアでは今回の韓国が最初の開催であ る。全体テーマは、「地球を抱きしめる:東と西、北と南」。前日の19日には、前夜 祭が行われ24日まで開催された。 
韓国ソウルの梨花女子大学大講堂
韓国ソウルの梨花女子大学大講堂            
 韓国での開催の背景には、韓国政府の女性問題への熱意がある。韓国政府と女性省、そしてソウル市が全面的に財政を支援し、多くの企業が協賛した。また、国際会議の開催で学術面においても力を入れていることを世界にアピールできるからであろう。韓国政府の意向は、オープニングセレモニーでのLEE Hye-Kyung(大統領夫人)の挨拶にも伺えた。彼女は、「韓国社会が男女平等をめざす上でフェミニズムは今後も必要である」とフェミニズムの有用性を語った。フェミニズムを認める社会は男女平 等が進む。それに比して日本の現状は、フェミニズムは、一部の過激な女性の思想と嫌われている。「ジェンダー」の使用も許さないというバックラッシュの勢いが増している。韓国の現状とは対照的である。会議には、韓国の若い女性による「ヤング・フェミニスト」というフォーラムが開かれ、 参加者との交流を図っていた。 
×      ×  
 Women's Worlds 2005は、女性学に関するあらゆる領域を網羅し、世界から3000人以上の女性が参加した。そのなかに、わたしが発表した「宗教とジェンダー」のセッションもある。そして、そのセッションにも各国からの発表が相継いだ。世界規模の女性会議では、宗教の領域を当然のこととして設ける。しかし、日本国内の会議では、宗教をめぐる女性とジェンダーといった領域はつけ足しの感がある。 
 日本からは、キリスト教、仏教、新宗教、そして天皇制の4グループが参加した。わたしたちのグループは、「仏教とジェンダー」である。テーマと発表者は、「日本化された仏教」(岡野治子氏)、「水子供養」(日比野由利氏)、そしてわたしの「大峰山の女人禁制」だった。持ち時間は、1時間 30分。質疑応答の時間を考えて、ひとり20分の発表時間である。わたしは、昨年の7月、「女人禁制」を不問のままユネスコの世界文化遺産に登録された「大峰山」の問題についてビデオを交えて発表した。その後、水子供養に質問が集中したのが印象的だった。堕胎という女性の身体に負荷される問題だからこそ関心を集めたのである。 
×      ×  
 発表の前後には、他のセッションを聞きに行ったり、学内で催されている展示や記念品をみたりした。そのなかで、自然環境を守る運動を仏教の立場から発表した韓国のスニム(尼僧)Sung-Hae Kimさんの講演が強く印象に残っている。Sung-Hae Kimさんの講演は、Cheonsung山のトンネルをつくるのに反対する運動についてであった。やせ細った体は、断食の結果であった。何度も何度も諦めず、体が許す限り断食で抵抗を続けているのである。そして、断食のまっただ中にある講演に感動した。 仏教精神に生きるスニムの姿がそこにあった。韓国にはまだ仏教が生きていると感じた。その会場には、Sung-Hae Kimさんを尊敬する多くのスニムの姿があった。世燈スニムもいた。涙の再会だった。 
 世燈スニムとは、15年前、駒沢大学に留学していたときに知り合った。その時の世燈スニムのつらい経験を思い出す。男性教授から「勉強もいいけど、早く還俗し結婚して幸せな家庭をもったほうがいい」といわれたことである。悲しそうで悔しそうな世燈スニムの顔をわたしはいまもはっきりと記憶している。教授は仏教者であった。それなのに仏教を蔑ろにし、スニムの尊厳を傷つけたのである。その後、世燈スニムは、友人たちと主宰していた雑誌に「八敬法と比丘尼」という論文を投稿してきたが、 その冒頭に「日本の男性、特に坊さんは比丘尼を僧と見ず女と見る」と書いていた。いまは慶北清道の雲門寺に住持している。 
 Women's Worlds 2005に参加した韓国での5日間、わたしは、ほとんど梨花女子大学構内で過ごし、夕食にだけ町に出かける毎日だったが、そんななかで昨年、梁永厚先生に案内していただいた西大門刑務所に、この度は、「宗教とジェンダー」のセッションの参加者たちを案内した。 
(委嘱研究員)
 
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新研究員紹介

高 明 均 (外国語教育研究機構助教授)

 今年4月から本学外国語教育研究機構に赴任するとともに、当研究室人種・民族問題研究班の研究員として迎えられ、専門家の諸先生方と一緒に研究ができるようになったことを嬉しく思います。 
 私の専攻分野は朝鮮語学及び朝鮮語教育学ですが、とりわけ語彙意味論研究や、17世紀の諺解本を資料としながら近代朝鮮語についての研究をすすめています。本学に赴任するまで、私は韓国教育人的資源部(文部科学省に相当)国際教育振興院に勤務し、在外同胞の民族性涵養に役立つ言語文化教育や、国家レベルでの国際交流事業に従事してきました。 
 ところで、現在海外に暮らす同胞は約650万人に至っていますが、これは本国の人口を基にして計算する時、イスラエルに次ぐ高率を示しています。かつて韓国政府は、在外同胞の民族的アイデンティティを維持・確立することに主要な努力を傾けていましたが、今日では当該居住地における社会の一員として立派に適応しながら、母国との紐帯関係を強化できるよう支援を行うことに政策的な重点を置く方向へと政策転換を進めています。特に在日韓国(朝鮮)人の間では、世代を重ねるなかで民族的ア イデンティティをめぐって深刻な状況が見られ, 教育問題、就業問題, 未来への不確実性, 民族的差別など、さまざまな問題を抱えています。こうした時代にあって、彼らにとって望ましい将来ビジョンを提示し、未来に希望が抱けるようになるために、何をどうすべきなのか, また、彼ら自身がどのように考え、いかなる努力を傾けながら未来を設計していけばよいのか、といった 点で悩んでおります。 
 韓国は急速な経済成長を遂げOECD加盟国にもなりましたが、人権擁護の面でも先進国の仲間入りを果すために、‘国家人権委員会’を発足させました。‘国家人権委員会法’には、以下のように、その設立目的が明記されています。 
 
 第1条(目的) 
 この法律は、国家人権委員会を設立し、すべての個人が有する不可侵の基本的人権を保護し、その水準を向上させることを通じて人間的尊厳と価値を具現し、民主的基本秩序 の確立に貢献することを目的にする 
 
 国家人権委員会はこれまで、軍隊内疑問死問題の調査・真相解明や、疏外されてきた個人や団体の権益を保護するために、時には政府とも対立しつつ活動を展開してきました。しかし、設立当初に期待されたほどの成果を上げられないでいるのが実情です。私はこうした点に注目しながら、社会の随所に見られる人権侵害, 外国人労働者差別, 疏外された階層に対する福祉政策, 養子縁組で海外に渡った人々のアイデンティティ確立の問題, 在外同胞の法的地位及び待遇などに関して、韓国のみならず世界各 国の事例も調査し、その過程で浮かび上がってくる問題点と、その解決策について考察していきたいと思います。人権問題研究室の家族の一員として研究に励んでいきたく思いますので、よろしくお願いいたします。 
 
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書 評

『「女人禁制」Q&A』 源 淳子編著 
『「女人禁制」Q&A』
(解放出版社 2005年9月30日刊)


金谷 千慧子(委嘱研究員)



1 グループの成長の記録、戦いの全貌 
 『女人禁制』とは、すべての人に解放されているはずの自然の山に、さまざまな着色を施して、女性だけには入れないという自然の存在規律に反したことをしているのであり、女性の人権に関わる問題である。国連条約や国内法、県条例にも違反していることが明らかな慣習である。 
 この大部の書籍は、『女人禁制』をやめさせる壮大な活動のまとめであり、また活動グループの成長の記録でもある。そして、理不尽な風習に対する戦いの全貌でもある。この大部の書籍は、構成に工夫を凝らしている。まず「Q&A」という形状でわかりやすく関係者だけでなく、多くの人を引きつけようと工夫している。さらに資料として掲載されている「大峰山女人禁制」の開放を求める会の活動経過(03年11月〜 05年9月)や「大峰山女人禁制」の開放を求める要望書、「大峰山(山上ヶ岳)の「女人禁制」を残したままの「紀伊山地の霊場と参詣道」のユネスコ世界文化遺産登録にあたってのアピール」、「大峰山女人禁制」関連年表(1872〜2005年)などは興味あるものである。 
2 「伝統」か「差別」かの議論について 
 「女人禁制」問題では、開放と非開放で分かれるが、その両者の主張を代表するのは、「女性差別」か「1300年の伝統を守る」かである。著者はこの議論の設定そのものに問題の本質を取り違いがあるという。「差別」か「伝統」かを二者択一する思考方法が解決に向かわないことになるというのである。この「差別」か「伝統」かの議論の設定は一見問題の要点をわかりやすく提起しているようにみえるが、「女人禁制」という人権侵害の「責任」と「原因」を逆転させているといっている。つまり、『「伝 統」では女性差別は許されるという前提になっているのではないか。女性差別以外の部落差別やハンセン病差別などに「差別ではありません」という発言はないはずである。ところが「女性差別」では、「伝統ですから」といえる状況が未だ日本にはある。つまり女性差別が理解されていないことの証左である』(p197)。この「伝統」か「差別」かの議論の設定では伝統に口出しする原因をつくっているのは、開放を求める運動団体であり、開放を求める運動団体が責任を取らねばならないということになって しまう。この「伝統」の延長線上に「宗教」があり、「宗教」こそが逃げ口上になるのである。行政関係者や一見争いごとが嫌いだと称する穏健を名乗る人が逃げの隠れ蓑にしがちなのである。 
 このように二項対立での問題提起の手法は、一方に与する前提で議論が始まってしまう、と著者はいう。何を二つの項目に設定するかという段階ですでに勝者が予測される設計になっているのである。「伝統」というには、まず、伝統とは何かをと問うべきだという。「伝統」の歴史的意味を問い、それがどのようにつくられ、変化しているのかを問い、誰のための「伝統」なのか。そしてそれは誰との関係で「伝統」となっているのかといった提起がなされてしかるべきなのである。重要な問題提起であると思う。歴史上の独裁者の多くがこういった厳選されていない二項対立論争から、ことを始めたではなかったか。 
3 「女人禁制」とジェンダーの関係 
 「大峰山」の修験場の歴史を繙くと、江戸時代に隆盛を極めたようだが、他の宗教も男性中心であり、女性は「五障三従」の存在として家父長制の下で生きることを強要された。神聖な場所から女性や女性の修行者を閉め出すことがあたりまえのことになっていった。そしてこれを瞭然としてきた歴史が、やがて「伝統」ともよばれるようになった。こうした構造から考えると、男性中心の宗教の見直しが必然的な課題であることは疑う余地はない」。「もし、それを『宗教的伝統』などと言い張るなら、従 属的な位置に置かれた女性の人権を侵害し、差別を容認することになるからである。 
 『大峰山』のような場所が『一つぐらいあってもいい』ということを見直すことが、ジェンダーの見直しでもある」(p227〜 228)、といっている。その通りだと思う。 
 「大峰山」の境界は、犯罪を防ぐ意味でつくられているのではなく、さまざまな理由付けをして女性排除のためにつくられている。さらに確信的なことは、その意味を女性自身に入ってはいけないと自覚させ、「慣習」とさせることなのであり、超法規的な機能を発揮してきた(p229)、と分析している。この問題提起はきわめて重要だと思われる。差別は法律でなく、習慣化し内在化するときに、最も大きな差別の強化に効果を発揮するのである。 
 4 「大峰山」の「女人禁制」と世界文化遺産登録 
 2004年7月1日、「紀伊山地の霊場と参詣道」が、世界文化遺産として正式に登録された。メディアもこぞって大喜びであった。ユネスコとは1946年に成立した国連教育科学文化機関で、教育・科学・文化を通じて平和と安全保障に寄与することを目的としている(日本は1951年加入)。 
 「平和」を基本理念の一つとするユネスコの事業において、「大峰山(山上ヶ岳)」が、女性を排除する「女人禁制」が敷かれたままで世界文化遺産登録されたことはきわめて残念なことである。『大峰山』の『女人禁制』の開放を求める会では、2004年8月2日、ユネスコ本部へ以下(次頁)のような抗議と質問状を出している(Q36 p181より)。 
5 人権に優先する伝統、慣習はない 
 今「女人禁制」を問うことは、歴史の中でのさまざまな「女人禁制」がどのようにつくられてきたかを問うことなのである。そしてそれは、女性をどのようにみてきたかをも問うことになる。世界はグローバル・デモクラシー(地球規模での民主主義)に向かっているが、「女人禁制」は、そのグローバル・デモクラシーとも逆行するものであり、決して過去の問題ではない最後に、欧州議会、「機会均等」委員会カラマノウ委員長の朝日新聞(2004年1月9日(金))の伝統と女性差別という人権問題に関する記事を紹介する(p182)。 
 男尊女卑の伝統があるギリシャでアトス山の女性への開放を公言するのは、タブーだった。私は01年に欧州議会で世界の地図上のどこでも性別による不平等があるべきではないと訴えた。女人禁制の規則ができたのは、千年も前で女性にとって暗黒時代とも言える中世だ。女性が教育を受ける権利すら認められなかった。いまやギリシャの大卒の6割以上は女性が占める。いかなる伝統、慣習も人権より優先するものであってはならない。日本の伝統競技の相撲で、女性が土俵に上がるのが厳禁と聞くが、それもおかしな話だ。私はアトスをリゾートにしようとは考えていない。宗教の伝統、秩序は遵守した上での開放を求めている。 
(委嘱研究員) 
 
  

 ユネスコへの抗議と質問状     2004年8月2日 
 
世界文化遺産の登録にあたって『大峰山』の『女人禁制』の開放を求める会

 現在、「大峰山女人禁制」の区域には、男性なら信仰の有無に関係なく、登山目的であっても 登ることはできる.。しかし女性は「大峰山」信仰の修行者であっても登ることはできないので ある。すでに開放しているギリシャ正教のアトス山と比較検討すると、「大峰山」の今日のあり ようは全く違う。アスト山は「修行院」として機能しており、そこには、修行者のみが生活し ている。またアトス山を訪問するには、厳格な処置がとられており、許可が必要であり、ギリ シャ正教の信仰者でない者は1日10人に限られる。それにもかかわらず、欧州議会はギリシャ 正教のアスト山であっても「男女平等に反する」という決議を採択している。 
「大峰山」の場合には、修行目的の男性も入山するが、修行以外の男性も登山目的で自由に 入山している。「大峰山」の宗教的伝統は、世俗的目的のために形骸化している。しかもいまや  「大峰山」信仰は女性信者の人数の方が増加しているにもかかわらず、女性には一切入山を拒否 している。世界遺産になった「大峰山」にはやがて外国人の女性も必ずや参加したい人は増え てくるだろう。 
 世界遺産に登録されたことが「大峰山女人禁制」を合法化したのでは決してない。「大峰山女 人禁制」区域は、2度にわたって縮小されて現在に至っていることからみても、「伝統」は変え られないわけではない。修験道の精神は守るべき伝統として受け継ぎ、女性差別の「女人禁制」 は変えていかねばならない。世界の「大峰山」がどういった対応をするかをしっかりと見届け、 開放を迎える日まで、運動は続く。そして、それが家庭や職場、政治などあらゆる女性差別を なくす運動へと広めることになる。 
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編 集 後 記

宇佐美 幸彦(文学部教授)

 『室報』第36号は、女性問題特集ともいうべき内容となった。6月のソウルの梨花女子大学 における第9回国際女性会議について、金谷、源両研究員から詳しい報告をいただいた。また 『「女人禁制」Q&A』についての書評も掲載できた。女性問題の国際的な流れと、大峰山の女 性禁制はまったく対照的な問題で興味深い。自然の山が男性だけのものだろうか。もし女性 がいけないというなら、サルもトリもキツネもすべての動物のメスはその山から追放せよと でもいうのだろうか。まったく自然に反した風習は直ちにやめるべきであろう。新研究員の 高先生は、韓国教育人的資源部での経験やさまざまな人的なつながりが豊かで、今後、人権 問題研究室の活動の大きな推進力としての活躍が期待される。 
(宇佐美幸彦)
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