■人権問題研究室室報第35号
 (2005年 8月発行)
大森の街並
    大森の街並

 韓国の記録映画『ピンク・パレス(Pink Palace)』
     〜重度障害者の性享有権を考える〜

梁 永 厚(委嘱研究員)

   
 去る3月、「在日」関連のシンポジウムに参加するために韓国・済州島へ行った。そして会合後の移動の途中、「済州障害者自立生活センター」前で、重度障害者の性問題をとりあげた記録映画『ピンク・パレス』の特別上映会の貼り紙を見て、早速会場へゆき映画を観た。会場入口では障害者関連の書籍販売や、各種の案内チラシなどが置かれ、日本の特別上映会場の雰囲気と変るところなかった。
 そして販売書籍の中の障害をもつ女性のヌード集を手にとって見た。帯には「『無性』として扱われるよりも、障害をもつ女性も性的欲求をもっており、性的関係をもちたがっていることを知って欲しい」(被写の女性障害者)。「障害者の性問題は非障害者同様に、めしを喰い、化粧室(トイレ)に行き、人が人を愛する人間の基本的欲求として見なければならない」(撮影企画者)とあった。
 さて『ピンク・パレス』は、広告企画社出身のソ・ドンイル監督が、1年余りの製作期間をかけて昨年秋に完成した映画であった。ソ監督は、一昨年に「障害者の友・権益問題研究所」が発行している、『ハムケコルム(共に歩む)』に載っていたインタビュー記事、40歳を越すまで一度も性関係をもったことのない、重度障害者の性問題に関する告白にたまたま接し、その映画化を考えたという。
 映画では、製作動機となった記事の主人公Pさんをはじめとする、重度障害者たちの性にたいするインタビューが、プロローグになっていた。かれらの語りは非障害者にとって実に重たい内容であった。  プロローグの映像から暗転し、主人公Pさんの日常生活と日常のなかの性心理の表現、さらに性的欲求を満たすための準備などが写った。そして国から支給される障害年金の6ヵ月分に相当する30万ウォン(日本円の3万円余り)を蓄め、ソウルにある集娼ゾーンへ向う移動の映像に変った。
 Pさんは歩行が全く不可能で、日常の移動は電動スクーターに頼っていた。そのスクーターを駆って、3時間ほどかかる最寄りの駅へと向った。駅に着くとスクーターの電池切れに気付いた。よって、すぐに汽車に乗るわけにいかず、充電にとりくんだ。手慣れたもので業者に頼らず、駅のトイレの洗面台横のコンセントに充電コードを差し込んで行なわれた。充電が済むまでは相当の時間を要したが、かれは洗面台前にスクーターを乗り入れ、サドルに座ったまま寒々としたトイレの中で、きついアンモニア臭を嗅ぎながら充電を待った。ここまでの映像は重度障害者の性問題は、結局のところ障害者の移動の問題が先行であることを、まざまざと見せてくれた。
 Pさんは充電を了え、明け方のソウル行きの汽車に乗った。ソウルには昼前に着いたがまだ陽が高いので市内見物をすることにした。自分の住まいを軸にした生活圏しか知らない、Pさんにとっては初めてのソウル見物をして、陽が沈んでから集娼街(ゾーン)へはいった。目的が間もなく達成できるという胸のときめきもあって疲れは感じず、むしろ張り切った気持での集娼街いりであった。  ところが娼家のどこからも、引き手さんの声はかからなかった。それで疲れを覚えだした頃、やっと一人の娼女と声を交わすことができた。けれども答は「あなたのような奴(やつ)には、お金をいくら積んで貰っても応じませんよ」、という冷たい差別的なあしらいであった。映像ではPさんの落胆、一気に地底へ突き落とされたような表情がスローで写された。そして暗転のあと、一昼夜をかけてやってきた目的の街で、差別的なことばを吐かれ、性関係をもつこともできず、心身ともに打ち拉がれ、肩を落してスクーターに乗っているPさんの後姿が、故郷へ向ってだんだん小さくなっていく映像のエピローグであった。
 以上が粗筋の映画を見た感想は、重度の障害者の性問題は単なる性関係をもつことでもなく、障害者の移動問題と密接な関係があることを提起しており、また重度障害者の性享有権問題は単純に性自体にあるのではなく、社会的な抑圧と差別構造のなかで、障害者と非障害者とが人間関係を結ぶことは容易ではない。だが、多様な人びとと人間関係を結び合うことによって、重度障害者は性欲もなく、性関係をもつことはできないという偏見を解消し、重度障害者が堂々と自分の性を享有することのできる、希ましい社会の創成を訴えていると観た。
 ちなみに重度障害者の性享有権をどう保障していくか!というとき、考えられるベストは北欧のいくつかの国の障害者団体が、国の支援を受けながら実施しているセックス・パートナーや性奉仕者(ボランティア)のとりくみが望ましいといえるが、韓国におけるそれには、おそらく次の反発が想定される。一つ、ひとの性欲は社会的規範の中で解決されるべき本能である。障害者の性欲だといって社会的規範を外して考えるわけにいかない。二つ、障害者たちが置かれている現実は、基本的な衣、食、住の解決も難かしい状況下にあって、性享有権の主張は分隈を越えている。三つ、障害者に特別な性奉仕を提供することは「逆差別」になる、などである。
 その反論として、肉体的、精神的な障害があって性欲の解決をできない障害者に、セックス・パートナーや性奉仕者をおくることは、社会規範に反する性の売買とは厳格な差異がある。「逆差別」を唱える人は、「障害」は一般の人の歪曲した視角・偏見からきていることを知るべきである、といった見解を示すことができる。さらに主張や反論ではなく、障害者の性欲問題は、解決の方法において婚前の性生活を許容するか、許容しないか、という問題もある。いずれにしても、重度障害者の性享有権問題は社会的コンセンサスを要する問題であり、かつ人権保障における難題の一つであるといえる。共に議論をしてみませんか!
(委嘱研究員)
 
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      大森銀山の世界遺産登録に寄せて  

吉田 徳夫(法学部教授)

   
 昨年から、再び島根県の石見地域へでかけ、部落問題の資料の調査を開始した。再びというのは、故石尾芳久法学部教授が中心となって、広島から島根・石見地域の部落史の調査が行われ、それは『明治維新と部落解放令』(1988年)となって結実し、広島側では『誇りある部落史』が地元の方々により上梓された。また広島県の『千代田町史』資料編には石見側の資料も含まれて上梓されている。そのおり石見地域での調査には、竹内一夫氏(現島根県部落解放同盟委員長)を中心に研究協力体制がつくられていた。私たち関西大学とのおつきあいは、その時から連綿と続いている。
 昨年の秋、竹内一夫氏から一度、島根県へ来てくださいという招請を受けた。大森銀山が世界遺産に登録されるというので、地元島根県では、調査活動が行われているが、大森には部落問題があるという認識を県が十分に認識していない。一度、私たちが県の役人にあって部落問題を世界遺産の中に含めて登録するように話し合ってほしい、という要請を受けて、島根県庁に出向いた。解放同盟としては、部落問題を世界遺産に含めて位置づけ直すのであれば県に対して協力する旨、申し入れが行われた。私たちも、世界遺産の中には、「負の世界遺産」という考え方があり、部落問題は登録上は何ら問題はないという趣旨の話を申し入れた。「負の世界遺産」とは具体的に、日本でも問題となった奈良県大峰山の女人禁制を、世界遺産登録に合わせて、その問題を解決しようというものである。大峰山と同様に問題となったのは、ギリシアのシトナ山の修道院の例があった。「女人禁制」という女性問題とは性格が異なるが、部落問題も世界遺産に登録される資格は十分にある。
 島根県の部落問題は、大阪などとは違い、大きな部落が存在するわけではない。また、解放運動に対する理解も乏しい。島根県、とりわけ石見地域では部落が一軒単位で散在しているのが現状である。少数点在というものでもない。私たちが、島根県を訪れている最中にも、竹内氏の携帯電話には結婚差別事件が発生した緊急電話が飛び込んこんできた。今春、関西大学での人権講演会にお招きした今岡香理さんは、その竹内氏の紹介によるものである。彼女の口からも結婚後の様々な問題を語っていただいた。
 前回の2004年11月には、大森にあった部落史料『武田家文書』を島根県立図書館が購入したというので、その史料を拝見した。新たに存在が確認された古文書も確認できた。今春3月に初めて大森に出向いた。大森の町と鉱山遺跡を見学し、その大森の町の入り口にある武田家を訪れたが、来客中で挨拶だけで、再度訪れる約束で引き下がった。竹内氏は、その武田家の裏側にある山沿いの一角に県は「刑場跡」の立て札を立てているが、そんな所に刑場があるはずがない、と疑問を提起された。江戸時代の刑場は、河原にあるのであり、山沿いの井戸の脇に刑場があるはずが無いというものである。県は十分に調査もせず立て札を立てている、という見解である。十分に首肯しうる見解である。また同家の裏側にある崖の部分に、武田家の私有物としてある石窟と仏像も確認された。ご当主にも、この遺跡がいかなる意味を持つのか分からないという。何れにしろ、近世の信仰の遺跡であることには相違ない。
捕り縄術の免許皆伝状
捕り縄術の免許皆伝状            
 島根県は、大森銀山とそれに付属する温泉津の港湾都市等を「石見銀山」として世界遺産に登録しようとしている。大森銀山は、江戸時代の三大鉱山(大森・佐渡・伊豆)として著名なものであり、いずれも大久保長安の開発にかかる銀山である。銀の産出量から見れば、一時期は南米の歩都市鉱山にも匹敵する鉱山であったとも言われている。同遺跡が世界遺産登録にかかった理由は、前近代の鉱山遺跡としてはよく保存されているためである。よく保存されてきた理由は、大森銀山の最盛期が江戸時代にあり、幕末からすでに衰微の時期にさしかかっていたので、改めて近代的な鉱山開発が行われなかったためである。ここで改めて強調しておきたいことは、石見銀山と大森銀山とでは、名称が異なり、その意味するところも相違がある。石見銀山とは、大森に幕府代官所が立地し、その大森を中心としながら、石見地域ほぼ全域に広がる銀山を総称するものである。石見銀山とは、大森鉱山を意味するものではない。『武田家文書』の中には、大森の部落の頭のところへ勤務した石見全域に及ぶ部落民の一覧表がある。この部落の分布の特徴を詳細に調べる必要があるが、石見に広がる銀山遺跡に合致するのではないかと思われる。
 この鉱山遺跡には、必ず部落問題が附属する。銀山の出入り口には無数の番屋が設置されてきた。銀山の警護に従事したのは部落民であったことを示唆するものである。『武田家文書』は部落の近世文書である。そのコレクションの中には、広島でよく見かけた、棒術・捕り縄術の免許皆伝状がある。これなどは、役人として武術を心がけた部落の歴史の一端である。それと併せて、今回、その捕り縄の練習に用いた人形が発見された。貴重な歴史的遺産である。銀山と部落が密接な関係を有する理由の一つには、銀山からいかにして銀が搬出されたかという交通上の問題もある。その交通を担ったのが部落民であることは明白である。部落の職業としては、博労という職種がある。私の知るところでは、広島県の島根県境の山間部にある部落の旧家の中にはブロンズ製の博労鑑札を所有する家もある。
 以上のような部落と銀山との結びつきは、切っても離れない関係にある。とすれば、十分に解明されていない石見銀山の全容は、『武田家文書』を用いて解明できる可能性がある。すでに日本政府はこの7月に大森銀山を石見銀山として世界遺産に登録する最終的な手続きに入った。島根県は、部落問題の調査に関しては、今のところ竹内氏に一任しているようである。追加的にしろ、世界遺産への登録が部落問題の学習のみならず、世論を喚起する方法としても有効な方法である。ここしばらく、島根県での部落調査に従事しなければならない、と考えている。
捕り縄術練習用人形
捕り縄術練習用人形

(法学部教授)

 
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新研究員紹介

塩村 尊(総合情報学部教授)

 私はこれまで社会科学における数理モデル、或はコンピュータベースのモ デルに関する研究を行ってまいりました。率直に申し上げるならば、その間 私は人間社会を研究対象としながらも、ドロドロとした現実社会を直視する ことを避け、ほとんど専ら理論分析の抽象的、或は代数的美しさに固執し続 けてきたように思います。しかしながら、この原稿執筆時点における反日運 動の広がりや、思い通りに進展しない外交交渉は私を現実世界にひき戻すと 同時に、これまでに提示されてきた種々の経済・社会モデルが単なる数学的 遊戯ではなく、こうした問題に重要な示唆を与えるものであることを改めて 認識させてくれることとなりました。
 Granovetterの閾値モデルは社会がほんの些細なことで集団が暴徒化する 一方、その暴走を沈静化させるようなメカニズムを内包していることを示唆 しております。集団的意思決定に関するマルチエージェントモデルは、個々 のエージェントの多様性が集団の合意形成を促すこと、及び他者に対するあ る種の思いやりがジレンマ的状況からの脱出を可能にすることを示唆します。 又、ゲーム理論は協調のためには、人々は過去に受けた辛苦を忘れる用意が なければならないことを示唆します。もちろん、これらの理論モデルが現実 社会を正確に描写しているわけではありませんが、今起こっている混乱に対 して示唆するものは大きいと考えます。
 一方で国内に目を転じますと、人権擁護法案を巡ってネット上では熱い議 論が交わされております。試みに「人権擁護法案」というキーワードに対し て「賛成」というキーワードを付加して検索を行ったところ、ヒット件数は 約10,000件であるのに対して、「反対」のキーワードを付加した場合のヒッ ト件数は約30,000件でした。この数字をそのまま信用するわけにはいきませ んが、いわゆる掲示板においては反対論者の数が圧倒的に多いことは事実で す。
 反対論者は法案に対する何を恐れているのでしょうか。多くの論者の意見 を一つに集約することは困難ですが、彼らの多くは人権侵害はあってはなら ぬことであり、法案の理想そのものに異を唱えているわけではありません。 彼らは何が差別に当たり、人権侵害とされるのかの判断が人権擁護委員に委 ねられており、拡大解釈されることを恐れているのです。特に、これまでの ようにネット上で自由な発言ができなくなることを恐れているのです。仮に この法案が成立するものとして、それを後悔しないものとするためには専門 機関による差別、人権侵害の定義付け、及びこれに係る冷静かつ客観的な分 析が必要です。
 人権問題は時として、それに触れることがはばかられる程にセンシティブ な問題であり、それ故に私がこの問題について語ることを避けてきたことは 否定しません。そのような私が、この原稿を執筆するに当たり、苦し紛れに 捻り出した文章の中で人権に係る問題をこれまでになく真剣に考えようとし ていることに少々驚かされます。今回の研究班への参加は私にとって良いき っかけであるのかもしれません。
(総合情報学部教授)


「白バラ」展の開催によせて

宇佐美 幸彦(文学部教授)

 
 2005−06年は日本におけるドイツ年である。この関連公式催事として「白バラ」展が開催される。これは早稲田大学人間科学総合研究センターの「危機と人間」プロジェクトが企画し、日本の大学や研究機関などに呼びかけて、全国の各地を巡回して行われる展示会である。関西大学では人権問題研究室が受け入れ窓口となり、本年11月14日から2週間、千里山キャンパス新関大会館1階の展示ロビー室でこの「白バラ」展を予定している。
 「白バラ」グループとは、第2次世界大戦中にヒトラー独裁下のドイツで、「白バラ」というビラを作成し、ナチスへの抵抗を呼びかけたミュンヘン大学の学生らのことで、ハンスとゾフィーのショル兄妹、フーバー教授らが国家反逆罪により死刑になった。
 この「白バラ」抵抗運動に関する書物は日本でも刊行されている。インゲ・ショル著,内垣啓一訳『白バラは散らず』(未来社)、関楠生著『白バラ』(清水書院)、山下公子著『ミュンヘンの白いバラ』(筑摩書房)、C・ペトリ著、関楠生訳『白バラ抵抗運動の記録』(未来社)、ヘルマン・フィンケ著、若林ひとみ訳『白バラが紅く散るとき』(講談社文庫)などである。このうちインゲ・ショル、ヘルマン・フィンケの2冊は、ショル兄妹、とくにゾフィー・ショルの生い立ちに重点を置いており、感動を呼ぶものである。「白バラ」抵抗運動の全体像を捉えるには、関、山下、ペトリの書物が適していると思われる。関の『白バラ』は清水書院の「人と思想」シリーズの新書版で、コンパクトにこの事件の全容がまとめられている。当時のナチス国家がどのようなものであったかなど、ドイツの抵抗運動の背景的説明は山下の『ミュンヘンの白いバラ』が詳しく、裁判記録など資料の掲載はペトリの書物がもっとも豊富である。
 「白バラ」のビラは全部で6号発行されたが、インゲ・ショルとペトリの2冊の書物にそれぞれ全文が訳されており、その他の書物にも重要な部分の抜粋が掲載されている。カラーのイラストの入った現在の広告ビラなどに慣れている我々がこのビラを読むと、その難解な文体の硬派ぶりに驚かされる。たとえば第一号ビラには、シラーがイェーナ大学の歴史学講義に用いた論文「リュクルゴスとソロンの立法」や、ゲーテの作品ではあるが一般には上演されることのない劇作『エピメーニデスの目覚め』が引用されている。ドイツ文学の専門研究ならば、こうしたゲーテやシラーの一般にほとんど知られていない文献の引用は考えられるが、医学部の学生であったハンス・ショルらが起草したビラにこのような引用がなされているのは驚くばかりである。ナチス体制の野蛮な政策に対して、ミュンヘン大学の学生としての知的、文化的水準の高さが対置されているように思われる。ミュンヘン大学の構内には「白バラ」抵抗運動の人たちの記念碑がある。
「白バラ」の学生たち
「白バラ」の学生たち
(文学部教授)
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編 集 後 記

宇佐美 幸彦(文学部教授)

 この8月で終戦60年となる。5月のドイツ 降伏の記念行事では、ベルリンで2万5千 人がろうそくを手に33kmにわたる光の鎖 で反戦を誓った。11月の「白バラ」展は終 戦60周年の記念行事と位置づけることもで きよう。梁先生と吉田先生にはアクチュア ルな論説を書いていただいた。こうした問 題への関心が広がることを期待する。
(宇佐美幸彦)
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