■人権問題研究室室報第33号
 (2004年 6月発行)
Heidelberg,Sinti−Roma−Center
    Heidelberg,Sinti−Roma−Center

ハイデルベルクのシンティ・ロマ 資料・文化センターについて

宇佐美 幸彦(文学部教授)

   
 2004年3月13日から18日まで「ドイツにおける少数民族に関する調査」 として、フライブルク教育大学とハイデルベルクのシンティ・ロマ資料・文化セン ターを訪ねた。同行した杉谷教授が、次号の『室報』にフライブルク教育大学の報 告を書く予定なので、私のほうはシンティ・ロマ資料・文化センタ一について報告 しておきたい。
 同センターは、古都ハイデルベルクの旧市街地の中にある。観光で有名なハイデ ルベルク城へ上る登山電車があるが、その麓駅のすぐ近くのこじんまりとした建物 である。ここを訪ねると、国際部のヴェンツェル氏が応対してくれ、事前に詳しい 打ち合わせをしていたわけではないが、さっそく教育担当部責任者のラグレーネ氏 と会談することと、対話促進担当部責任者のアヴォズージさんによる展示会場の案 内をアレンジしてくれた。
 まずこのセンターの歴史について述べておきたい1982年にドイツ・シンテ ィ・ロマ中央評議会が結成され、ようやくドイツ政府は戦後約40年にしてシンテ ィ・ロマに対してナチス時代に民族的虐待があったことを公式に認めた。1990 年にドイツ連邦政府の援助のもと、ハイデルベルクの現在の地にセンターの建物が 取得され、1997年になって一般に公開されるようになった。したがって公開か ら7年目の比較的新しい施設である。
      ハイデルベルクのシンティ・ロマ資料
・文化センターの外観
           
 このセンターの主要部分は博物館として機能している(入場無料)。展示は、 ナチス時代にシンティ・ロマの人々がどのように虐待されたかが、生々しい資料 (写真、パネル、ビデオなど)で分かりやすく示されている。最初に訪問したと きには、小学生のグループが、その展示物をアヴォズージさんの解説で学習して いるところであった。主に訪れるのは学校の生徒のようで、教育施設の性格が強 いように見受けられた。展示の内容は、ドイツの市民として生活していたシンテ ィ・ロマの人々が、何も不正なことをしていないにもかかわらず、ただ民族的な 理由から強制収容所送りになったこと、また強制収容所でいかに悲惨な取り扱い を受けたかを、示すものであった。とくに罪のない子供への残虐な行為が展示の 一つの柱になっていた。その中でも、テディベア(クマのぬいぐるみ)のエピソ ードが印象的であった。1944年、ラーフェンスブリュックの強制収容所に多 くの子供をつれたシンティ・ロマの人々が連行されてきた。そのとき、5歳ぐら いの男の子がテディベアを手に持っていたが、ふとしたはずみで、それを落とし たため、拾おうとして、行進をやめ、身をかがめた。そのとたん、警備のナチス 親衛隊員が、銃の台座で、まともに頭をたたき、男の子を殺してしまった。この とき放置されたぬいぐるみを拾った女性は、強制収容所の苦難の時期を生き抜き、 戦後、自分の家に持ち帰った。今はその女性の家族が、一家の宝としてそのテデ ィベアを受け継ぎ、戦争の悲惨さを涙とともに語り継いでいる。
 アヴォズージさんは、忙しい勤務時間の間を縫って、解説をしてくれたが、と にかく多数の資料が展示してあるので、一つ一つ詳しく見ることはできなかった。 そこで翌日、時間に余裕を持って展示を見ようともう一度訪れた。無料の日本語 の音声ガイドも用意されているので、それを借りてはじめから見ていくと、たい へん詳しい説明が録音されており、3時間かかってもまだ最後のコーナーヘ到達 できなかった。短い滞在期間だったので、ついにすべてを見ることは断念し、受 付の販売コ一ナーで、CDROMと分厚い解説書を購入して、不足分を補うこと にした。
同センターの資料展示室
        同センターの資料展示室            
 ラグレーネ氏との会談では、主に日本側から質問するというインタヴュー形式 で約2時間いろいろな話をうかがうことができた。話の中心は、ロマニ語(ロマ ネス語ともいう、シンティ・ロマの言葉)の教育に関することであった。シンテ ィ・ロマの人々は昔から書き言葉を持たず、口承で世代から世代へと言葉を受け 継いできたのであるが、ハンガリーなどの東欧、スペイン、ドイツなど、多くの 国々にまたがって、生活するようになり、それぞれの国々の風習や言語環境の中 で、歴史的に異なった影響を受け、ロマ二語を、統一的に体系化するのは困難と のことであった。そして現在は、テレビやインターネットなどコミュニケーショ ンがグローバル化するに伴い、少数民族の言葉を維持することはますます難しく なっているそうである。こうした中で、オーストリアのグラーツ大学で、ロマニ 語の教科書を作り、文法を体系化する言語研究が積極的に進められているとのこ とであった。しかしまだドイツでは、こうした言語教育・研究は不十分でこれか らの大きな課題ということであった。
(文学部教授)
 
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      全国人権・同和教育研究福岡大会に参加して  

住田 一郎(委嘱研究員)

   
 二万名に近い参加者をあつめて、今年も全同教大会が福岡で開催された。多 くの参加者が各地の全同教加盟組織からの代表派遣であるが、中にはこの研究 大会に自費で、しかも出張扱いですらなく有休で参加した教員もいた。彼は、 私に「特措法終結後、私が属する市教委はこれまでのように同和問題を前面に ではなく、あらゆる人権問題の中で扱うとの指導方針に基づいて、実際には市 教委指針から〈部落に関わる用語〉を完全になくした」と語ってくれた。当然 のこととして、当該市の教員から全同教大会への参加希望者が彼一人だったの も頷ける。ところが、それでも彼は福岡大会への出張派遣を認められなかった。

第55回全国人権・同和教育研究大会全体集会
第55回全国人権・ 同和教育研究大会全体集会
 彼も部落差別問題をめぐる大きな改善変化を認めるに吝かではない。しかし、 部落差別が解決したのかと問われれば答えはノ一である。であるなら、教育現場 で部落問題の現実について、扱わないのではなく、学習することがいまでも必要 ではないか、ある意味で今だからこそ必要だと語ってくれた。私には彼の意見は 真っ当な気がするが、市教委の方向とはまったく違っているそうだ。彼は自分の 信念に基づき、社会・学校教育を通じて現在もなお部落差別を中心にした教育実 践にこだわり続けてきたこの大会に有休をとり自費で参加した。
 しかしながら、彼の期待に全同教福岡大会は十分に応えることができたのだろ うか。私には十分だったとは思えない。彼の問題意識とすら共有できていない基 調報告の内容(特措法が一体何をもたらし、何が課題として残っているのかとの 総括すら不十分である)がそれをなによりも雄弁に物語っていた。
 実は、彼の問題提起を受け続けてきた市教委にもそれなりの言い分があった。 その言い分には特措法後の各地で見られるく部落問題の希薄化>現象にどのよ うに立ち向かっていくのか、とも共通する普遍的な課題がこめられているに違い ないと私には思えるのである。
 市教委は彼との話し合いで、なぜ、同和問題が語句も含めて指導指針に現れ なくなったかについておおよそ次のように述べたそうだ。数年前に市内の中学 生が差別用語を使うく事件>を起こし、部落解放同盟からく差別事件として糾 弾>を受けた。糾弾会では、江戸時代の身分制を教えるなかで扱われた<穢 多・非人>が、差別的な用語として使われており、今日の部落差別との関連性 すら十分に扱われておらず、中学生にとって先の用語が完全に部落へのマイナ ス要因としてしか根付いていなかった点。同時に、今日の被差別部落は封建 時代の身分制とは直結せず、悲惨で、劣悪な状況でもなくなっている(運動と 同和対策事業によって)、にもかかわらず、マイナス要因しか与えない部落 問題学習は間違いだと追求された。
 この追求に市教委はあまりにも素直に(=教育実践家としての責任放棄と も私には思えるが)、指導指針から同和問題を抜くことで、生きた差別問題 とも関わらないように反応した。確かに、部落差別を歴史的事実として扱う だけなら、そんなに困難でもない。しかし、部落差別問題は単なる歴史的事実 ではなく、今日ただいまの生きた差別問題でもある。ところが、授業において 今日の被差別部落の状況を視野に入れた教育実践はむずかしい。学習すること によって生徒が示すさまざまな反応(一見問題と思われる対応も含めた)につ いて、教師側にそれらの生の反応を受け止めるだけの余裕=許容範囲がほとん どないのが現状だからである。他の教科指導のように、「答えを間違う」 ことはある意味で歓迎される場合も多い。にもかかわらず、部落問題にかぎっ ては、「間違い=穢多・非人を遊びのなかで差別的に使う」ことは許されず、 即「差別事件」と位置付けられてきたからである。結果、教師は萎縮せざるを えない。いきおい、禁止事項・語句として教え込まざるをえなくなってしまう。 生徒たちが体験した自分たちの周辺に具体的に存在するく生きた差別現象> も授業には反映されにくくなってしまう。このような関係が教育現場の底流に あるかぎり、部落問題を自由に学習する教育実践はむずかしい。もちろん、生 徒が差別的用語を使うことを放置していいわけではない。ただ、そのような状 況が起こった場合、即「差別事件」として追求されるのではなく、教育の課題 として教育現場にもう一度返すだけの余裕(寛容さでもある)が部落解放運 動側に求められてもいいのではないか。
第7分科会「生活課題と学習活動」総括討論
第7分科会「生活課題と学習活動」総括討論
 もう一つは、被差別部落の存在を、被差別部落住民と他の人々がどのよう に認識するかという問題である。特措法以後、大きく前進した改善状況と、同 時に、〈希薄化しつつある>部落差別問題の現状から被差別部落の顕在化を否 定する動きがある。被差別部落住民の中にすらその傾向は少なくない。 だが、部落差別問題が今もなお完全には解決していないとするなら、部落差別 の性質上、それを<暴露>しようとする人々が必ず現れることは間違いない。 完全に<隠蔽>することなど不可能であり、また、く隠蔽>しなければならな い問題でもないはずである。ところが、各地での史料編纂で<暴露>ヘの防 衛上、歴史的史料から部落に関わる事項を抹消する行為が、被差別部落住民の 要望として今でも行われている(編纂側の過剰反応でもある)。これで良いの だろうか、本末転倒ではないかと私は考えている。特措法による同和対策事業 の実施は被差別部落を抹消するために行われたのではない。むしろ、同和対策 事業は戦後の憲法上も存在しない被差別部落を、現実のく差別実態を顕在化> することを通じて実施可能となったはずなのである。それ故、部落差別・被差 別部落の顕在化は既成事実ですらあった。もちろん、単純には解決できない課 題でもあろうが、基本は<顕在化>にあるに違いないのである。
 私自身は部落差別が解決された折、「私の生まれた住吉はかっては被差別部 落と言われ、差別されていた地域だ」と答えるつもりでいる。決して、抹消す ることではなく、抹消することもできない、抹消してはいけない歴史的社会的 事実だと考えるからである。
 長年、参加し続けてきた社会教育分科会へのレポートに被差別部落内での具 体的な取り組みの報告が一本も提出されなかった低調さの要因と、これまでの 指摘での被差別部落住民の<ひ弱さ>とは決して無関係ではないように思える のである。
(委嘱研究員)

 
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新研究員紹介

串崎 真志(文学部助教授)

 文学部総合人文学科教育学専修に所属しております串崎真志と申します。 同志社女子大学に4年間勤め、この4月から関西大学でお世話になること になりました。専門は心理学で、特に「地域実践心理学」という、現場に 密着した新しい心理学を目指しております。 着任して早々ではありますが、 障害者間題研究斑、しかも幹事にご推薦いただき、驚いております。いさ さかの戸惑いを感じつつ、しかし、「どんな研究をしようかな」と空想を めぐらせているところでもあります。葉賀弘、藤井稔の先生からは、「研 究班のテーマを継承しつつも、基本は串崎さんの好きなようにしてくださ いね」とのありがたいお言葉。研究班の自由な雰囲気に励まされました。 金曜日は現場に出ていることが多いため、会合への出席も十分でないと思 いますが、気負うことなく職務を遂行できそうです。
 私は学生のころから、障害をもった子どもたちや、教育、保育、精神保 健福祉の現場に接してきました。私のできることは微力ではありますが、 それでも継続してかかわっていくことの大切さを、実感としております。 最近では、子どもの虐待(この日本語もよくないと思うのですが)防止や 子育てネットワーク支援に関心をもっております。また、精神科デイケア での活動も続けています。大学生のボランティアが、これらの活動にどの ように寄与できるか、その可能性を探っているところです。詳細につきま しては、私のウェブ・サイトをご訪問いただければ幸いです。 (http://www13.ocn.ne.jp/~mkushi/)
 心理学を勉強してきてよかったかと聞かれれば、よかったと思います。 でも、日陰を好む性格は、どうやら変わってないみたい。これは私の好き な作家、上野瞭の影響かも。若輩ではありますが、2年間、どうぞよろし くお願い申しあげます。
(文学部助教授)
 

宮本 要太郎(文学部助教授)

 2003年4月、本学に着任し、文学部哲学専修の教員に加えていただき ました。専門は宗教学で、「宗教学」[宗教学概論」「宗教文化研究」な どの講義を担当しております。また、研究の対象としては、これまで、日本 の新宗教の教祖研究に始まって、宗教とジェンダー、家族の宗教的次元、 聖者論、聖伝(とくに聖徳太子伝)など、日本の宗教を中心に古代から現代ま で、幅広く取り上げてきました。今年度は、聖徳太子伝と往生伝の相互影響に 関する研究、およびコロニアリズム/ポストコロニアリズム状況下における文 化接触の問題としての宗教の研究、といった二つの大きなテーマを設定してお ります。
 人権問題とのかかわりに関しては、個人的には関心をもっておりましたが、 これまでほとんど自らの研究と重なることはありませんでした。 しかし、赴任当初より、文学部人権問題検討委員として人権問題委員会に出 席させていただき、また、研究学習会などを通じて人権に関する諸問題につ いて多角的に学ぶ機会を得ました。そのことと平行して、上述した二つのテ ーマのうち、後者の問題が、人種や民族に対する差別問題と大きく連関して いることも見えてきました。
 このたび、人権問題研究室の研究員に加えていただくにあたって、人種・ 民族問題研究班への所属を希望したのも、そのような問題関心に基づいての ことです。さしあたり、「在日」の宗教の研究を通して、コロニアル・ポス トコロニアル状況下の日本における民族差別の問題を考察する予定です。現 時点では、「在日」の宗教が、日本の宗教とはもちろん、出自国のそれとも 異なるのはなぜかという問いを考えるに際し、その背後に、一方で、日本か らも、そして出自国からも差別される「在日」の状況と、その状況からの打 開を宗教に求める人々の存在を、他方で、戦前から戦後を経て現在へといた る時間の経過のなかで朝鮮半島の宗教と日本の宗教が融合していく過程を、 それぞれ視野に入れながら、考察すべく準備を進めているところです。
 また、長期的には、宗教というものが、(差別する側においてもされる側 においても)差別に対する強力な抵抗手段となる一方で、差別を生み出した り増幅したり固定化させたりすることもあるという現実を理解するために、 その構造の探究に取り組みたいと考えております。差別の問題そのものを研 究の対象に含めるのは初めてなので、いろいろと教えていただけると幸いで す。どうかよろしくお願い申し上げます。
(文学部助教授)

山ノ内 裕子(文学部専任講師)

 
 このたび、人権問題研究室におきまして、人種・民族問題班の研究員とし て参加させていただくこととなりました。九州大学大学院で博士後期課程を 終えた後、引き続き日本学術振興会特別研究員として九州大学で研究を行い、 今年4月、関西大学文学部に着任いたしました。文学部では教育学専修にて 主に国際教育論を担当しておりますが、専門が教育人類学であることから、 特に、エスニック・マイノリティの教育と文化、そしてアイデンティティの 問題に関心があります。これまでは、ブラジルの日系社会と国内の在日ブラ ジル人コミュニティの双方において、人類学的調査を続けてまいりました。
 ブラジルは1908年の第一回笠戸丸移民以来、多くの日本人がブラジル ヘ渡っており、現在では、ブラジルの日系人の数はおよそ140万人です。し かし1980年代後半から、戦後移民や二世で日本国籍を有する人を中心と して日本での就労が始まりました。1990年には出入国管理法が改正さ れたことから、日系三世とその配偶者の就労が合法化されました。その結果、 両親や祖父母の故郷である日本への再移住現象が顕著となり、現在ではおよ そ27万人のブラジル人が日本で生活しています。彼/彼女たちの多くは、 来日当初、日本で数年間働いて貯蓄をした後、ブラジルに帰国して、住宅 を購人したり事業を始めたりすることを計画していましたが、次第に滞日の長 期化や永住化の方向に向かいつつあります。よって、子どもたちにとっても 日本での生活は「仮住まい」ではなく、日本が「本住まい」となっています。 日本で生まれた子どもたちも年々増えています。
 このような状況のなか、在日ブラジル人の子どもたちの日本語教育や母語 教育、そして最近では不登校や少年犯罪といった、ブラジル人の子どもたち をめぐる「教育問題」が、しばしば「社会問題」として語られています。し かしこうした語りの生成過程に着目すると、彼/彼女たちがいかに日本社会 のなかで、いかに「異質なもの」として排除され、そして逆に包摂されてい るかがよく分かります。
 ここ大阪も、さまざまな文化や背景を持つ人々が生活しており、エスニシ ティをめぐるさまざまな問題が生じております。今後はブラジル日系人およ び在日ブラジル人の研究を続けていくと同時に、地域社会や学校における多 文化共生の問題に関わっていきたいと思っております。どうぞよろしくお願 いいたします。
(文学部専任講師)
 

楠 貞義(経済学部教授)

 
 関西大学に勤め始めてからあっという間に33年も経ちました。これまで、 人権あるいは人間の尊厳という問題に関心がなかったわけではありません。 人間と人間が織りなす社会関係を研究対象とする経済学を専攻する限り、 そして生きた人間が厳存する現実の社会を見据えるならば、人間の尊厳や その集団からなる民族の自決や国家主権について関心を持たざるを得ません。
 わたしにとって初めての外国となるスペインで1985年4月から1年間、 見聞を広める機会に恵まれましたが、これは大きな転機となりました。 スペインは、周知のように大航海時代の覇者として「新大陸」の先住民を 征服してその文明を抹殺するという加害者になりました。他方で、旧い植民 地帝国のスペインは新しい帝国主義の国アメリカに酷い目にあわされた被害 者の悲衰も味わっています(1898年米西戦争)。その後遺症が癒えるの に約1世紀も要しました。そんなスペインを研究対象として眺めていると、 民族問題や覇権主義の害悪など、考えさせられることがいろいろあります。
 いま追っかけているテーマは、スペインから大西洋を渡って、メキシコに 移りつつあります。スペインのあれこれを踏まえて、メキシコ経済・社会も 視野におさめたいというのが動機ですが、メキシコのことを知るにつれて、 北にある傲慢な大国の横暴な振舞いに心が痛みます。そして01.9.11 を契機にした「蛮行」は、ブッシュ個人の「狂気」の沙汰ではない−−あ の国のひとつの「体質」であることに思い至りました。その傍証として、 あの国にはいまも「人民の武装権」が憲法(1791年第二修正)で保障 されているのです。「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要で あるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはなら ない」と。
 こんな国とどのように付き合うのか?それは、21世紀における人類の 存亡に関わる−−人権以前の−−大問題だ!というのが、メキシコ研究1 年生の目下の結論です。
 人権問題研究室の研究員になるのはこれが初めてですが、「人種・民 族問題」研究班のメンバーの方々との意見交換や交流をつうじて、新たな 視点と問題発見のチャンスに恵まれそうな予感に包まれています。どうぞ 宜しくお願い致します。
(経済学部教授)

古川 誠(社会学部助教授)

 
 私は社会学部で「社会病理学」を担当しています。このたび人権問題 研究室の人種・民族問題研究班に所属させていただくことになりました。 私の専門とする研究テーマは、近代日本における性の変容です。具体的 には性に対する社会の認識の変化を手がかりに、近代杜会のなかでの 個人と社会との関係を考えています。また、授業では広く社会における 逸脱現象について講義をしています。
 今回、新たな研究の機会が与えられましたので、今までの研究とは少 し違った角度から近代日本社会について人権をキーワードに考えていきた いと思っております。具体的には次のふたつの内容を考えております。
 ひとつめは、日本国家における周縁部がいかに社会的な逸脱として形成 されていったのかを、沖縄・アイヌと東北との比較を通して考察すること です。従来の沖縄・アイヌ研究の蓄積に加えて、近年、東北学といった問 題意識を持った研究が盛んになってきました。その両者について検討をく わえつつ、民族・人種のイデオロギ一と地方の蔑視というイデオロギーが、 近代の日本社会形成のプロセスのなかでどのように呼応していたのかを明 らかにしたいと思っています。たとえば言語や歴史といった文化的な領域 における固有の文化の剥奪と中央文化の強制、またその一方での周縁的な るものへの賞賛、あるいは科学的な言説による周縁部の人間の異常化な どといったざまざまな現象は、両者のイデオロギーの近接的な関係を示し ているといえます。
 もうひとつの研究課題は、そうした人種・民族のイデオロギーと性につ いてのイデオロギーとの関係についての考察です。西洋においては、たと えばナチの捕虜収容所において、ユダヤ人やロマの人々と同じように同性 愛者が収容されていたことによって明らかなように、人種・民族というカ テゴリーと性的な逸脱者というカテゴリ一は容易に等値されうるものでし た。いっけんまったく異なる領域である人種・民族と性というふたつの領 域が、近代社会においていかに結合していったのかという問題関心のもとに、 具体的な事例について考察を深めていきたいと思っています。よろしくお 願いします。
(社会学部助教授)

倉田 純一(工学部助教授)

 
 このたび、障害者問題研究班に参加させていただくことになりました。 これまで、視覚センサの開発・サービスロボットの開発・知覚情報に基づ いた色測定技術の開発などを研究テーマにしておりました。特に、ヒュー マン・マシン・インターフェイスについて注目しており、使用者が負担な く進んで使いたくなるような機械の開発を心がけてきました。
 数年前より、車椅子や電動カートなどの生活支援機器の開発を続けてお ります。近年の医療の進歩により増加している高齢者や中途障害者の中に は、運動機能の低下により自立生活に不便を感じている方々も少なくあり ません。運動機能の低下は単に行動や動作の衰えのみならず、疎外感・気 後れ・介護者への気兼ね等の精神的苦痛を生じさせ、自立生活の充実感や 達成感を失わせることもあります。このような生きることへの意欲の喪失 はさらなる運動機能の低下を招く廃用症候群の発症の引き金となり、QO Lをさらに低下させる悪循環から、ついには自立生活の断念を余儀なくさ れる結果となる場合もあります。一方、残された運動機能を活かして意 欲的な自立生活を続けることが運動機能を向上させ、さらにはQOLの改 善に寄与することを示す事例には事欠きません。ところが、介護機器 や福祉機器と称されるものの多くは、たとえば、高齢者層の85%以上を 占める「健常である高齢者」を対象としており、真に人間や機器の支援を 必要不可欠とする方々に対して、個々の機能障害に適合するような開発が なされているとは言い難いのが現状です。「人にやさしい技術」の必要性 が謳われて以来10年あまりにもなりますが、個々人にやさしい技術開発 は遅々として進んでいないと思われます。また、健常であっても生活行動 範囲は加齢とともに狭くなる傾向があるため、限定された生活環境の豊か さを積極的に向上させることにより、QOLの改善を図ることができると も考えております。
 「支援される側の尊厳と支援する側の尊厳」、このバランスをうまくと るような仕組みを作るために工学を役立たせる場面があるものと考えてお ります。出来合いの多機能の機械を我慢して使うことよりも、余計な機能 がなくとも使用者の望みにマッチした必要な機能が備わった機器が短期問 で安価に生産・供給されれば、障害者自らが機器を利用して積極的に生活 を向上させようとする意欲を高めることができ、QOLの改善に役立つと 考えております。
 このように、個々の運動機能障害の度合いに応じた技術の開発に加えて、 工学がQOL改善に効果的に寄与する方策の確立を目指して、自立 した生活を支援する機器の研究開発を行うことを目的として研究活動を行 っております。学内のみならず、地域・産業界・公的評価研究機関などと 連携し、量産製品とは異なる「一品物」の生活支援機器の開発技術と、 その生産関連の社会的仕組みを築くことにわずかでも役立てればと考えて おります。
(工学部助教授)

岸 政彦(委嘱研究員)

 
 このたび委嘱研究員として人権問題研究室での研究の機会をいただい たことを、たいへん光栄に思っています。私の研究テーマは「生活史」 です。生活史といっても、「民衆の生活文化の歴史」という意味ではなく、 「口述史」あるいは最近では「ナラティブ(物語)」とよばれる、個人 が語る生活のストーリーを意味します。
 戦後、沖縄からはたくさん人々が、出稼ぎとして、あるいは集団就職 で、本土の都市に移動しました。そのほとんどはやがてUターンして いきました。私は、こうした大規模な移動が、どのような経済的・社会 的要因によって生まれたのかを分析し、同時に、この移動を経験した 沖縄の人々に直接お会いして、その生活史を聞き取るという作業を続け てきました。
 私はひとりのナイチャー(内地の人)、ヤマトンチュー(大和の人) として、あるいは「日本人」として、関西に数多く暮らしている沖縄出 身の方に聞き取りをしたり、沖縄県内各地を歩きまわって生活史を記録 したりしています。もちろん、たったひとりで細々とおこなっている調 査ですから、それほど数多くの方にお会いしたわけではありません。そ れでも、戦後の高度成長期に日本の大都市で苦労された方々の、個人的 な人生の語りは、一方ではきわめて多様で複雑な、「研究者」による単 純なカテゴリー化を拒むような、それぞれかけがえのない物語でしたが、 また同時にそれは、日本という国民国家の戦後史や、沖縄の独特の歴史 や社会構造とダイレクトにつながった、いわば「社会学的な」物語でも あったのです。
 ここ数年、社会的弱者や少数者に対する排除の動きが広がっています。 復活しつつあるナショナリズムや、有無をいわさぬグローバリズムとも 結びついて、われわれの他者や弱者への共感や理解は、ますます困難な ことになってきています。社会学の中でも特に、弱者や少数者の個人的 な語りを重視する生活史研究は、われわれの脆弱な想像力−−あるいは、 他者へ通じる「回路」−−というものを、ほんの少しでも補ってくれる かもしれません。
 最近では、私は(個人的な事情もあり)、もうひとつのテーマ−「摂 食障害」に取り組んでいます。ジェンダーと医療・身体・語りとの関係に ついて、またもや細々と、調査を初めたところです。摂食障害、あるい は拒食症や過食症と呼ばれる「病い」は、若い女性に多いと言われてい ますが、最近では高齢者や子ども、あるいは男性にまでひろがってきて います。それは、家族やジェンダー、あるいはセクシュアリティといっ た社会的な制度とも深く関係しています。この5月からは、関大を拠点 とした、摂食障害者のための自助グループを立ち上げる予定になってい ます。同時に、摂食障害に苦しむ、あるいはそれを乗り越えた当事者た ちの生活史を聞き取り始めました。
 今後も、民族とジェンダーという二つの異なる領域において、生活史 法を中心としながら研究を続けてまいります。私のささやかな研究が、 ほんの少しても人権問題研究室の活動に貢献することができれば、これ 以上のよろこびはありません。
(委嘱研究員)


公開講座発足10年目を迎えて

吉田 永宏(人権問題研究室室長)

 
 関西大学人権問題研究室が学の内外を問わず研究室の外の人びとを 主たる対象として取り組んできた〈公開講座〉は、1995年5月26日 の第1回をスタートとしたものであるから、今年2004年は丁度その 10年目に当たる。年齢にたとえるなら数え年の10歳である。
 第1回目は田宮武研究員(社会学部教授・故人)による「差別語と 差別表現を考える」をテーマとするものであった。山村嘉己研究室長 (当時、のち華頂短期大学学長)はその挨拶で、「人権問題研究室の 公開講座は初めてですので、どの程度集まっていただけるか、実は我々 も非常に心配しておりましたが、にぎにぎしくとまではいかなくても、 こうしてお集まりいただいて、ほっとしております」とその折の真情 を吐露した上で、「人権問題研究室は、去年、二十周年を迎えました。 最初は部落問題研究室として発足して、ちょうど十年を刻みに、人種・ 民族問題、障害者問題、女性問題と四つの部門をつくりましていろい ろと活動してきております。人権問題研究室となって十年ということ でございます。ぼつぼつ外部に私たちの仕事をいろいろと公開して いきたい。その第一回目の試みとして、きょう、公開講座を開きまし た。」(『人権問題研究室公開講座 1995』関西大学人権問題研究 室・1996年3月30日発行)とその主旨を簡潔に述べている。因 みに、初年度はこれに引き続いて第2回「定住外国人の参政権問題を 考える−−旧植民地出身者人権保障の観点から−−」(講師・李英和)、 第3回「福祉のまちづくり−−その課題と実践の方向−−」(荒木兵一郎)、 第4回「女の表現・男の表現」(山村嘉己)と順調に回を重ね、 今年2004年度(第37回〜第40回)にまで各研究班毎に担当し、 回を重ねるに至っている。
人権問題研究室の公開講座
人権問題研究室の公開講座
 さて、数え年の10歳まで歳を重ねるに至った〈公開講座〉であるが、 これを契機に、懸案の近隣自治体との連携による学外での実施(言わば 学外版・公開講座)に乗り出すことになった。従来の各研究班担当によ る年4回の公開講座を実施しての上のものである。皮切りは無論地元で ある吹田市との共催になるものである。会場・実施日・テーマ・講師・ 広報活動等について吹田市人権部と当人権問題研究室とが提携して企画 立案し実施するもので、「研究室として、大学内外における人権意識の 向上に寄与するため、学生・教職員・一般市民を対象に、研究成果をよ り広く社会に環元し貢献すべく、地元自治体である吹田市と共に行事を 開催する」ことを主旨としている。この主旨の下にわれわれは他の近隣 自治体との共催になる公開講座の輪を広げて行きたいと願っている。
(人権問題研究室室長)
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編 集 後 記

吉田 徳夫(法学部教授)

 新しい研究員が、各人の研究テーマを披露 されました。特徴的なことは、人種民族問題 に多くのテーマを得たことである。これは、 グローバル化現象に伴い、今後、我々が経験 する人権問題のあり方を示唆するものと思わ れる。なお、古典的な人権問題も存在し、研 究面でも相互交流が進展することを期待する。
(吉田徳夫)
 
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