■人権問題研究室室報第32号 (2003年12月発行) |
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被爆を経て復興された長崎・浦上天主堂 |
山梨県の部落史料調査中間報告書
〜甲州の部落起源と部落寺院制度を中心に〜
吉田徳夫(法学部教授)
山梨県での部落史料調査は、今まで足かけ2年が経過した。山梨県は、隣の長野県な
どと比べても、解放運動が活発だった地域ではない。水平社運動もほとんど起こらな
かった地域である。解放運動とは、特別措置法が出来てから、その法の適用を受けよう
と言うのが、この地域の運動だったという。部落史の研究も、東京の荒井貢次郎氏の
『近世被差別社会の研究』、地元の塚原美村氏の研究『未解放部落』がまとまってあ
るが、必ずしも地元での研究が活発だった地域でもない。この間、何回か山梨県を訪れ、
主として寺院の調査と、近世から近代の地方文書の調査を地元の所蔵者や関係者の協力
を得て取り進めてきた。その調査に当たり、地元に土地感がない我々を、いつも案内
していただいたのは同県長坂町にお住まいの大石知明氏である。同氏は、解放運動の
傍ら、自ら地元で丹念に資料調査をし、何かと我々に報告していただいた。同氏は、
解放運動の力量が乏しい状況で、細々と部落同士の連携を保ちながら、学習会を積み
重ねられてきた。その中で、なぜ山梨県に部落が有るのか、究明してほしいという研
究上の要請があった。
当該部落では、家族が不在の間なら会ってもよいと言われた年配の女性と、我々は お会いすることが出来た。その年配の女性の話はもと甲府市内の部落出身の方であり、 若い頃は、通りを歩いているだけで後ろから指を刺されたという不愉快な思い出を語 ってくださった。ちょうど、訪れた時は、その女性の配偶者が亡くなられ、家で菩提 を弔っている期間であった。その時、仏壇の横に「南無阿弥陀仏」の六字名号がかけ られていた。その名号の端に浄土宗の寺院の名前が記されていた。この家が、この寺 院の檀家に当たると思い、その事を確認する質問をしてみたら、葬式の時にのみ、そ のお寺に世話になるという返事だった。檀家という意識はなかった。その前日の晩に、 案内していただいた大石さんの義母に当たる方からも、檀那寺は知らない、という返 事が返ってきたことに、私は怪訝な印象を持っていた。若い人ならまだしも、年配の 方がこうもお寺に無関心とは不思議な印象はぬぐえない。またお世話になった山梨県 の歴史関係者に、部落の年配の方が「お寺を知らない」等という返事は、部落外でもよ くあることか、と質問すれば、「そんなことはない」という返事だった。 もとより近世の山梨の部落を調べていると、山梨県にも部落寺院制度は存在している。 まず、その寺院の所在を確かめるところから調査は始めた。最初に、甲府市の西側に 立地する双葉町で、地元の歴史研究者や所蔵者とお会いして、近世文書を拝見し、往 生院という部落寺院の存在を確認したのだが、その寺院は現在は廃寺となっていた。その 寺院が所有していた板碑が、近くの寺院に今日も残されている。往生院の廃寺の時期も、 同町の文献と、地元の部落民の話とでは食い違っていた。文献上では明治初年の政府 の政策により廃寺になったと言うが、もと往生院の檀家だったという老人に話を伺っ ていると、第二次世界大戦の後、同町を襲った洪水の結果、その寺院の施設もなくなり、 名実と共に廃寺となったという。その間は、法人格のない寺院があり、近世以来の本寺 の僧侶が定期的にお勤めにきたという。現在は近隣の寺院の好意により檀家に加えら れたという。 この往生院は、先ほど述べたように室町時代の板碑を所有していた所から、中世に開 基の由緒があるとも思えるが、関係史料は近世の地方文書しか残らないため不詳とし か言えない。その往生院の、かっての本寺は現在も甲府市内に残り、帰命院という浄 土宗の寺院である。同寺の記録も戦災で何も残っていないと云う。近世の甲州の記録『社 記寺記』を見ると、同寺には8ケ寺の末寺があり、いずれも部落寺院である。往生院 のほかに現存する寺院もあり、訪れたが檀家の人たちとお会いできていない。 山梨県は、近世以来、三つの地域に分かれ、一つは甲府城下を中心とする国中という 地域、一つは都留や富士吉田等が立地する郡内地域、一つは静岡県よりの河内地域である。歴史的に見れば、郡内地方は、後北条氏の領国に組み込まれた地域であり、武田信玄と取 り合いを行った地域でもある。その郡内地域と国中との境界線上に万福寺という真宗 寺院が立地する地域がある。景観的には寺内町とはなっていないが、真宗寺院が集中 して立地している。万福寺は親鸞の門弟が開基したという真宗の古刹である。万福寺 の近くには、山梨県でも古い部落の一つがあり、その一番古い文献は、文禄年間の『浅 野家文書』である。家数にして5軒程の部落であるが、今は過疎化により廃屋が目立つ。 近世初頭の甲州は、武田家の滅亡に始まり、後北条、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉が 支配をしたが、その支配の交代が頻繁にあり、近世初頭の検地帳の研究すら容易ではない 地域である。武田氏を滅亡に追いやる織田・徳川の連合軍が天正年間に甲州に攻め込ん だときには、広島県の福山に残る『水野記』によれば、甲府市内に今もある東光寺周辺 で民衆一揆らしきものが記録されている。東光寺は鎌倉時代に禅宗の僧侶蘭渓道隆に よる開基と伝えられ、同寺周辺は「古府中」と称する甲府の寺町であり、既に記した帰 命院も立地する。その周辺には「穢多」部落もある。 近世部落の特徴だが、部落と宗教とは密接な関係があり、甲州では「穢多」「猿引」 身分は浄土宗、「非人」身分は禅宗という宗門上の関係がある。こうした宗教上の関 係が明治の廃寺政策により、一掃されたように見えるが、若干の部落寺院がいまなお 残っている。山梨県では年配者の宗教生活が、無宗教状態になってしまっている。明治の 宗教政策は一面では国家神道、「敬神」を強制してきた歴史がある。宗教生活、信仰 心という人間の自立性を支える精神生活上の危機が、明治以降の部落民を襲ったよう に思える。 部落の起源に関しては、既に指摘した『浅野家文書』により、文禄年間に遡及して考 えることができる。また近世文書の中に、写しであるが武田の遺臣の穴山梅雪の発給 する文書がある。年次は天正十七年で、皮多身分の設置を命じたものである。この種 の文書は山梨県では数種類発見されている。部落の起源は、武田氏滅亡後、徳川・豊臣 政権の時期と考えるのが相当である。原因については断定は憚るが、『水野記』にあ る民衆一揆と関連づけて考察中である。 |
環境衡平性について
〜米国ノースカロライナ、環境経済学研究の現場から〜
松本 茂(経済学部助教授)
私は、米国ノースカロライナ州のDUKE大学で本年8月より研究活動に従事
している。ここノースカロライナ州には、赴任先のDUKE大学以外にも、全米
で一番古い州立大学のUniversity North Carolina
at Chapel Hill、私の母校のNorth Carolina
State Universityの2つの大学があり、それぞれの大学が車で
30分位のところに位置している。大学間では書籍の共有や人材の交流が盛んに
行われており、研究環境が整っている地域である。また、上記3大学のある3市を
囲んだ地域はResearch Triangle地域とよばれ、そこにはIBM
やSASといった米国のハイテク企業を始め、富士通や住友金属などの日本企業も
進出している。こうした企業と研究者の交流も盛んである。
(添付した写真は、DUKE大学のキャンパスの写真とRTPの写真である。)
環境経済学の分野では、環境衡平性(Environ−mental Equity) という概念がしばしば取り上げられる。環境衡平性をそのまま訳すと環境 に関する衡平性という意味になるのだが、その解釈については色々と意見が分かれて いる。「環境財は公共財なので皆に等しく与えるべきだ」と主張する人から、「環境 財に関しても人々が色々な選好を持つので、一律に分配することはかえって衡平性を 欠く」と主張する人までいる。本稿では、この環境衡平性について少し考察してみたい。 米国では法律により、環境規制の対象となる工場やプラントがどれくらいの汚染物 質を放出したかを毎年報告することが義務付けられている。このデータはTRIデータ (Toxic Release Inventory Data) と呼ばれるが、TRIデータを用いて地域間比較をすると、企業がどのように汚染物 質の排出を行っているかが分析できる。この理由から、近年TRIを利用した研究が 盛んに行われるようになっている。さて、TRI値を縦軸にマイノリティーの居住比 率を横軸にとったグラフを描くと、右上がりの傾きをもった散布図が描ける。つまり、 マイノリティーが多く住む地域で、企業が汚染物質をより多く排出する傾向が現れて くる。これは、予想される結果であるが、TRIデータを用いることによって予想の 裏づけがなされる。 ところで、中にはこうした傾向をみて、企業が人種民族偏見に基づいた行動をとって いると指摘する人がいるが、こうした指摘は議論が浅薄であろう。それは、人種民族 偏見以外にもマイノリティーと環境汚染を結びつける要因が考えられるからである。 第1に、一般的にマイノリティーの所得はマイノリティー以外の所得に比べて低い。 企業は対策費用安価な地域を選んで汚染物質を排出するため、結果的にマイノリテ ィーの多くいる地域でより多くの汚染物質が排出されることとなる。第2に、マイノ リティ一の多くすむ地域は政治的な基盤が脆弱なため、環境問題などに関しても合意 形成を行うことが難しい。企業は住民運動などがおきにくい地域を選んで環境汚染を 引き起こすおそれのある施設を設置するため、やはりマイノリティーの多くいる地域 でより多くの汚染物質が排出されることとなる。いずれの場合も企業は人種民族偏見 に基づいた行動をとっていないが、単純にテータを眺める限り、企業があたかも人種 民族偏見に基づいた行動をとっているようにみえる。前者は、経済的理由であり、後者 は政治的理由である。
環境衡平性を考えていく上で、Hamilton教授の研究やArora教授と Cason教授の共同研究結果は極めて重要である。マイノリティーが環境汚染に さらされるリスクが高い理由が経済的理由によるものなら、人種民族的側面から環境 衡平性を主張するのは不適当である。むしろ、所得分配の側面から衡平性を主張すべ きである。一方、その理由が人種民族的理由によるものなら、人種民族的側面から環境 衡平性を主張することに妥当性がある。単純に2つのデータを比較するだけでなく、 理論に基づいた計量分析を行うことの重要性を示す良い研究事例であろう。 |
研究学習会だより
〜障害者問題研究班研究合宿(2003年3月18日、19日)
雑古哲夫(文学部教授)
昨年度の研究合宿は六甲山荘にて文学部から葉賀弘先生、藤井稔先生、工学部から
荒木兵一郎先生、阿波啓造先生と私の5名の研究員でおこなわれた。研究学習会は
18日の午後から荒木先生の「グループホームヘの環境移行による精神障害者の自律度
と社会参加度の変化」という論題で研究学習会をおこなった。題目にある「自律」とは
身体的な日常動作としての自立性は健常者と差異はないが、精神的な自立性として
自主的にものごとを処理・決定する能力が低下していると考えられるため「自律」
と表記して使い分けられたものである。その後食事をとりながら懇親会となり、研究
だけにとどまらず個人的な話題、大学でのハプニングやその対処法、障害者研究班の
今後のあり方など話のつきるところがなかった。学科を超えて他の専門領域の先生方
とのお話は未知の領域も多く、新入生のような目の覚めるような感覚を覚えた。私は
2年間ほど研究室をお休みさせていただいていたので、この合宿で初めてお会いした
先生もおられた。
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石本清英(社会学部教授)
最近、ハンセン病元患者への宿泊拒否、親
がHIV感染者である幼児の保育園入園拒否、
盲導犬同伴の宿泊拒否などの報道が相次いで
いる。たんなる無知ではすまされない問題だ。
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